第16話 犬の獣の先には? 〜白崎なな
気絶をしている犬を横目に、そのまま中へと足を進めていく。ナイフと剣からは、先ほど戦った犬の獣の鮮血が垂れている。剣は先ほどのように振ってたを落とし、ナイフは自分のカッターシャツで拭った。それぞれを腰に下げて、こちらをじっと見つめてくるルナの顔を見る。
ルナの髪に、小さな木の葉が絡んでいることに気がついた。細くて柔らかい黒の髪にそっと触れて、巻きつく木の葉を髪をすくようにして取った。俺は、取れた木の葉を指先で摘んでみせた。
「ありがとう」
そう言いながらルナは、俺の血で濡れたカッターシャツを両手で広げた。ふわりと風が舞い、金色の光と共に花の香りがした。俺は、輝く光に息を呑んだ。白地に飛んだ赤の血は、ルナの魔法によってパリッとした白さに戻った。
「おぉ、ありがとう」
「どういたしましてっ!」
犬の獣を弾いた入り口は、振動と共に大きな壁に覆われた。ここまでと同じように、後戻りさせないようにさせられているようだ。薄暗かった道は、進むごとに明るさを増していく。
俺たちは、コツコツと足音を響かせて歩き続ける。一向に何も起こる気配を感じず、焦りを覚える。少しひんやりと冷たい空気感に包まれ始め、指先が冷え手を握りしめる。握りしめた手のひらには、じんわりと汗をかいてくる。
口が渇き、喉をしきりに上下させて誤魔化す。ルナが何に驚いたのか、肩を跳ね上が後ろを歩く俺を振りかえった。
ルナは、唇を震えさせて俺に抱きついてきた。何が起きているのか理解が追いつかず、ルナの背中に手を置いて落ち着かせる。ルナの驚いたものが何か知るために、ルナを背中に回して一歩前に出た。
目の前には、真っ黒のフードを被り真っ白の光が二つ覗かせている。ローブのような形の服の裾は、木の根のようになっている。地面から長い根が飛び出して、身体をこちらにずいっと乗り出してくる。
俺は、その魔獣なのかわからない生物を眉を吊り上げてキッと睨む。地面の土が盛り上がり、砂を巻き上げて砂嵐が起こる。うねるように根が動き、俺たちの方へ伸びてくる。
俺は、砂をかき分けるようにして剣を鞘から抜く。先ほどまで滴った血液はきれいになっていた。刃先に部屋の光が集まる。鋭利な剣を振りかぶろうとした時、後ろにしがみついたルナに力を入れられて制止させられた。
「だめ!!」
その生物は、奇声を発しながら手を伸ばしてくる。その手にはドロドロと黒い液体が形を作り出し、鍬を生み出した。その鍬の先から、緑色の液体が溢れ出した。かなり重たいとろみがついており、液体の動きはかなり遅い。
液体が地面に垂れると、その液体によって地面の小さな雑草が枯れた。そして、枯れたところから新たな同じ生物を生み出す。液体から生まれた生物は、小さく動いているかもわからないほどのサイズ感だ。
「これは、魔獣なのか?」
ルナは俺の背中に擦り付けるように、大きく首を振った。俺にしがみつくその両手はカタカタと震えている。俺は右手で剣を握り、左手で震えるルナの手をそっと撫でた。
矢で射られるかと思うほどの、甲高い声でその生物は奇声を発する。鍬を投げつけられた。頬に熱いものが流れる。突然のことで動けないでいた。張り付くルナを背中から剥がして、軽く肩を押して離した。
剣を構えて足を軽く跳ねさせて、身体を左に捩って振りかぶる。剣の刃を伸びてきた手で握られ、宙に投げられる。ふわりと生物の上を飛び、不幸中の幸いか剣は自分の手の中にある。その剣を握り直して、生物の頭から斬りかかる。
上からストンっと地面に剣が落ちた。生物を斬ったのにも関わらず、感触が全く感じられなかった。斬ったはずの生物が糸を引き、身体を繋ぎ始めた。斬った際に生物の身体の中央にいた俺は、そのまま身体に取り込まれてしまった。
水の中に落ちていくように、息継ぎができない。呼吸の取れない生物の中を、ただもがいた。手で周りをかいて、外に出ようと試みた。しかし、いくら足掻いても辿り着けない。辿り着くどころか、何かに触れることもままならないでいた。
息が持たず、ゴボゴボッと肺の空気が全て抜け切った。
(もうダメ…… かもしれない……)
そう思い、重たい瞳を閉じていく。
目の前が真っ白になった。しかし、身体に鈍い衝撃が走り口に入った水を吐き出した。大きくむせ返り、激しく咳を繰り返した。
「ようくん!!」
目を開けると、ルナの顔が視界いっぱいに広がる。俺の頬に、銀の涙がぽたりと落ちてきた。肌に乗った涙は、じわりと溶けていく。
身体を起こすと手には、白く光るナイフが握られていた。
(握った覚えはない、はずなんだけど?)
