🔮パープル式部一代記・第五十三話

 さて、汝梛子ななしが『賢子かたこ』となったとき、もうひとりの女童めわらも名前を変えていた。


 緑子みどりこと呼ばれていた娘である。彼女は『小式部内侍こしきぶのないし』と呼ばれることに決まっていた。


「一応、和泉式部の籍は残ってるらしいから帰ってきたら、ややこしいからさ……」

「はあ……(わたしも、もっと素敵な名前欲しかったな……)」

 実は、緑子みどりこは和泉式部の娘であった。


『誰の子と言われても……産んだのは産んだけどね』


 そんな言われようの彼女は、一応の戸籍上の父は、道長の側近である橘道貞たちばなのみちさだであったが、「俺の娘……どうかな……う――ん、分からんな――ま、いいや。それより仕事仕事……」父(たぶん)にまでそんな言われようで、たいして愛されることもなく、早々に出仕していたのである。


 そして、駆け落ち騒動でどこにいるやら分からない……そんな母からなにかしら心配の文が……などと、小式部内侍こしきぶのないしは実は心待ちにしていたが、心配の涙から今度は嬉し泣きの続く賢子かたこの横で、彼女はなにかを持って、深いため息をついていた。


「緑子……じゃなかった、小式部内侍こしきぶのないしちゃんどうかしたの?」

「今度、一緒に賢子かたこちゃんと裳着もぎをするのを母が伝え聞いたみたいで……お祝いが……」

「え? よかったじゃない!? やっぱり娘を心配して……え?」


 小式部内侍こしきぶのないしが持っていた包みには、「イワシ柄の反物」と、「イワシの干物」が入っていた。


「おいしいからって最近はまってるらしくって……一体どこにいるのやら……」

「イワシ柄……う――ん、寝間着にするしか……」

賢子かたこちゃんが見てもそう思うよね……」

「え? それは、どういう意味!?」


 賢子かたこは、正式な場ではともかく寝殿入り姫君たちからはマニア受けのするを考え出す娘だと、この頃になると一部で熱狂的に支持されていたのである。


 なお、これは歴史には残っていない話ではあるが、平安時代と言っても長いので、その間に装束はじょじょにモデルチェンジしてゆくが、時代が流れゆくにつれて、柔らかだった装束が強装束こわしょうぞくとまで呼ばれるようにまで、、文様も先鋭的になっていったのは、堅子のせいである。堅子は時代を先取りしすぎたのだ。


 そんなこんなで、寝殿入り娘の姫君たちは、それぞれにあつらえた「賢子印」のを着て母たちが眉をひそめるのも気にせず、たまに方忌みを理由に、どこかのやかたで、いわゆる女子会を開き、お互いに自慢しあっていた。


 もちろん、中宮・彰子もなん枚かあつらえて、ごくたまに、藤壺で限定の女子会「藤の集い」を開いては、「賢子印」のの新作を着て、賢子印の装束ファンの姫君たちから、「やはり今回の新作もいと素晴らしき……中宮さまは分かっていらっしゃる……」などと、うらやましがられていた。


 そして賢子かたこは、すでに不相応に高貴な公卿の子弟たちから恋文こいぶみを受け取る美少女になっていた。さすが、万年モテ期だった亡き宣孝のぶたかの娘である。


「ま、母も目が覚めたし割合に元気……とにかく、仕事は山ほどあるから、ひとつひとつ頑張ろ……」

「そ、そうね……」


 なにせ、焼き出されて駆け込んだ臨時の里内裏である。ふたりは、「イワシ柄の反物」を置いて、土御門殿つちみかどどのの中で、取りあえず中宮さまに藤式部ふじしきぶが目覚めたとご報告しようと、寝殿の母屋に向かっていた。


 一条院、東三条院ひがしさんじょうどの、そして土御門殿つちみかどどの、取りあえず空いている場所に避難していた帝や中宮、その他大勢は未だに、アレヤコレヤと右往左往していたのである。


 そして、蔵書が燃えたショックで寝込んでいる帝をよそに、道長は後処理に追われていた。


「これで通算三回の火災! もう笑うしかないな!」

「おい道長! まだ火が収まってないのに不謹慎!」

「これをきっかけにウチの彰子あきこと距離を縮めて……」

「人の話聞けよ!」


 藤原行成ふじわらのゆきなりは、そんなことを言ってから、自分のやかたに帰ると、息子と、道長の次男である藤原頼宗ふじわらのよりむね(大きくなったいわおちゃん)が、なにやら真剣に話し込んでいた。


汝梛子ななしが『賢子かたこ』になったんだって!」

裳着もぎが早く終わりますように、ようやく大人の仲間入り……なにか祝いの品を送る?」

「いいねぇ……」


 息子たちは、まだ藤式部ふじしきぶの娘に夢中な様子であった。


「~~~~」


 行成ゆきなりは未来に不安しかなかった。

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