第一章:この地域における日常

第一章:01:獅子我兵志という男

 かつて、人類は繁栄を極めた。国を築き上げ、文化を築き上げた。

 大地も海も空も、手中に収めた。そして空の果て、宇宙へ進出しようとした。

 だが輝かしい人類の繁栄は、『不解ふかい』により終わりを告げた。


不解ふかい』とは、人間とは異なる独自の法則によって成り立つ超常だ。

『不解』は物理法則では証明できない。だが全くの意味不明な存在ではない。


『不解』は自らの理に基づき、行動する。

『不解』のり方には規則性があり、在るべきかたちとルールに縛られている。


 人類は『不解』のり方を理解できた。

 だが理解できた時には、もう遅かった。

 人類文明は『不解』によって復興できない程の大打撃を受けて、滅亡した。


 文明が滅んでも生き残った人々は、自分で自分の命を守ることになった。

 だが個人で自分の命を守るには限界がある。

 だから人々は組織という小さな集合体を築き上げることとなった。


 旧日本国・関東地方。

 とある山には、『軍警ぐんけい』という組織の拠点──《四方山よもやま》がある。


軍警ぐんけい』は、かつて日本に存在した自衛隊と警察に起源ルーツを持つ組織だ。


 世界に『不解』が溢れた時。自衛隊と警察は、日本国民を守るために戦った。

 だが『不解』との戦いで両組織は崩壊、分裂。そして再編成が繰り返された。

 その結果、いまの『軍警』という組織が出来上がったのだ。


「──副総指揮。失礼いたします」


『軍警』の通信室所属の女性隊員が、コンコンッと扉を叩く。

 女性隊員がいるのは、『軍警』の拠点、《四方山よもやま》にある『軍警』の本部。

 元々放送局だった建物の最上階だ。


『入ってくれ』


 部屋の内部から、低い声が響く。女性は扉を開けて、副総指揮の執務室へと入る。


 室内にいたのは、若い男だった。


 その青年は、芸術作品のように美しかった。


 黒髪は非対称ならがも、丁寧に整えられている。細かく言えば、右側頭部の髪が短くなっていて、左側頭部の髪は肩まで降りるほどに長くなっている。


 切れ長の目は鋭く、瞳は特殊な輝きを放つ白銀虹プリズム色。

 整った顔立ちに、座っていても分かるくらいの高身長。

 肉体は、極限まで鍛え抜かれている。


「どうした?」


『軍警』の副総指揮──獅子我ししが兵志へいしは、女性隊員を見ながら問いかける。


 一部の隙も無いほどに、完璧に美しく仕立て上げられた容姿の青年。

 威厳のある瞳で見つめられて、新人女性隊員は少しどぎまぎしてしまう。


「……副総指揮、ホテル霧雲きりくもで騒動があったようです。妹さまが通信室に連絡してきて、『問題が起こったので来てほしい。手早く口頭で伝えて』と仰っていました」


 獅子我ししが兵志へいしは、女性の言葉に事務処理の手を止める。


「……志鶴しづるは今日ホテルの掃除をしていたはずだ。本当にそう言ってきたのか?」


「はい。副総指揮の記憶通り、妹様である獅子我ししが志鶴しづるさまは、『不解』──妖魔ようまの住処であるスパリゾートホテル霧雲の清掃を行っていました」


 妖魔ようまとは、『軍警』が共生関係を築いている『不解』だ。

『不解』は決して人類が理解できない超常の総称だ。

 だが『不解』の中には、人間と共存できる存在もいる。


『軍警』は『不解』に寛容な組織で、積極的に『不解』を研究している組織だ。

 そのため『軍警』の拠点内には多数の『不解』がいて、隊員と共生している。

 妖魔という『不解』もそうだ。


「どうやら妖魔の一仔体こたい五百藏いおろぎが『総指揮か副総指揮を出せ』と暴れたようで……手が付けられないとのことで、志鶴さまが通信室に連絡してきました」


 兵志は女性隊員の報告を聞いて、眉をひそめる。


(志鶴がたちのことでわざわざ俺に連絡してくるわけがない。……五百藏いおろぎかどの仔体こたいか分からないが……おそらく妖魔が志鶴をかたって連絡してきたんだな)


