【番外編】アンビバレント・ヘブン

落水 彩

しっぽり飲み

「何が悲しくて君とサシで飲まなきゃ行けないんだい?」


「お前が勝手に付いてきたんだろ。」


「君が珍しく一人でいたから、どこにいくのか興味があっただけ。」


「いやそれで文句言ってんの意味わかんねえよ。」


 バーカウンターで二人。ピアノが主旋律を奏でるジャズ音楽が、店内にしっとりと響く中、黒と白の対照的な男が、背の高いスツールに腰掛けて並んでいる。

 黒い方——ヴィセは室内にいるにも関わらず、ロングコートを羽織り、さらにフードも被ったままだった。フードから突き出た二本の赤黒いツノが、薄暗いオレンジ色の照明に照らされて怪しく光っている。長い爪の生えた手には、白濁色の液体が注がれたショートグラスがあった。ヴィセは頬杖をついてグラスの中を眺めていると、飽きたように反時計回りでそれを回し始めた。入っている液体が赤ワインであれば、香りを楽しむのに効果的であるが、彼の飲んでいるジンベースにレモンジュースを混ぜたカクテルでは意味をなさなかった。


「でもいいよ。明朗闊達な君が、しっぽり飲むなんて、付いてこなければ知らなかったからね。」


「あっそ。明朗闊達ってお前に言われると、なんか嫌味に聞こえるな。」


 白い男——黒縁のメガネをかけた冷月は、いつもの制服である真っ白な軍服を脱ぎ、ノーカラーシャツの袖をまくっていた。ロンググラスには重ための赤い液体が注がれていた。


「流石にそれは捻くれすぎじゃない?」


 ヴィセの反論を無視して、冷月はグラス内の酒を煽った。トマトジュースで割ってあるので、度数はそこまで高くないようだが、一気に飲むような酒でもない。冷月は後悔したように頭を抑えた。


「もっと楽しく飲めば? 安い酒じゃないんだし。」


 カウンターテーブルに突っ伏す冷月を横目に、ヴィセはショートグラスに口をつけた。


「お前のせいだろ。」


 空のグラスを手にしたまま、冷月はヴィセを睨みつけた。


「何でもかんでも僕のせいにされちゃあ困るんだけどね。君だって、僕の尾行に気づいたときに追い払えばよかったのに。」


 ヴィセの言う通り、店に入る前に追い払うことはできた。そのタイミングもあったし、割と早い段階でヴィセの存在には気がついていた。


「……お前こそ、俺の魂いつでも奪えただろ。なんで、」


「だから、君が元気ないときに刈ったって仕方ないんだよ。そう焦らなくても、いつか刈り取ってあげるから安心して。」


「元気ない、か。」


 冷月が言葉を反芻しているうちに、グラスを空けたヴィセは、カウンター越しにカクテルを作るバーテンに声をかけた。


「マスター、カンパリソーダを一つ。あと、こっちにはジントニックでも。」


「かしこまりました。」


 マスターは二人に背を向けると、ずらりと並ぶ酒瓶の一つに手を伸ばした。

 ぼんやりとする頭に「あ、彼にツケといて。」と発言するヴィセの声が聞こえたような気がしたが、冷月は重い体を起こせないでいた。

 テーブルに体重をかけたまま、「何でジントニックなんだよ。」と目だけを動かしてヴィセを見つめた。


「ん? いつも頑張ってる君へ僕からのプレゼント。」


「嘘つけ、さっきツケとかなんとか言ってたろー。」


 舌を出す茶目っ気さを許せるはずもなく、冷月は重い体を起こしてヴィセに迫った。


「お前なぁ、何が目的なんだよぉ。」


 まだ一杯しか飲んでいないのに、正常に頭が働いていないように語尾が伸びた。ヴィセの胸ぐらを掴む手にも力が入らなかった。


「まあまあ、ここお店だから、ね。」


 余裕綽々な態度は気に食わなかったが、周りを見回すと、完全に他の客の注目の的になっていた。そんなに騒がしかっただろうか。冷月は「すんません。」と謝ると、姿勢を正した。

 ヴィセにたしなまれて少し酔いが覚めた頃、目の前に一杯の酒が出された。ロンググラスには、透明な液体が注がれており、細かな気泡が絶えず上がり続けていた。炭酸水のようなシンプルな見た目の酒に口をつけると、うま、とつぶやいて、結露したグラスを額にくっつけた。


「顔赤いね。」


「うるさい。」


「弱いんだ。」


「別に。」


 ヴィセの目の前には、先ほど冷月が飲んでいたものより、透き通った赤の酒が提供されていた。

 ヴィセがグラスを口に近づけ、傾けると喉仏が動いた。日本人と違って鼻の高い整った顔立ちからか、バーで酒を嗜む姿は様になっていた。


「……何?」


 目があって初めてヴィセのことを凝視していたことに気がついた。冷月は咄嗟に「何もない。」と答えると、逃げるように酒を飲み下した。

 

 ——普段の冷月であれば、賑やかな居酒屋に足を運ぶのだが、今日はしっぽり飲みたい気分だった。後をつける悪魔を祓うこともせず、地下にあるバーの扉を開けた。

 もちろん、ヴィセが人に危害を加えようものなら、迷うことなく携帯している拳銃で頭を撃ち抜くつもりだったが、人を襲うような素振りは微塵も見せなかった。

 普通の人間のように、ただただ酒を愉しんでいる。冷月は、相手が悪魔だということを忘れてしまいそうだった。

 だからこそ、縋りたくなったのだろうか。

 ふと、冷月は頭に疑問を浮かべた。犬猿の仲のはずなのに、どうにも今日は本気で争う気にはなれなかった。

 後をつけられるのを許容したのも、どこか心の拠り所を探していたのかも知れない。

 

