🔮パープル式部一代記・第三十三話

※重いですが、次回通常運転です。


***


「だってそうじゃない。ははぎみは ごしゅっけなさっているのに うまれるなんて、へんじゃない! みんないってるわよ!」


 脩子内親王ながこないしんのうへ一体どう言えばいいのか……清少納言が戸惑っていると、そこへゆらりと皇后・定子さだこさまが現れる。


「ははぎみ……」

「おどきなさい! そもそも、そなたがであったなら、このようなことにはなってはおらぬ……」

「…………」


 皇后・定子さだこさまは駆け寄ろうとした脩子内親王ながのないしんのうに、そんなむごい言葉をかけてから、涙ぐんでいる彼女をきっと睨むと、乳母から敦康親王あつやすしんのうを奪うように抱き取って、どこかへと消えていた。


敦康あつやす……そなたが先に生まれていたのなら……」


 自分の周りにあふれていた当然だと思っていた光を、すべて失くした彼女は言葉も分からぬ赤子が泣き続けるのを、ぼんやりと焦点があわぬ瞳で見つめながら、過去を振り返る。


 関白であった父の藤原道隆ふじわらのみちたかが絶頂期、無理を推して中宮として冊立されてから彼女は帝に寵愛され、彼女と父の意向で兄の伊周これちかと弟の隆家たかいえ、そして連なる一族は栄耀栄華に包まれていた。


 いま、内裏を支配する道長など女院さまのお気に入り、それを知ってはいたが、帝と、その母である女院さまの間には深い溝があり、彼女は歯牙にもかけていなかった。

 帝は自分を優しく包む自分に、「いつも、いつまでも、側にいてくれ……やっと大切なそなたと出会えた……」そんな風におっしゃってくれていて、彼女は大切に育てられた姫君のまま、笑顔で帝と幸せに暮らしていた。


 だが、その永遠に続くはずであった幸せは、父、藤原道隆ふじわらのみちたかの死によりすべては幻であったかのように、あまりにも早く霧散して彼女の前から消えていた。まるで、崖から突き飛ばされたような思いであった。


 父を失ったあとは、父のすぐ下の弟であった叔父の道兼みちかねが、自分の息子であり兄の伊周これちかを後継ぎにと考えていた、父の思いとは異なり、関白として後を継いでいた。


 血筋の問題だとされていた。

彼は、一条天皇の母である詮子あきこ、女院さまの兄弟であった。くらべて兄の伊周これちかは女院さまの甥に過ぎず、そして、彼女はそのときになって、ようやくいびつな父の兄弟間のつながりに気づき、本質を見抜けずに兄を関白へと押し上げることができなかったのである。


 あっという間に父の後を追った……そんな叔父の道兼みちかねと、そして帝の母である詮子あきこは、定子さだこの兄である伊周これちかと父にあたる道隆みちたかを、ふたりの不遜をじっと腹の奥に深く溜め込んでおり、すでに疫病にかかった……そんなおのれを知っていた道兼みちかねは、最後の力を振り絞って関白に就いた。


 関白は、……その先例を作るために、弟の道長に摂関家の後を継がせるためだけに、死を悟っていたにも関わらず彼は参内し、その執念だけで関白の宣下を受けていた。


 ゆえに、なにごとも、「先例通りに……」そんな重く払いのけられぬ潮流が内裏を支配し、たとえ帝の寵姫であった定子さだこにも、それは最早、覆せぬ決定事項となり、せめて兄の日頃のおごり高ぶった、そんな行いをいさめておけば……そう思ったのも後の祭りであった。


「お前は国母になるのだ……」


 そんな風に、父に洗脳されるように溺愛と言う鎖に繋がれて学識深い母にも隙なく育てられた彼女であったが、その後、兄弟が起こした不始末で発作的に出家して実家も火事で全焼していた。


 帝の寵愛は変わらなかったけれど……


 しかしながら、はたと、ようやく思い立っていた。


『わたくしは本当にあの御方みかどを愛していたのだろうか?』


 帝は、脩子内親王ながこないしんのう敦康親王あつやすしんのうを慈しみ変わらずに自分を愛してくれている。だが、いまこうしてじっと幼い敦康親王あつやすしんのうを、感情のこもらぬ目で見つめて思う。


 わたくしは、みなの都合のよい「人形」であったのだと……


 あの帝でさえ母である女院とのわだかまりが解けた様子で、最近では以前のように足しげく通わぬようになっていた。「源氏物語」のせいだ。道長のせいだと思っていたが……


「ははっ……」


 なんてことはない。帝にとっても、自分は、「理想の母」、「母の代わりの人形」であったのだ。


 清少納言に明日ちゃんと謝ろう。自分だけをずっと確かに支えてきてくれた彼女に……そう思っていると不意に不快な、そしてよく知った感覚が体に沸き上がっていた。


 ああ、どこまであのおとこは、わたしを苦しめるのであろう……そう感じ、その思いは、すぐに確信に変わっていた。周囲はまたわたしを誹りあらゆる言葉の石を投げつけてくるだろう。


『出家してもなお帝の寵愛を受けて身ごもる不埒な女……』


 そんな風評が広がってしまうことが……分かっているのに……もう、敦康あつやすだけでよかったのに……すべては脩子ながこが男でなかったからだ……くらりとなり定子さまは畳に伏していた。


「お、おかみふみを……」

「皇后さま! 気をお確かに! 人手が足らぬ! はよう誰か!」


 そうして、そんな騒ぎの中に唐突に巻き込まれた赤染衛門あかぞめえもんは、「え? あの、その……出家している皇后さまが……え? え? え?」などと呆然と皇后さまが眠る御几帳台の周囲で巻き起こっている慌ただしさを離れ、実に至極普通で生真面目で、あまり夫から悪しき内裏のアレコレを、あえて聞かされていなかった彼女は、とにかく訳が分からぬと、「誰かに挨拶をして、早く藤壺へ帰ろう……」そう思った矢先に、「なにが悪いのか……ぜひ、名のあるあなたさまに……」「ひっ!」そんな風に思い詰めた清少納言せいしょうなごんに、彼女のつぼねに引きずり込まれて、延々と物語のよし悪しの分かる者がいない……そんなグチを聞かされていたのであった。


「あ、あの……皇后さまのお側にいらした方が……」


 赤染衛門あかぞめえもんは遠回しに、「早く帰して欲しい」と言ってみたが、状況は更に悪化していた。


「その皇后さまに捧げるために、これを完成させるまで、ここに留まって頂きたい……」


 赤染衛門あかぞめえもんは、どこからか持ち出された紐で、グルグル巻きにされると、やはりどこかへと先を繋がれて、延々と、「パイロット版・枕草子物語」について、あれやこれやと詰められていたのであった。


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