第15話 出会い


 ***




 私が生まれたのは、本当に小さな集落だった。お父さんと、お母さん、そして弟のいる私の家は、貧しくて明日食べる物にも困っていた。


「アコリ、これを食べなさい」


「わあ! 今日はごちそうだね。どうしたの?」


 冬の寒さがドアの隙間から漏れるボロ家のテーブルで、私はお母さんが出してくれた木の器を前にごくりと喉を鳴らした。


 お肉の入ったスープを見るのも初めてかもしれない。


 私は木のスプーンで勢いよく暖かいスープをかきこんだ。


 甘くてしょっぱい味がした。身も心も温かくなった私は、眠い目をこすりながらお母さんにおかわりをおねだりする。


「ごめんなさいね。ごちそうはそれだけなの。でも大丈夫よ、あなたは明日から毎日こんなごちそうが食べられるから——イイ子にしていればね」


「明日から?」


 七つになったばかりの私は、母の言った意味を理解するだけの知力も経験も持ち合わせてはいなかった。


 そして幸せな気持ちのまま眠りについた翌日、私は孤児院に連れていかれた。



 

 アコリーヌという名を与えられ、孤児院で新しい生活をすることになった私は、最初泣いてばかりだった。


 けど、そんな私も二度と家に戻ることができないとわかると、もう泣くこともなくなった。


 それに孤児院にはあったかい寝床も、美味しいご飯もあるから、それ以上泣く理由もなかった。


 お母さんと離れる事よりも、衣食住がきちんと保障される方が楽だったのだ。


 それだけ過酷な生活をしてきた。だから、自分だけ幸せになるのは、ちょっと気が引けたけど、それでもいつか私が大人になって働けるようになったら、お母さんやお父さんの力になれるということを教えてもらった。


 孤児院では男の子は勉強や武術を、女の子は裁縫や料理を学んだ。


 頑張れば、王宮に仕えることもできると言われて、私は毎日手を血だらけにしながら刺繍を勉強した。


 孤児院には一生いられるわけじゃないけど、十四歳までは生活を保障してくれると言っていた。


 だから私も安心して暮らしていたけど、一つだけ問題があった。


「うわ、こいつまた汚い刺繍をしてやがる。血まみれの刺繍なんか見えやしねぇ」


「うるさいわね。あんたこそ、勉強もろくに出来ないくせに文句ばっかり言ってんじゃないわよ」


 同じ年の中でも小さな私は、いじめっ子の標的になった。と言っても、私も十歳になる頃には負けたりしなかったけど。


 とくにゴリランという美少女みたいな外見の男子が、私によく喧嘩をふっかけてきた。


 ただ、一度ボコボコにしたら、ゴリランは泣いてしまって、孤児院のママにこっぴどく叱られたから、それ以来、腕力にものを言わせるのはやめたのよね。


 そして向こうも喧嘩で勝てないことを知ってからは、遠巻きに悪口を言ってくる程度になっていた。


 これはもう、いじめというより、ただの構ってちゃんだと思うんだけど……孤児院のママはいつも仲良くしなさいと言った。


 悪口を言う人と仲良くしなきゃいけないなんて、子供社会も大変よね。でもだからといって、それほど悪い暮らしだとは思っていなかった。


 ドブネズミみたいな生活を送っていた過去に比べれば、可愛いものだわ。だからお父さんやお母さんにも、早く楽をさせてあげたいと思った。


 そんなある日のことだった。


 王様と王子様が、孤児院に視察にやってきた。


 若者という風貌の王様は、とても素敵なお召し物をまとっていて、本当に同じ人間なのかと思うくらい綺麗な肌をしていた。


 この人たちは、きっと私とは別世界の人たちなんだ——そう思う中、孤児院のママたちは王様や王子様の来訪を歓迎し、できる限りもてなした。


 王様と一緒に食べる料理はいつも食べているような料理じゃなかった。パンも柔らかくて、お肉もスープもいつも食べている物とは全然違っていた。


 王様が用意してくれたらしい。この孤児院は国営だから、王様が管理しているんだって。


 そしていつかは、王子様が仕事を受け継ぐとか。王様がどんな仕事をしているのかは知らないけど、孤児院を作ってくれたことには感謝しかなかった。




「——おい、お前」


 大勢いる教室で、私が刺繍を頑張っていると——ふいに、視察に来た王子様がやってきた。


 私と同じ年くらいに見える王子様は、うさぎみたいに可愛い目をしていて、どう見ても女の子みたいだったけど、胴衣ダブレットに膨らんだズボン——トランクホースは男の子の装いだった。