 そんなことを考えていると、


「……君の本性が見えると思ったんだよ。」


 グラス内の氷を鳴らしながら、ヴィセは忽然と話し出した。彼の視線はグラスに落としたままだった。冷月は悪魔の独白に耳をそばだてた。


「ほら、酒って人間の本性暴くって言うだろう? いつも毅然と振る舞う君も、何か羽目をはずようなことがあれば面白いなと思って。」


 ヴィセがロンググラスの縁を中指でピンッと弾くと、氷同士がぶつかる軽やかな音が鳴った。


「でも、思いの外普通だったからさ。ああ、けど、存外酒に強くないことが知れて良かったよ。……ご馳走様。」


 残りの酒を一気に飲み干し、席を立とうとしたヴィセの袖を、冷月は左手で摘んだ。


「はぁ、君役人だろう。二杯くらい奢ってくれたっていいじゃないか。」


「三杯奢ってやるから、もうちょっと付き合えよ。」


 冷月は自分らしくないと理解しつつも、つまむ袖を離せないでいた。敵に弱みを晒すようで、いつもの冷月なら絶対に見せない姿であった。

 それでも、元気がないことを指摘されて、悩みを抱えたまま明日を迎えたくなかった。桃子や戌亥にできない組織の話も、ヴィセにならできると思った。きっと酒のせいなのだろうが、相手が悪魔だとか、魂を狙う存在だとか、どうでもよくなっていた。

 ただの友人のように愚痴をこぼしあって、酒を飲んで、夜を明かしたいだけだった。


「嫌だよ。」


「は?」


「なんかめんどくさそうだし。」


「え。」


 センチメンタルな気持ちもなくなり、ムーディーな音楽も止み、照明が明るくなるように、一気に酔いが覚めた。

 冷月は今までの行動を思い返してみて、酒とは違う理由で顔が熱くなった。


 ——俺、悪魔に相談しようと……?


「君の悩みなんてどうせ、『言い過ぎた、嫌われてないかな。』とか、『俺がいることで桃子は迷惑しているんだろうか。』とかだろう?」


 似てないモノマネを取り入れながら、ヴィセはしょうもないね、とため息を吐いた。冷月は特にツッコミもせず、自身と向き合った。

 

 ——いつも自信に満ち溢れていて、ヴィセの言う通り明朗闊達で、毅然と振る舞う厚生課のリーダー、だもんな、俺は。


「……そうだな! 俺がお前に相談なんて、あり得ないよな。」


 店の雰囲気を壊さないように気を使いながら、出せる限りの明るい声を出した。満面の笑みを悪魔に向けると、悪魔はフンと鼻を鳴らした。


「まあ僕は、君の人間らしいところ、もう少し見せてもいいと思うけどね。じゃあね。」


 冷月が口を挟む隙も与えずヴィセは背中を向けた。気まぐれで付いてきた上に文句を言い、胸の内を明かそうとしたら帰る素振りを見せる。本当に猫より厄介だ。冷月はヴィセの行動がよくわからないでいた。が、それも悪魔ヴィセらしいと思った。


「おう、また今度。」


 どうせきっとまた魂を奪いに来る。ヴィセのことも少しずつ理解できたらいいなと思う冷月だった。


 * * *


 半ば逃げるように店を出たヴィセはズボンのポケットに手を突っ込みながら、先ほどの冷月の言葉を反芻していた。


「また今度、ねえ。」


 男の悩みを聞いたところで、ヴィセにとっては美味しくも楽しくもない。契約している相手ならまだしも、冷月は対象外だ。普段明るい男の見せる影は思いの外暗そうで、聞くに耐えなさそうだった。


「ああでも、聞いておいた方が良かったのかな? 信頼されると僕への警戒心も薄くなりそうだし。」


 ヴィセは選択を間違えたかと、頭の後ろで腕を組み、夜空を見上げると大きな月が目に入った。今日は右側が少し欠けていた。


「死後の世界なのに月の満ち欠けがあるなんてね。」


 月に向かって話したところで返答はない。ヴィセは足を止めて、しばらくその足りない月を眺めた。

 名前に月があるせいか、何となく今の冷月の状態を表しているようで、顔をしかめた。


 ——って、なんで彼のことを考えなきゃならないんだい。


 地面に視線を落とすと、少量の水たまりがあった。店に入っている間に降ったのだろうか。地下にいたせいで全く気が付かなかった。

 その水面にも欠けた月が輝いていて、ヴィセは思わず踏みつけた。


「……。」


 ヴィセは相手の嫌がる顔を見るのが好きだった。だから冷月にも嫌がらせをしに行くつもりで、晒された恥を今後擦るつもりで、魂以外魅力のない男と二杯も飲んだ。今日の収穫は冷月が酒に強くないこと、それで十分なはずだったのに。


 ——まだ戻ってもいるだろうか。


 ヴィセは来た道を振り返って、そんなことを考えていた。ヴィセ自身が、あのヘベレケ役人と話すことを、希求していた。

 冷月が見せる人間らしい一面を、もう少し見てみたかった。しかし、そんなのにまんまと付き合ったら、相手の思う壺だったろうし、困らせるという意味ではムードをぶった斬って退店するのが正解だったのだろう。

 それに、今回は勢いで帰ってきた手前、またのこのこ戻る気にはなれず、前を向いて足を踏み出した。が、その足取りはだんだんリズムを奏でるように軽快になっていった。


「次は僕の奢りかな。」

 

 口角を上げて、思いっきり息を吸うと、雨上がりの匂いで鼻腔が満たされた。

 悪魔のこぼした鼻歌が、わずかに風に溶け消えた。

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