第24話 夏祭り

「それじゃあ、僕は着替えるからちょっと部屋の外に出てもらっても良いかな」


「お、おい……! なんだよそれ……!」


 自分は郁人に着替えているところを見られたのに、郁人は逆に着替えを見せるつもりはなかった。


「えー? 風見君って僕の着替えているところみたいの? えっちー」


 郁人が冗談めかして笑う。郁人から「えっち」と言われるとなんだか不思議な気分になってくる。


「まあ、すぐに終わるからちょっと待っててよ。かわいく変身した姿を見せてびっくりさせてあげたいから」


「ほんとかよ……」


 仁志は外に出されてしまった。郁人の着替えを見たくないかと言われたら、そりゃ見たいわけである。


 しかし、下心以外で郁人の着替えを見る理由がない。


 郁人の場合は、着付けができない仁志を介助する目的があるから合法的に着替えを見ることができた。


 その不平等さにちょっと仁志はもやっとした気分になった。仁志がちゃんと着付けと女装ができたら、少なくとも非対称なことにはならなかった。


 いっそのこと女装を本気で勉強した方が良いのではと仁志は思い始めた。


 だが、その思考が出てきた時点で仁志は頭を横に振った。いけない。またわけのわからない感情に流されそうになるところだった。


 自分は郁人が言うから仕方なく女装しているだけ。そのスタンスだけは絶対に崩してはいけない。


 自発的に女装を始めたら、それはもう自分の趣味だと言われても何にも反論する余地がないのである。


 そんな仁志が女装沼に落ちかけたりギリギリで生還したところで……


「お待たせー」


 郁人の部屋から出てきたのは純白の可憐なる天使であった。


 普段とは違う恰好のさなえ。和装をすることで印象も変わってしまう。


 日本人の感覚に訴えかける美。雅やかな美しさを秘めながらも、いつも通りのかわいさはきちんと引かれていないそんな愛らしいさなえの姿があった。


 髪型はウィッグに髪留めを付けてまとめている感じで、お淑やかな印象を与える。


 仁志の紺色の浴衣とは対照的に真っ白な浴衣は二人並んで歩いた時によく映えるようになる。


 仁志が大人のお姉さん系でまとめられているとするならば、さなえはちょっと背伸びした感じのある妹系のような要望でほんの少しのあざとさをも感じられる小悪魔的な要素も含まれている。


