🔮パープル式部一代記・第五十五話

『冷たい……床下に遣水やりみず(人工的なやかたに流れる小川)が通っていたとは……しかも結構深いな……』


 藤式部ふじしきぶは、最短距離で移動しようと、床下に流れてた遣水やりみずを袴をまくり上げて、それでもびちゃびちゃになりながらなんとか渡ると、ラフレシアが踊っている真下へと到着して、遠くに見えるモヤモヤした人影を目を細めて見つめていた。人影は、ふいと手を上げて、なにかを抱きかかえる仕草をする。


 すると、突然、床の上からの叫び声が響く。


『なにやってんだあいつ? ラフレシアには慣れているはずなのに?』


 怨霊? を観察していた藤式部ふじしきぶは、ラフレシアといるはずの道長の叫び声にしかたがないなと、床下から外に出て木の階段の横から、ひょっこりと上を覗いて見ると周囲の女房や家人たちは気絶し、手にした箱を開けて青白く燃える焔を自分に移した「ラフレシア」がにがっつり抱きついていた……いや、首を締め上げている。


『こっ、これはまさしく、なまの怨霊の祟り! 怨霊とラフレシアが同じ格好をしているっ!』


 せわしく怨霊とラフレシアの動作を、交互に確認した藤式部ふじしきぶだったが、今日はは持っていなかったので、平安時代の「文官持ち歩き必需携帯文房具」の一種「刀子とうす」と呼ばれる、文字を修正するための超豪華な「誤字修正用の紙削りの道具」を、香木でできたさやから素早く抜くと、ラフレシアを蹴り飛ばして道長から引き離し、燃えかけている道長を、びしょ濡れの袴で踏んずけまくり取りあえず鎮火させる。


 そして、「ラフレシア」を攻撃しようか、怨霊を攻撃しようかと交互に見ていると、姿が燃えたことで、「ラフレシア」の髪飾りに見えた木の板に書かれていた「呪・道長」と書きこまれた木札が見えたので、取りあえず「呪」の左部分を素早く刀子とうすで削りとり、彼の文机の上にあった筆で「呪」を「祝」に書き換えてみた。


 すると、予想通り燃えていた「偽ラフレシア」は、なにやらよくわからない変な踊りを踊りつつ風に乗って消えてゆく。


「あ……この刀子とうすせっかく東北の寺でもらった凄く神聖な業物わざものと聞いていたのに……」


 呪いの木札を書き換えたせいか、霊験あらたかな刀子とうすは刃がこぼれて、もう本来の用途には二度と使い物になりそうになかった。


『少しでも元を取らねば!』


「おのれ――まていっ! そこの怨霊!」

「ゆかり、危ないからやめとけっ!」

「じゃますんなっ! あいたっ! ぎゃっつ!」


 道長は、刃先の欠けた刀子とうすを振り上げて、階段を駆け下りようとした藤式部ふじしきぶを、我に返って袴を引っ張り怨霊捕獲にゆこうとするのを、強引に止めていた。

 

 そして、急に止められたゆかりは、勢いそのままに階段を転げ落ちて、綺麗な白い珠のような石が敷き詰められた遣水やりみずの中に、今度は顔面から落ちていたのである。


「あいたたた……バカさま、お前~~!」

「あとで、顛末てんまつを教えてやるからは専門家にまかせておけ……」

「わたしの素晴らしい霊験あらたかな刀子とうすはっ!?」

「……もっといいの取り寄せてやるよ」

「約束だからな……いい寺で祈祷きとうもしてくれよ?」

「国で一番の寺に頼んでやるよ……」


 そうこうしている間に、怨霊は消えてしまったので、この寒空の下で興奮の冷めたゆかりはガタガタ震えながらも、「絶対に弁償しろよ……」なんて念を押しながら、自分のつぼね賢子かたこ小式部内侍こしきぶのないしも一緒に連れて帰ると、びしょびしょの単衣ひとえと袴を脱いで、追い剥ぎをする気力もなかったので、「イワシの反物」をくるくると引き出して、ふたりが特急で縫い上げた寝間着を着ると、掛布団代わりのふすまをなん枚も重ねて眠っていた。(なにせ、着の身着のままでここへ転がり込んでいたのである。余分な装束などなかった。)


「あのラフレシアはニセモノだったんだって……」

「そういえば少し地味だったような気もする……」


 賢子かたこ小式部内侍こしきぶのないしは、「イワシの反物の使い道があってよかった」なんて言いながら余り切れで自分たちの寝間着も縫って、三人お揃いの「イワシの寝間着」で「今日はもう遅いから、報告はまだ今度……」そんなことを言いながら自分たちのちっちゃなふすまへ潜り込んでいた。

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