その光は、先ほど魔獣を倒した魔石と同じ白濁とした白い光だった。濁った白の光は、パールのように丸い光の玉となってふわふわ浮かんでいる。ナイフを上下に動かしてみると、光の玉が液体から生まれた小さな生物に飛んでいく。俺を飲み込んでいた生物は、上半身はドロドロとした液体となり下の根だけが蠢いていた。
光の玉にぶつかった生物たちは、粉となり消えていった。
「もしかして、さっき取り込んだ魔石が反応をしてるのかな! 魔法をようくんでも、使えるのかも!」
「自分の意思で使ってるわけじゃないけど。使えるものは、使わないと!」
ナイフを上下に動かした。しかし何も起こらず、目の前には先ほどの生物が一本の獣のように2つのギラリと光る目と合う。
一旦ナイフを腰に下げ直し、剣を手にした。捻れるような動きを見せ、怨念の炎がまとわりつく。黒い煙を祓うように剣を動かした。
先ほどとは違い、黒のローブが伸びてきて俺に襲いかかる。
俺は右肩を引いて、一歩後ろに軽く飛びかわす。剣を顔の右に持ってきて、走っていき顔を目掛けて突き刺す。生物の根が、俺の足元をはらい地面に叩きつけられる。
鼻からだらだらと血が流れる。手の甲で拭って、立ち上がった。スッと重心を落として、生物の隙をつき身を近づけて剣を身体の中心に差し込んだ。
手で頭を押さえて、奇声をあげはじめて耳がキリキリと痛む。身体に刺さって抜けなくなった剣から手を離し、後ろに数歩離れた。
剣が刺さったとは言え危機的な状況に、もう一度ナイフを振ってみる。そうすると今度は、深紅の炎がボッと勢いよく吹き出した。根っこ部分を焼き尽くし、真っ黒に焦げてしまう。
今度はこのナイフを持ち、首に切りつける。首が吹っ飛んでいき、黒の液体が流れ出した。そして、手がもがくように俺の首を締め付ける。
(まだ、死なないのか?)
ナイフから出た炎で、腹部を焼き付ける。炎に包まれた生き物は、木が割れるような音を立てて分裂し始めた。
上半身と下半身に分裂をして、その間から軽いカランカランっと音を響かせて翠色(すいしょく)のカワセミの美しい翡翠の色の石が落ちてきた。
翠色冷光の輝きを輝き、今戦った生物が魔獣であったことを物語っている。美しい翠色の石をナイフにかざす。今までと同じく、ごくりとナイフは魔石を飲み込んでいった。
3つ目を飲み込んだナイフの柄が、鍵のような形に変化した。その変化を、俺とルナは目を見開いて見つめた。
「3つ目の魔石が…… 集まった!」
ルナの弾んだ明るい声が、狭い空間に余韻を残す。今まで大きな動きのなかったナイフが、目に見えて形を変えた。俺は、言葉を発するために息を吸った。
「この鍵……」
石畳が一つ一つ飛び出しては消えてと、なんと奇奇怪怪な動きをする。周りの風景がどんどんと変わっていき、宇宙を漂う星雲のようなモヤが空を覆いはじめる。大きなクリーム色の柱が3本現れる。夜空を流れる天の川のように、美しさを放つ。
中央に先ほどの魔獣が、綺羅を飾る白の羽衣も羽織った美しい女性に変わった。瞳を開くと、銀の瞳に銀の瞳を輝かせてこちらを無表情で見つめてくる。
雨が降っていないにも関わらず、この女性は真っ白の傘をさしている。傘を片手に持ち、舞を踊る。後ろに伸びた翠の髪は、舞に合わせて揺れ動く。
そうすると、ここへ誘った大樹の黒の花が咲き乱れた。星雲がかかるほど大きな大樹から、大きな黒の花がゆらめきながら落ちてきた。風の吹かない空間に、花々だけが風を感じている。花時雨の中、恐怖を感じるその女性の舞に鍵になった柄を握りしめる。
手汗滲む思いで、一歩一歩前に進める。
「花よ、咲け」
女性の染み渡る鈴の声が響き、素っ気なさを兼ね揃えた冷たさを感じる。その一言によって、周りに至極色の魅惑的な花が天を仰いだ。踊り舞う女性の白の傘がクルクルと回ると、見ているこちらまで目が回る。
「なぜ? 私はこんなにも仙力を持っているのに。天に愛されているのはこの私なのに」
傘を地面に落として、天に手を開いで嘆いた。翠の髪がズルズルと伸びて地面に縁を描く。髪の先が大樹に絡み、髪はさらに伸びていき木に咲いた黒の花をひとつもぎ取る。
(俺らのことに、気がついてないのか?)