「あっ……いいな。滅茶苦茶かわいい……」


 仁志はさなえの恰好を見てボーっと見惚れてしまっている。そんな仁志の様子を見てさなえはけらけらと笑う。


「もう、風見君。見過ぎだって! そんなにわたしのこの姿が良いの?」


「ああ。良い。正直なこと言って良いか? 抱きたい」


 あまりにも高校生男子の欲望丸出しの直球な言葉に、さなえは目をぱちぱちとまばたかせた。


「え? そ、そんなに? い、いやあ。まあ、僕も自己評価で結構、かわいいを追求できたと思うけど、そんなストレートに言われたら……」


「いやか?」


「あ、その……いやじゃないんだけど、ま、まだかなって。こ、心の準備とかあるじゃない!」


 さなえは仁志に求められて全く悪い気はしてなかった。それどころか、求めるタイミングさえ合っていれば押せばいける雰囲気でもある。


「あ、で、でも。今から夏祭りにいくから! そういうのはなし! なしだから!」


 さなえは頬を赤らめて手を振りながら、仁志を一旦は拒絶した。でも、これは精神的な拒絶ではない。ただの拒絶のポーズであると仁志もわかっている。


 だから、仁志の中ではショックというよりかは、惜しいなという気持ちの方が強い。


 仁志は心の中のどこかで確信していた。このひと夏でいけると! 大人の仲間入りをする時が来るのだと思った。


「それじゃあ、夏祭りにいこっか?」


「ああ」


 仁志と郁人は夏祭りに行くようになった。二人共浴衣にあうようなサンダルを履いて完全にフルコーデとなり、街へと向かう。


 郁人の家の玄関から出た瞬間、仁志はきょろきょろと挙動不審で落ち着かない様子であった。


「風見ちゃん。そんな風に落ち着かない様子でいたら周りの人に怪しまれちゃうよ」


「だ、だって仕方ないだろ。あ、後、本名で呼ぶな。誰かに聞かれたらどうするんだ」


 そこそこ珍しい苗字である風見。一発で特定されかねないので仁志はそのワードを使わないでほしいと主張する。


「うーん。そうだね。さなえみたいな名前は欲しいよね。どうしようかな」


 さなえは頭の中で色々とシミュレートする。かざみ ひとし……ひとし かざみ……縮めてひとみ。


「ひとみちゃんでいいかな?」


「ま、まあ。ちょっと原型残っている感はあるけど、風見って呼ばれるよりマシか」


「ふふ、これからよろしくね。ひとみちゃん」


 こうして、仁志改めえひとみは、さなえと共に夕闇の街を歩いていく。途中で数人とすれ違った。


 すれ違う度にひとみは自分が見られているような気がしてならなかった。


「な、なあ。今の男。絶対俺のことじろじろ見てたよな」


「うーん。そうだね。ひとみちゃんはかわいいからそりゃ見ちゃうよ。許してあげて」


「ゆ、許せるかよ!」


 昔の仁志もかわいい女子を見かけたら少し目で追ってしまうことはあった。その時の自分を棚に上げて男性に自分を見るなと言いたくなってしまう。


 ひとみは男性の視線に敏感になってしまう時点で、女装の沼にはまっていることに気づいていなかった。


 心が段々と男性寄りから女性の方に傾いていく。その感覚の1つだとまだ理解できないでいた。


 夏特有のまだ明るい雰囲気が残った闇。だが、その闇をも照らす提灯が見えてきた。


「お祭り会場が見えてきたみたい」


 人通りも多くなってくる。それにつれて、ひとみの心も落ち着かなくて、心臓がどくどくとなってしまう。


「だ、大丈夫だよな。まだ知り合いとはすれ違ってないよな?」


「もう、そんなに怯えすぎだよ。知り合いに会って変にリアクションする方が怪しまれるよ?」


 経験者は語るというやつである。さなえもほんの少しのリアクションから正体バレに繋がってしまったのだ。


「それに、もうそろそろ黙っていた方が良いかもね、ひとみちゃんが声でバレるかも」


「そ、そうか……」


 女声を習得しているさなえと違って、まだ両声類の技能を習得していないひとみは、仁志以外の声を出すことができない。


 裏声出高い声を出しても、それは女性の声ではなくて、単なる裏声出している仁志の声でしかない。


 そんな簡単に女性の声が出せるほど、両声類になるのは甘いことではない。一朝一夕で見に着かない技能なのである。


「ねえ、ひとみちゃん。欲しいものがあったら遠慮しないでわたしに言ってね。屋台を指さしたら買ってきてあげるから」


 大勢の前で声を出せない理由があるひとみの代わりにさなえが代わりに動こうとする。


 ひとみはこくりと頷いて返事をした。


 こうして本格的に2人のデートが始まる。そう思った矢先のことだった。


「お、結構かわいい女の子いんじゃーん」


 2人組のちゃらいナンパ男がやってきた。浅黒い肌の金髪でサーファー風の男と、赤い帽子を被ったツーブロックスでラッパー風のいかにもチャラそうなメンズである。


「ねえねえ、お姉さんたち。女2人で祭りを回るより、俺たちと一緒に行動した方が楽しいよ~」


[そうそう。祭りの後にも楽しい遊びが待っているから。へへへ」


 ナンパ男たちは下卑た笑いを、さなえとひとみに向けた。これはさなえもひとみも完全に想定外であった。


 まさか、いきなり祭りでナンパされるとは思わなかった。こんな人通りの多いところで騒ぎになるのはまずい。さなえとひとみの間に緊張が走った。

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