 そして王子様はたくさん子供がいる中で、わざわざ私に向かって告げる。


「孤児院を案内しろ」


「え? 案内ですか?」


「そうだ。孤児院の生活とやらを見てみたいんだ」


「……はあ」


 王子様に直接指名されたわけだけど、どうやって王子様の相手をすれば良いのかわからないし、礼儀もマナーも知らない私が付き添えるとは思わなくて。


 思わず近くにいたママを見上げるけど、ママは苦笑するばかりで何も言ってくれなかった。権力者の言うことは聞くしかないって感じよね。


 周りの子供たちも王様が怖いみたいで、背中を丸めて縮こまる子が多かった。


 何か悪いことをされたわけでもないのに、変なの。


 孤児院を作ってくれた王様に感謝こそしても、怖がる理由なんてないのに。それともやっぱり、粗相そそうをしたらむち打ちとかされるのかしら?


 この国の王様がそんな悪い人なんて噂は聞かないけど……権力ってそれほど怖いものなのかしら?

  

 なんて思っていると、可愛い顔をした王子様が、焦ったそうに私の手を引いた。


「早く案内しろ」


「あ、はい! わかりました」


 私は仕方なく、手を引かれるがままに王子様を案内した。


 と言っても、手を引いて突き進むのは王子様の方で、ちっとも案内らしい案内をさせてもらえなかった。


 初めて来た孤児院なのに、王子様は全ての場所を把握しているようだった。


「あの、王子様……」


「なんだ?」


 ふいに、私が立ち止まると、王子様は少し煩わしそうな顔をして振り返った。


 その間もずっと、私の手を握ったままだった。けど、そこは指摘せずに、私は思ったままを告げる。


「王子様は、どうして部屋の場所がわかるんですか? さっきから、案内しようとしても、全部知っていたじゃないですか? 私が案内する必要なんてあるんですか?」


「グクイエだ」


「え?」


「僕の名はグクイエだ」


「グクイエ様」


「そうだ。……孤児院の見取り図を先に読み込んでおいたから、食堂や部屋の位置なんてすぐにわかる」


「じゃあ、なんで私に……」


「お前だけだからだ」


「え?」


「僕の目を見たのは」


「グクイエ様の目、ですか?」


「どんな人間も、父が怖くて——僕の顔すら見ないんだ」


 そう言ったグクエイ様はとても辛い顔をしていた。


 その時の私は、子供ながらにグクイエ様の孤独を感じ取っていた。誰にも目を合わせてもらえないなんて、それは確かに悲しいかもしれない。


 だから私は笑顔でグクイエ様の背中を叩いた。


「ほら、辛気臭い顔しないでください! 私はグクイエ様の顔を見てお話しますから」


「な、王子を叩くなんて無礼な」


「そうなんですか? じゃあ、これからは気をつけます」


「お前は変なやつだな」


「よく言われます」


 それから私とグクイエ王子が打ち解けるまでに、時間はかからなかった。


 グクイエ王子と日がくれるまでかくれんぼをして遊んだ私は、その後ママにこっぴどく叱られたのだけど、グクエイ王子が自分のせいだとかばってくれたし、それ以上咎められることはなかった。


 それにグクイエ王子には同じ年頃の友達がいないみたいなので、王様もたいそう喜んでくれて、月に一度はグクイエ王子を連れて視察にやってくるようになった。


 孤児院視察の回数が増えたことで、ママたちは少し複雑そうな雰囲気をしていたけど、それでもグクイエ王子の存在に慣れたのだろう。


 ママたちも微笑ましそうにグクイエ王子を見るようになった。


 そうしてグクイエ王子が孤児院に遊びに来るようになって三つの年が過ぎた頃だった。

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