第一章:死に戻りからの婚約拒否と出会い
第2話 過去と今の失恋
ネットショッピングで買った最新ストレートアイロンで素早く前髪やサイドの髪を伸ばす。ネットショッピングの無料本に書いてあった通りに、チープだけれど最新化粧品を使ってチークとアイシャドウを素早く入れる。口紅も優秀だけれどチープなもので、十分だ。昨晩急いで塗ったペディキュアもキッパリとした明るい色合いで良い感じだ。
私は自分の印象を変える。
彼に裏切れられた失意のあまりに踏み切りに気づかず電車に跳ねられて死んだ私は、1年前の過去に戻った。過去に戻ったと気づいたのは1週間前だ。彼と彼女が最初に出会った日の前日、私は彼と会っていた。これは死んでから私が気づいた、彼と彼女と私の関係のトリックだ。
私は今日、軽やかに彼にフラれるために会う。笑って、フラれよう。手頃な値段のワンピースを新調して、胸を強調してスタイルの印象を変える。より女性っぽく。より軽やかに。手頃な値段の鞄で、敢えてパイスラッシュする。ペディキュアが目立つサンダルをはく。これも格安だけれど、素敵だ。
彼に最低なことを言って、私は今日彼にフラれるのだ。
運命通りならば、彼は明日彼女に出会うはずだ。
もう二股されるのも、無闇にキープされるのも真っ平だ。ならば、彼が彼女に会う前に私は軽やかにフラれよう。彼好みでいるのをやめよう。学歴や賢さを好む彼のターゲットゾーンから外れるのだ。
待ち合わせの場に着くまでに、多くの男性の視線が私に向いているのを感じた。アイロン効果は抜群だ。
――ワンピースとパイスラッシュでこれほど男性の視線を集めるとは……。
「お待たせ」
私を見つけて驚いた表情で凝視している彼を前に、私はにっこりと笑った。彼の視線は私の胸に釘付けだ。
――おっと。
計算違いなほどに彼は釘付けだ。
少し不安が頭をよぎったが、私は作戦通りに進む。
「新鮮だ……」
彼が驚いた表情で私を見つめてつぶやいた。私はにっこりとした表情で、「ごめん、他の男性と寝ちゃった。これは彼の趣味」と言った。
彼が目を見開いた瞬間、激怒することを私は期待した。彼は私にグッと詰め寄って歩いてきた。
「俺のものなのに……?」
――そうそう。そう思っていたでしょう?さあ、私をふってください。
「なんでっ!」
彼が私を熱烈な視線でジトっとした目で全身を見つめた。
――うん?様子が変?
「ちょっとこっち来てちゃんと話そう」
彼は私の手をとり、しっかりと恋人繋ぎをしてきた。
――え?
「俺は別れるつもりはない。そいつと別れて。別れたくない」
――いやいや、きっと明日になったら彼女と出会って、私のことをキープにするくせに。
「じゃ、明後日また答えをくれる?」
「やだ」
私はハッとして彼を見た。
――逃げる魚は大きいという思考回路に入ったのか?いやいや。それだと困る。
「待って。私は浮気したんです。だから、あなたに相応しくない」
「そんなことない。一層良い!今日の君は俺のど真ん中だ」
――あなたの『ど真ん中』とは、あなたは明日会う運命だから、私ではないから!
「ちょっと今日は他の人と会うから。帰るね」
「やだ」
――だめだ。私はあなたにフラれて、心底死ぬほど失意のどん底に陥って、踏み切りに気づかずに線路に侵入して命を失ったんですよ。あなたのことが大好きだったのに、あなたは私の他の人と行為をしていた。いやなのです。あなたのそばにいるわけには行かない。
「ごめん、今日は帰る!」
私は走って去ろうとした。
「待って!」
抱き止められた。これから私を裏切るであろう男は、私の真実ではない姿にゾッコンのようだ。私は泣きたくなった。
――あなたにフラれたせいで私は1年後に死んだ。いやだ。こんな男のそばにいたらだめだ。こいつは私の恋心を踏み躙るやつだ。
「離してくれる?」
私は彼を泣きながら見上げた。彼は驚いた顔で私を見て、そのままキスをしてきた。私は大好きだった人にキスをされた。
力が抜けて骨抜きになる前に、私は彼を押して身を離した。そのまま走った。泣きながら。
そして、そのまま落ちたのだ。マンホールに。なぜ、そこのマンホールが空いていたのかは、誰にも分からない。
今度こそ完全に死んだと思った。
――なんで私だけこんな目に。
真っ暗闇の中で私はそう思った。
◆◆◆
目を開けると、私を睨むように見下ろす高貴な雰囲気の若い男性がいた。驚異の美貌を誇る彼は、ブロンドヘアを無造作にくしゃくしゃにしており、氷のようなブルーの瞳で私を見つめている。私の心臓は死にそうなほど高鳴っていて、私は思わず彼の放つ雰囲気にたじろぐ。
