生きる・きた ‐ パート2(日本語)
そして、僕は本当にその報酬を得た。
さっきも言ったけど、僕は他の人たちと違って学校に行くのが好きだった。
それは、僕もまた、そこで人に好かれていたからだ。
どうやら、かつて無礼だった僕の過去は、一生懸命に良い人間になろうとした努力によって帳消しにされたようだ。
もちろん、まだ僕に対してわだかまりを抱いている人もいたし、それを非難する気はない。彼らが僕に腹を立てるのは当然のことだ。
でも、時々自分が誰かのために生きているように感じることがある。
父が誇りに思ってくれるように彼と一緒に鍛錬する。
先生たちに叱られないように良い成績を取る。
そして、他人に好かれるように一生懸命に努力する。
「僕は何をしたいんだろう...?」
僕は雨空を見上げて、そこに何か長く隠れていた願望が湧き出てくるかのように、魔法のように現れることを期待してみる。
あの灰色に渦巻く空を見つめていると、ただ立ち止まって迷ってしまうのを避けられない。
音楽…物理学…コンピューター科学…勇者になる!待て…いや、それは馬鹿げてる。もっと現実的になれ、僕。うーん…何が好きなんだろう…うーん…小説…冒険がもちろん…
確かに、僕はそれらが好きだ…でも、本当にやりたいことだろうか?わからない。
簡単な道は、今のように学校を続けることだ。それは少なくとも良い未来を約束してくれるし、人生には満足している - 自分の進歩を実感できるから。
これは本当に「幸せ」なのか?それともただの「快適さ」なのか?もしその違いを目の当たりにしたとして、僕は気づけるだろうか?
…
ああ…それでも、何かが足りない。
でも、それが人間であるということだよね?人間である限り、僕は常にもっと何かを求めるだろう。それが本当に何かは分からなくても。
ねえ…もし僕が子供の頃、例えば8歳くらいに戻れたとしたら。その時こそ、もっと「リスキー」なことを試すかもね。何しろ、裕福な家庭という安全網があるわけだし。
僕は『本当は』何でも手に入る銀の皿に載せられた裕福な子供になりたいわけじゃない。
でも一方で、せっかく生まれ持った機会を無駄にしたくもない。
運命に逆らって、確実ではない何かを追い求めるのは、運命に対して失礼な気がする。
もし僕がこの家庭に育たなかったら、どんな自分になっていただろう?全く別の人間になっていただろうか?それとも、魂の底から同じ人間であるのだろうか?
例えば、実際に人生で本気の困難に直面したら、僕は引きこもりになってただ隠れるような人間になっていただろうか?
『困難』や『難しさ』は、僕の人生では本当に経験するものではない。僕にとって一番難しいことは、その傲慢な思考を抑えることだった。
もしただコンピュータに縛られてしまったらどうだろう?あるいは…あるいは…
考えるだけ無駄だ。今はただの独り言だし、何が言いたいのか自分でもよく分からない。
「はぁ…もし今日世界が終わるとしたら、僕は自分の成し遂げたことに満足できると思う…そうだな、この人生に不満はないはずだ。」
君が僕の立場だったら、同じように考えるだろうか…
誰かの視点から本当に物事を見るのは難しいと思う。少なくとも、僕はそう思っている。
その人の人生について全てを知らなければ、本当にその人生を変えたいと思うかどうか分からない。
さあ、今日はこれくらいにしておこう。授業のためにエネルギーを残しておかないとね…
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