第11話 カタオモイ

カタオモイ…アワビのこと。



大通り沿いの道を、むぎ子は聡と並んで歩いていた。半袖の隙間に差し込む夜風が、こびりついた汗を乾かして行く。お酢のにおいが、自分と聡の周囲にだけ、漂っている気がする。


「見ましたか、むぎ子さんが飲み会行かないって言った時の、林さんの顔。」


「見てないよ、そんなの」


「かわいそうだなあ、林さん。俺、もう見てらんないですよ。」


林さんは今や、「むぎ子を好きな人物」ということを、前面に売り出しているのであった。もちろんむぎ子にとってそれは、自分の付加価値を上げる、好都合な成り行きであった。


「聡くんは、彼女、いるの」


「知りたいですか?」


「うん」


「えっと、なんていうか、難しいとこなんす」


「どういうこと?」


「うーん、一言じゃあ言えないんです。複雑すぎて。」


「へえ、そうなんだ、じゃあいいや」


「そうなんです」聡は、がっかりしたのとホッとしたのとが混ざったような、複雑な顔で言った。


「本当は、聞いて欲しいくせに」


「まあ、そりゃ…」


むぎ子と聡は青になった横断歩道の前で立ち止まる。ここでお別れだ。


「聞かしてよ」


「でも、いいんですか、帰らなくて。忙しいんでしょ、課題で」


「いいよ別に。あれ、嘘だから。」


「あ、やっぱりそうなんだ」


二人は示し合わせたように、横断歩道の脇の、植え込みの近くまで避けた。


「同じクラスの子がね。ナナちゃん、ていうんですけど。」


「うん」


「その子がね、僕のこと、好きっていうんですよ。だけど、僕は、まだ、保留にしてるんです。」


「なんで?あんまり、かわいくないから?」


「それがね、結構かわいいんですよ。学年で、三番目くらい」


「へえ、勿体無い。なんで。」


「気になる人がね、いるんです」


「へえ…そうなんだ」


「その人が誰か、知りたいですか」


 むぎ子は聡のまっすぐな視線を感じた。彼はむぎ子の前に出ると照れくさそうにして、目をあっちやこっちやへ動かして、もじもじしだすのが常だった。しかし、今は若さゆえの乱暴なほどの純真さと危ういほどのまっすぐさで、真正面から見つめてくるのだった。


行き過ぎるヘッドライトが、むぎ子の疲れた目を、光でいっぱいにする。光が去ってしまった後も、眩しすぎる光の残像がまだ残っている。目がくらんで、前が見えなくなる。むぎ子は突然、自分がどこに立っているのか、これからどこへ行く気でいるのか、わからなくなる。


むぎ子は光の中で、自分より頭一つ分、背の高い聡を見上げた。彼はまだ17歳であった。むぎ子が苦しみの中にいた年。あの頃の自分には、すきだのはれただのなんだのとやっている余裕はなかった。


むぎ子はなんだか、彼が憎らしいような気持ちになってきた。


「いや、いいや。」むぎ子は答えた。「その人のどこが好きなの。」


「うーん、なんか、かわいそうなとこかな。」


むぎ子は聡を見上げた。かわいそうなところ?どこが?


むぎ子はただ、「じゃあ、応援するよ」とだけ言った。「ありがとうございます」と聡は、照れ臭そうに言うのだった。


「ねえ、飲み会、顔だしてみようか」


「えっ?」


「きっとみんな、驚くよ。行こうよ。」


「行って、どうするんですか」


「わかんない。成り行きまかせ。」


むぎ子と聡は、連れ立って元来た道を歩き出した。むぎ子は衝動的に、店長に対して、あばずれの自分を見せつけてやりたくなったのだった。

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