ある公女が15歳の誕生日に高熱を出して寝込んだら『異世界』の知識を思い出すようになったのですが、もしかしたら「異世界転生」だったりしませんか?
めぐるわ
第1話:高熱と不思議な『夢』
天蓋付きの豪奢なベッドで横になっていた少女は、瞼を重たげにゆっくりと開いて、上半身を起こした。細い肩にウェーブの掛かったピンクゴールドの髪がふわりと落ち、豊かな胸元まで届く。
次第にはっきりとしてくる意識の中で、彼女は自分がどこにいるのかを確かめるように周囲を見渡した。見慣れた調度品、大理石の小机、重厚なカーテン。
――ここは、ゼンダー公爵邸。自分は、ジニー=ゼンダー。公爵令嬢としてこの家に生まれ、15年生きてきた。
でも、続いて頭の中に泉のように湧き上がってくるのは、違う世界の不思議な知識。この記憶は、夢でも見ていたせい? だけど、その見たことがないはずの夢のような世界は、奇妙なほどに現実味を帯びていた。今も、眼の前の世界と、『夢』の中の世界の、どちらが現実か曖昧に感じるほどだ。
(まるで『胡蝶の夢』みたい……)
その時。
コン、コン……。ドアがノックされ、ジニーよりいくらか年上と思われる一人のメイドが、深紅にも似たショートボブをサラリと揺らしながら、中に入ってくる。そして、起きた少女を確認すると、嬉しそうな表情を抑え込むようにして、落ち着いた笑みを浮かべた。
「おはようございます、お寝坊さんなジニーお嬢様。ご体調は、いかがですか?」
そして白いエプロンドレスを摘んで早足気味に近づいてきたメイドは、そっとジニーの額に触れると、ホッと安堵の息を漏らした。
「ありがとう、ルビー。もう大丈夫だと思うわ」
ジニーは公爵家の令嬢として教え込まれた笑顔で、いつもと変わらないように答える。けれど、その心中は決して平静ではなかった。考えることは、寝ている間に見た『夢』、知らない世界と知らない知識のこと。でも、高熱によって床に伏していたジニーは、体力を完全に取り戻せていない。そのせいか、頭もいつもどおりに動いてくれなかった。
ジニーの手が無意識のうちに伸びて、額の汗を拭う。目を閉じながら、ゆっくり静かに『深呼吸』をしてみたら、補給された新鮮な『酸素』が体中に広がっていく気がして、徐々に平常心を取り戻していく。
「全然大丈夫そうに見えませんよ、お嬢様? せっかく誕生日を迎えられたばかりだというのに、急な高熱でお倒れになってしまうなんて」
その声にまた目を開いて傍らをみれば、表情に心配の色を湛えたルビー。ジニー専任の側仕えである彼女は、ジニーのことを常に気遣い見守ってくれる、親しい友人とも心の支えともいうべき存在だ。ジニーはそんなルビーの顔を見て、やっと心から微笑むことができた。
「ううん、だいぶ、楽になったわ。ありがとう、ルビー」
それを聞いて、ルビーは困ったように笑うと、頷いてからベッドの傍に置かれていたティーカップを手に取った。
慣れた手つきでお茶を注ぐと、ジニーの方へと差し出して。
「手渡しで失礼しますね、お嬢様。では、お医者様をお呼びしてきますので、少々お待ちいただけますか? ……お父上が、もし熱が下がられているようなら多少の無理をしてでも食卓に出るように、と仰せです。お母上も心配なさっておりますし、お兄上も。ご多忙な皆様がこれだけ揃われる機会は貴重ですから、なんとしても久々にご家族で顔を会わせて時間を過ごしたいとお考えなのでしょう。と、不肖メイドは拝察します」
そう言いながらも、ルビーは心配そうな気遣わしげな視線を、ティーカップを口元に運ぶジニーに注ぐ。
「そうね……」
ジニーは力を入れて、立ち上がってみる。まだまだ体は重く、意識もどうにもあやふやだ。『夢』の中で見た様々な物事が、ジニーの中で上手く整理できずにいる。そんな、漠然とした違和感を頭と体に纏いながらも。
「ゼンダー公爵様がお呼びなのだから、私もきちんと出席しなければね」
ジニーはひとまず、目の前の現実に集中することにした。
寝室へと駆けつけた医者の診察は、思った以上に長かった。しかもその後の自宅用ドレスへの着替えに要した時間は、手早く進めてくれたルビーのおかげで決して長くはなかったのだけれども、病み上がりのジニーには辛かった。
それでも、公爵家の食堂へとやってきたジニーは、笑顔を浮かべて家族に挨拶をすると、優雅な動作で席に座る。こんなときでも、身に染み込ませるように学んだマナーは、自分を守ってくれた。
食卓に着いたジニーは、食欲があるわけではなかったから、一緒にテーブルを囲む家族が楽しげに会話を交わすのを眺める。
父公爵は相変わらず厳格な態度を保ちつつ、話題が政治や軍事の話に移ると、その瞳が鋭くなるのがわかる。今も整えた金の髭に指を添えながら、兄と主産業である農業について、輸送や流通といった議論を始めていた。そして母は優雅に振る舞いながらも、度々ジニーの体調を案じる言葉をかけてくれた。
「ジニー、もう食べないのか?」
父公爵が問いかける。
「はい、父様」
ジニーは、その意図を考えつつ、慎重に答えた。
「そうか」
重々しく頷いた父公爵は、その直後また兄との話に戻ると、話題を移した。農産物の輸送について、警備や護衛も行う騎士団の体制を再検討しているようで、会話が軍事的なものに変わっていく。ジニーはその話をぼんやりと聞いていたが、ふと気づくと、父公爵の鋭い視線が自分に向けられていることに気づいた。
「ジニー、お前ならどのように管理する?」
突然の問いかけに、ジニーの心は一瞬揺れた。