 妖魔は基本的に肉食で、人間を好んで喰らう『不解』だ。

 人間で遊ぶ癖があって、彼らは彼らのやり方で人間を愛する。

 だが最近は大人しくなっていて、やんちゃをしなくなった。


(久しぶりにイタズラしたのは俺を呼んでるんだろう。そう)


 兵志は心の中で呟きながら、自分の手元にあるノートパソコンを操作する。

 そしてパソコンをスリープモードに移行すると、椅子から立ち上がった。


「志鶴には俺が今から行くと連絡しなくていい。お前は業務に戻ってくれ」


 兵志の推測では、志鶴が困っているというのは妖魔が兵志を呼び出すための嘘だ。

 それなのにわざわざ通信室から連絡する必要はない。


「承知しました、副総指揮」


 兵志は歩いて、入り口のコート掛けに下げてあるクロークコートを手にする。

 季節はもうすぐ春。とはいえまだ寒い日が続いている。

 

 兵志はコートを着ながら、連絡事務室の女性と共に部屋から出る。


(最近機会がなくてあまり構ってやってなかったからな。たまにはわがまま聞いてやるか。無視するのは可哀想だからな)


 兵志はコートの襟を正すと、特に気負うことなく歩き出した。


────……✧


『軍警』の拠点──《四方山よもやま》。

《四方山》は、山の頂上をえぐり取って底を平らな窪地にしたような場所にある。

 