「君とは結婚できない。別れてくれ」
彼はそう言った。私は既に泣いていた。胸が痛い。震える。現実のものとは思えないといった思い。
一方で、一瞬、私の脳裏にまるで真実の出来事であったかのように蘇った記憶はなんなのだろう。フラれて死んで、1年前に戻ってその時点でフラれるように仕向けようとしたら、また死んだ記憶だ。
記憶の中でも私は死ぬほど相手のことが好きだった。目の前にいるのはアルベルト王太子だ。私は公爵令嬢で、彼の婚約者で結婚式の1週間前にこっぴどくフラれようとしていた。私のドレスは彼に会うために気合の入ったおしゃれをしているものだ。
「わかりました」
私は震える声でそう言って、歯を食いしばろうとしたが、嗚咽が漏れてしまった。アルベルト太子は私を少し困ったように見て、「泣かないで」と言った。
これは、彼の今まで幾度もあった、私の愛を確かめるための戯言だろうか。いや、違うだろう。今回ばかりは本気だ。私はアルベルト王太子にゾッコンだった。彼がここまで冷たい目線を私に向けるのは初めてだ。
私はもうこの国では生きてはいけない。挙式の1週間前にアルベルト王太子にフラれた公爵令嬢に生きる道はないだろう。人々は事の顛末を全員知っている。この国を出るしかあるまい。
私は宮殿の外に出ようと部屋を出た。外で侍女が待っていてくれた。私の涙を見て、侍女はハッとした表情になったが、黙って私に従ってついてきてくれた。
間もなく、王家から父にも母にもこの事実が伝えられるだろう。
「生きていたくない」
私はふと思った。記憶の中で、別の世界を生きていた私はフラれる1年前に戻った。あれはどうやって戻ったのだったのだろう?死ぬ直前に魔力を発揮したとか?
今の私には魔力があった。ただ、記憶の中の私には魔力がある人生は送っていなかったように見えた。
そんなことをぼんやり思いながら、私はよろよろと歩いた。
「お嬢様っ!」
侍女の声がして、私はハッとして顔を上げた。1週間後の結婚式に向けて運びこまれていた、屋外パーティ用の資材の一つが、馬車の二台から転がり落ちてきた。
――あぁ、ここでも事故で死ぬのか。
私はふとそう思った。真っ暗闇の中で。
◆◆◆
しばらく、明るい光を感じて目を開けた。
「お嬢様っ!」
「アルベルト王太子様がお待ちですよ!」
何人かの侍女が私の部屋にいそいそと走ってきながら、私に声をかけている。私はドレッサーの前に座り、化粧のできあがりをチェックしていた。
――死んでない!?
――戻った!?
私は予感に震えた。これは1年前に戻ったのではないか?
「今日は……」
「はい、1867年、6月20日ですよ。王太子様にご招待された日でございますでしょう?まったくお嬢様は魔力の研究と鍛錬にご熱心なあまりに約束事をすぐにお忘れになってしまうので、困りますわ」
侍女のテレサがぶつぶつ文句を言っている。彼女の赤毛の髪は今日もくるくると綺麗に後ろにまとめられていて、エメラルドの瞳は文句も言いながらも輝いている。
「いいですか?今日はきっと婚約指輪を渡される日でございますわよ」
テレサは私を輝くように期待を込めた表情で見つめてささやいた。
そうだ。1867年、6月20日は私がアルベルト王太子に婚約指輪を渡された日で間違いない。私もしっかりと覚えている。その1年後、挙式1週間前に別れを告げられるのだけれどね。
私は今体験していた夢のような出来事を思い返した。
指輪を受け取ってはならないわ。挙式1週間前に振られたら、洒落にならない。そんなに最愛の方でも、私はアルベルト王子と婚約する未来を選択してはならない。私の魔力が予知夢を見せてくれたのであれば、それを活用して、人生の選択を変えよう。
私は急いで衣装を変えようと思った。
――胸を強調して、口紅を濃くして、もっと色っぽく。未来の王妃に相応しくない女性だと思わせて、今日は盛大に、誰にもこの婚約が公開される前に密かにこっぴどくフラれるのよ。
私はバタバタとドレスを自分で脱ぎ始めた。
「お嬢様っ!?」
テレサともう一人の侍女のミラが大慌てて私を止めようとした。
「夜会の服よっ!私が大っ嫌いだと思ったあの服を出して頂戴っ!路線変更よっ!」
1867年、6月20日。この日、私は大好きなお方にフラれて、死なない運命を選択しようとしたのだ。哀れな自分を最低限守るために。
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