「まあ、あなた。ジニーは、女の子ですよ?」
「父上、ジニーにはまだ早いでしょう」
いくらか困惑気味な母と、笑い飛ばすような兄の声。そしてジニーも、「なぜ自分に?」とは思ったのだけれど。
「『素人は戦略を語り、プロは兵站を語る』と申します……」
まだ焦点の定まりきらない頭の中に、ふっと浮かんだ『夢』に見た言葉を、本当に何気なく口にしてしまった。
それを聞いた父公爵の目が、まるでギラリとでも言うように輝いた。
「……ああ。確かに、兵站は重要だ。どんなに優れた騎士たちが居て指揮する者が優秀でも、物資がなければ勝つことは覚束ん。それに、いくら体制を整えても、それを維持するのは兵站だ。つまり騎士団自身にも、物資を集める能力や効率的に運ぶ手段や備蓄を管理する能力が欠かせん。だがこれはよく当たり前のことと思われ、目立たず軽んじられがちでもある」
顎髭を撫でながら、ゆっくりと内容を吟味するように、口から言葉を漏らしていく。そして、家族が驚きの表情を浮かべる中、父公爵はじっとジニーを見つめていた。いつもと変わらず厳しい表情のままだったが、その視線には隠しきれぬ興味と感心が混ざっていた。
「なるほど……その通りだ。ジニー、お前がここまで的確に急所を指すとは思っていなかった。今まで、軍事や騎士団のことなど、ほとんど触れることもなく、興味すら持っていなかったように見えたが?」
じっと自分を見つめる父公爵の目に、ジニーは内心で動揺しつつも、いつもどおり控えめな表情を保った。どうやら、『夢』の中の知識が役立ったようだが、それをどう説明するべきかも、どのように役立ったかも、よくわからないままだ。
「少し、昔に本で読んだことがあったのかもしれません……」
ジニーはそう答えたが、その返答には自分でも違和感しかない。これで、納得してもらえるだろうか?
父公爵は、しばらく検討を重ねるように黙考したあと。
「よし、こうしよう。ジニー、お前を騎士団長に任ずる。頼れる部下をつけるから前線に出る必要まではないが、戦略も兵站も、お前の手でしっかりと練り上げてみろ。知識は実際に使わねば本当のものにならん、そのお前が得てきた知識を役立て使いこなし、自らのものにするのだ」
「……えっ!?」
その言葉を聞いた瞬間、ジニーの胸に呆然とした驚きと巨大なプレッシャーが一気にのしかかった。いつも、大貴族の娘としての重圧は感じているし、その対応も身につけてはいる。
でも、騎士団長? 自分が? 今までの自分では到底考えられなかった役割だ。しかも、今意図せず漏らしてしまった『夢』の知識、これがどこまで頼れるものかもわからない。だが、父の決定には逆らえない。逆らえるものではない。
「……わかりました。精一杯、やってみます」
ジニーは震える声でそう返事をするしかなかった。
食事を終え、ジニーは悄然と私室へ戻る。メイドのルビーが付き添いながら、ジニーの不安を察している様子だ。
「お嬢様、騎士団長の任命、大変驚かれたことでしょう。でも、私も驚きました。……ところで、どういった本で、先程の言葉を学ばれたのです?」
気を和ますための話題だったのかも知れないが、ジニーの心臓が、ドキン! と跳ねた。
「不思議な『夢』で……」
ただ、それだけ呟く。
このまま、ルビーにすべてを話し、相談すべきかもしれない。しかし、ジニーにはまだその勇気が持てなかった。
それで、ルビーは本題へと戻る。
「お嬢様のご不安はわかります。ですが、これはお父様からの信頼の証です。お嬢様なら、きっと立派にお務めを果たせますよ。なんといっても、私が隣に居ますからね」
そして、ルビーからは励ましの言葉が続く。その言葉には、幼い頃からジニーを見守ってきた者だけが持つ、揺るぎない愛情が込められていた。その温もりが、渦巻く不安を溶かすように、ジニーの胸の中に広がっていく。
「信頼……そうね。では私も、信頼に応えられるように、全力で頑張るわ」
「その調子です、お嬢様!」
それで、ジニーはルビーにようやく笑顔を向けたのだけれど。
(でも私は、どうしてこんなに急に、こんな役割を……。いえもしかして、あの『夢』こそが、私になにか新しい役割を与えるものだったの……?)
また考え込み始めたジニーは、再び言葉を詰まらせ、ベッドまで歩いてからトスンっと腰を下ろした。彼女の中には不思議な『夢』の記憶がくっきりと残っているが、それが今の自分にどう関わっているのかが、まだとても理解できない。
「ルビー……私、少し休みたいわ」
「かしこまりました、お嬢様。何かあれば、いつでもお呼びください。まだ体調も万全じゃないでしょうから、ゆっくりお休みくださいね」
労るような表情を残して、ルビーは部屋を静かに退出する。それを見送ったジニーはふかふかのベッドに身を沈め、繊細な刺繍が施された天蓋を見上げた。『夢』の正体は、何なのか。ようやくジニーの中で少しづつ形を持ち始めたようにも思えるけれど、意識を向けたらスルリと逃げられてしまうようなもどかしさ。そして、その『夢』の記憶が自分にどんな影響を及ぼすのか、これからの道がどのようなものになるのか……。
「ああ、運命神様。無力な私を、どうかお導きください」
ジニーは目を閉じて、国で広く信じられている運命神に、祈りを捧げる。
騎士団長としての新しい責任、家族の期待、そして不思議な『夢』――ジニーの心の中には、これまで経験したことのない不安が広がるばかりであった。
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