近くまで近寄った俺に、女性は目もくれず宙を見上げて踊り続けている。黒の花は、花弁一枚一枚に分かれて朽ちていく。その出来事は、一瞬で朽ちた花は跡形もなく消えていく。
「お、おい」
その声で彼女はこちらに振り向き、大樹の前に立ちはだかる。白の傘が大きなツボに変わって、そこから水が溢れた。水がダバダバと出て、川を作る。その川によって、こちらと彼女のいる大樹の間を引き裂く。
禍々しい空が水面に映り、揺れる水面が俺の心までも掻き回してくる。水面は、ひらりと落ちた黒の花びらを飲み込んだ。
「ねぇ、私はなんでこんなことになったのか知ってる?」
金の瞳は、俺がよく知ってる自分瞳と全く同じ色彩をしている。その金の瞳の光に、自分の目を見ているかのように感じて足元が揺れる。
「知らないっ!」
ルナが、俺の代わりに答えてくれた。強く出たルナの声に、揺れた足に芯が通った。水の色は、至極色の花々の色に染まっていく。
星雲が、夜空の中心の月を覆い隠しここにある光はクリーム色の柱から感じられるわずかなものだった。
「私は、月と太陽に別けることも簡単だった。あんなに美しく綺麗に咲いた花たち……」
女性は、両腕を自分自身で包み込みしゃがんだ。至極色の花々が白い羽衣を取り囲み、色の対比に目が眩む。花々が、ゆっくりと女性を取り込み大きな丸い塊を生み出した。
冷たい突風が吹き、大樹の葉と花が擦れる大きな音がする。その風によって塊を作った花々が、バラバラに分かれていく。その中にいた女性は消えていた。
大きな風に飛ばされた星雲は、厚さを薄くして月の光を下に届ける。
「えっと? なんだったんだろう?」
女性だけが消えただけで、今の置かれている状況は変わらない。俺は、柄が鍵型になったナイフを取り出した。刃を指でスッと撫でる。
ナイフの刃に映った月は、陰を落として欠けていく。青白い光の極光は、空から消えていく。
「月食なの、か?」
「月食? 月が無くなるなんて…… こんなのはじめて」
ルナは、驚きで口がポカンっと開いたままになった。月が消えていったので、あたりの暗さが増していく。俺は、目が慣れるよりも先に足が動かしていた。というよりも、勝手に足が吸い込まれるように自分の意に反して動いている。
ジャバジャバと音を立てて、川を渡り向こう岸を目指す。この川の深さはそこまでないようで、膝下だった。それでも、水圧が強く重たい足を必死に前に出した。
「よ、ようくん? どこにいくの?」
暗くて見えないが、ルナの不安な声が耳に届く。それでも、なぜだか足は止まらない。向こう岸に渡りきり、手に持ったナイフを黒の花を咲かせていた大樹に差し込んだ。
一度刺し、抜き出しては二度目を突き刺す。ザクリッザクリッと木を刺す音が、静かな空間に浮かぶ。
木の幹の中に大きな穴が出来あがり、その中にすっぽりとナイフが埋まった。木がナイフを嚥下をするように取り込み、葉が銀の光であたりを照らしはじめた。
祈りのポーズをする女性が、ふわりと木の上に現れる。
――先ほど消えたはずの、彼女だった。美しい翠の髪はそよ風を受けて揺れる。その風に乗って蓬の香りが、辺りを包み込む。
地面に咲いた小さな至極色の花は、ただの草に変わっていた。
「月の世界と太陽の世界は、私のもの。花の精霊が、私に微笑む限り」
瞳を閉じて、祈るように両手の指を絡ませて大樹の上に佇む。静けさは、女性の息を吸う音までも聞こえてくる。幹のそばに立っている俺からでも見える高い位置に女性は居て、なんだか女神のようにさえ思えてくる。
彼女は瞳を開き金と銀の輝きを放ち、手のひらを開いた。周りに金と銀の蝶々がキラキラとラメを振りまいて、舞い上がった。
「花の精霊…… 私はまだ神でいれる?」
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