🔮パープル式部一代記・第六十八話

 晴明はるあきを残して先に出た和泉式部は京への帰り道、絡んできた見るからに怪しげな男、本物の追い剥ぎの首筋に、無表情なまま例の釵子さいしを突き刺し、真紅の糸を一筋垂らしながら倒れた男を足蹴にして道端に転がしてから、ふと、かぶっていた市女笠いちめがさを脱いで、空を見上げてひとり言を口にする。


「左大臣、藤原道長か……まあ顔よしで家柄もよしで性格も悪くはないケド……女を見る目がわね……保昌やすまさには遠くおよばずってところかな……」


 親王の兄弟すら手玉に取った女は、そう言ってから持ち歩いていた、干して焼いたイワシをくわえて市女笠いちめがさを再びかぶり、帰り道を急いでいだ。


『早く帰って、紫式部のところを覗かなきゃ! 紫式部アイツと一緒なんてなんの心配もないケド、保昌やすまさが大変な目にあってそう!』


 そんなことを思いながら、京の入口の羅城門がようやく遠くに見えた頃である。門の向こうから狩衣姿で騎馬の保昌やすまさが彼女に向かってきたのは。一瞬でやってきた彼は自分の前で馬を降りてふわりと抱きしめてくれる。


保昌やすまさ……?」

「おかえり……疲れただろう?」


 最近のことがあれば、嫉妬のひと言、文句のひとつもあるだろうに、この精悍で勇猛果敢な男は揺れる心を隠してなにも言わない……。


「やっぱり保昌やすまさが一番ね……ようやく見つけた……一生愛してるわ……紫式部は?」

「元気になったから、いまごろ勝手に自分のつぼねへ帰ってるよ……」

「なんにも分かっちゃいない女だけど、自分のだけは、分かっているのね……」

「なにか言った……?」

「ううん、ついでに少し遠乗りして!」


『最初に自分のに出会えた幸運に、きっと生涯かけても気づかない馬鹿な女に少し嫉妬しただけ……』


 保昌やすまさは、あとで道長に勝手に俺の馬を……なんて説教されていたが、和泉式部が思惑ありげな笑みを道長に向けたので、彼は報告を受けるべく、誰も近づけるなと言いつけ、やかたの大きな池にかかる朱塗りの反橋へと連れだって歩く。


「……あれは仰せの通りの処理をして参りました……ありとあらゆる場所から血を流し、最早この世に姿なく……」

「ふん、ご苦労……」


 彼女はチラリと黒くなったがついた釵子さいしを見せ、道長は納得してどこかに消えていた。


「ここにも馬鹿な男がひとりいたわね……自分の心すら解らないくせに、解った風に、人と国をもてあそぶ男……」


 和泉式部の小さく囁くような声は、池の水面みなもと通る風だけが聞いていた。


 ***


 話は戻るが時鳥ホトトギスに変幻させられた御匣殿みくしげどのは、すぐにも凍えてしまい、そのまま浄土へと向かう道すがら空の向こうに見える遠くの端に、うっすらと姉の気配を感じていた。


『姉君……?』


 ぎっしりと雪に囲まれた小さな家の中で姉の定子は、清少納言とハフハフ言いながら餅を食べている。横では、幼い女童めわらが寝ていた。


藤式部ふじしきぶのおかげ……あ、紫式部むらさきしきぶになったのね?」

「そうらしいですよ。正確にはのままらしいですけれど。なんでも、顔面から遣水やりみずに落ちて顔が紫色に……で、紫式部……ぷっ!」

「あらあら……」


 死んだと思っていた、鬼にさらわれたと思っていた姉は、本当は……あの女、紫式部のお陰で、幸せに暮らしているようだった。


『恨む相手を間違えていましたよ……』


 うっすらと聞こえた、陰陽師の最後の言葉が時鳥ホトトギスの頭をよぎった次の瞬間、小さな体は現実の世界へと帰り、どこかへ叩きつけられていた。


「あらっ!? なにかぶつかる音が!」

「わたくしが見て参ります!」


 清少納言がなんとか外を覗いて見ると、入口の側に冷たくなった時鳥ホトトギスが落ちていた。


「まあ、なぜこんな季節に!?」

「まだ生きています!」


 真冬の越後に現れた弱り切った時鳥ホトトギスは、ふたりの世話で、なんとか元気を取り戻し、春になる頃にはすっかり定子さまの家にいついていた。


「あなたは不思議な子ね。なぜか亡くした妹の時子ときこを思い出すわ……」


 時鳥ホトトギスとなった、黄泉の国へ行かなかった御匣殿みくしげどのの名前は、時子ときこであった。そして、定子さまがそう口にした瞬間、呪いが解けたように時鳥ホトトギスは、元の姿に戻っていたのである。


時子ときこ……!」


 再会した姉妹は、お互いの長すぎる不思議な体験を、なん日も語りあっていたという。


 ***


(※時子ときこは仮名です)


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