 元々『軍警』の拠点がある山は、普通の山だった。

 だが『不解』の影響を受けて、とある港町が山の頂上に転移した。

 その港町を『軍警』が《四方山》という拠点に改造したのだ。


 獅子我兵志が向かっているスパリゾートホテル霧雲は、元々港町で温泉レジャー施設として運営されていたホテルだ。


 いまも、ホテル霧雲の施設内には様々な温泉施設・プールが複数設置されている。

 だがホテル霧雲の施設を『軍警』の隊員が使用することはできない。

 ホテル霧雲は『不解』である妖魔が住処として利用しているからだ。


 兵志はホテルに入ると、ホールの高い天井を見上げる。

 そしてそっと目を細めて、自分を待ちわびている妖魔を感じた。


「やはり五百藏いおろぎか」


 兵志が呟くと、兵志が感じていた『不解』の反応がにした。

 兵志はホールを歩いて、エレベーターの前にやってくる。

 そして自分を待ちわびている妖魔がいる、中階層にある大浴場へと向かった。


 妖魔という『不解』は母体と、複数の仔体こたいによって成り立っている『不解』だ。

 基本的に、母体は地下のプールから動かない。仔体は母体から生まれることもあれば、仔体が自分の肉を切り分けて別仔体を生み出すこともある。


 そんな妖魔は、人間を愛している。

 だが妖魔の愛し方は、人間とは違う。


 妖魔は人間を愛しているからこそ、人間で。そして壊す。


 身も心もぐちゃぐちゃにして、児戯のように無邪気に人を弄ぶ。

 愛しているから、人間の困った様子が見たい。

 だから尽くして侵して壊して──最期には喰らい尽くす。自分のモノにする。


 妖魔の愛は、人間にとってどこまでも加虐でしかない。

 それが、妖魔の愛し方だ。


 獅子我兵志はエレベーターに乗って、中階層にある男性用の大浴場にやってくる。

 脱衣所で裸足になると、兵志は大浴場に入る。すると、無垢に喜ぶ声が響いた。


兵志へいしっ!」


 兵志は煙る大浴場で、声が響いた方に顔を向ける。


「うれしい、兵志! 来てくれたのねっ」


 兵志を呼んだその仔体──五百藏いおろぎは、二〇代前半の女性のような外見をしている。


 涼しげで美麗な顔立ち。黒の長い髪と透き通った蠱惑的な紫の瞳。

 全てのひとを惹き付けてやまない、完璧なプロポーション。その艶めかしい肢体には、水着であるゴールドの縁取りがされた黒のビキニを身に纏っている。


 神秘的な、造りもののように美しい女性。

 だがその言葉は、適用される。


「兵志、のために来てくれてうれしいわ」


 兵志を甘い声で呼ぶ五百藏の下半身は、人間のものではない。


 へそがあるはずの場所からは、百足のような多足類に似た長い胴体が続いている。


 その長い胴体は端にいくにつれ細くなっており、先端には大小三つの鋭い棘。

 しかもその胴体の外側には、人間の足に近いものが六対一二本も生えている。


 五百藏の足は人間のものに似ているが、途中でひざ関節のようなものが二つある。

 ある意味で、その足は節足動物の節がついているような足だ。

 だがその足は、どこからどう見ても人間の足である。


 人間の足に似ているものが、人間の足とは全く異なる付き方をしている。

 それは身の毛もよだつほどにおぞましい姿だ。

 だが何故か、五百藏と呼ばれる妖魔はひとを魅了する雰囲気を醸し出していた。


 醜悪なのに、人々を魅了してやまない。それが妖魔という『不解』だ。


「兵志、来てくれてうれしいわ。本当にうれしい」


 五百藏は兵志の姿を見ると、巨体を素早くくねらせて兵志のことを抱きしめる。

 普通、妖魔の仔体に人間が抱き着かれれば、その人間の命は終わる。

 妖魔の力は強い。腕の当たりどころが悪ければ、人間首の骨なんて一発で折れる。


 だが五百藏は愛する存在を壊さないように、力を調整して兵志を抱きしめる。

 そして兵志の頬を撫でて、甘い声で囁く。


「兵志、わたしは肉が食べたいのよ。志鶴しづるにそう言ったら、後でいつものやつをあげると言われたの。でもね、兵志。わたしはいつもの肉が食べたくないの」

 

 妖魔は人間を魅了する、甘くて華やぐ香りを纏っている。

 兵志は五百藏に接近されて、きつい香水を嗅いだ時のように眉をひそませる。


 そんな兵志に、五百藏は甘く囁く。


「いつもの肉に飽きてしまったの。最近は《四方山》にが来ないでしょう。だから特別な肉を食べる機会がないじゃない。珍しいお肉が食べたいのよ」


 五百藏は無表情で立つ兵志に枝垂れかかって、口を尖らせる。

 兵志は無表情ながらも、五百藏の艶やかな黒髪を優しく撫でる。


「で? だから俺に珍しい肉をねだるために、志鶴をかたって連絡してきたのか?」


 五百藏は兵志に頭と髪を撫でられて、嬉しそうに表情をとろけさせる。


「そうよ、兵志。兵志ならわたしや他の姉妹が志鶴を騙って連絡してきたと分かってくれると感じたわ。わたしのことを想って、わざわざ来てくれることも分かってた」


 五百藏は本当に嬉しそうな表情のまま、兵志を抱きしめる。


「最近、兵志は姉さまたちに何もしてくれていないでしょう。だから私が志鶴だと偽って連絡しても、ちゃんと来てくれると思ったの」


 五百藏はふふっとたおやかに笑うと、兵志に甘く囁く。


「あなたのことならなんでも分かるのよ、兵志。だって大事なだもの」


 五百藏の言葉通り。


 獅子我兵志とは、妖魔の肉を用いて『軍警』の技術で造られた人造妖魔だ。


 兵志は妖魔でもあり、人間でもある。

 兵志も立派な、妖魔の一仔体こたいなのだ。

 だから妖魔も兵志も、互いの思考を感じ取ることができる。


「ねえ、兵志。姉さまのために肉を獲ってきて。お願い、聞いてくれる?」


 兵志は一つ、息を吐く。そして五百藏の頭を優しく投げた。


「分かった。たらふく肉を獲ってきて、たらふく食わせてやる」


 最近、兵志はあまり姉たちに構っていなかった。

 別に忙しかったわけではない。機会がなかっただけだ。

 たまには、こういう時があってもいい。


 兵志が返事をすると、五百藏は目を輝かせる。


「ふふ、ふふっ! 私たちの兵志なら、そうしてくれると思ったわっ!」


 五百藏はころころと可憐に笑う。

 そして甘い雰囲気をまとまったまま、兵志のことを強く抱きしめた。

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