第16話 希子の変化

 郁人と希子が別れた次の日のことだった。


 仁志が学校に行くと、希子と郁人が既に席に着いていた。


 希子は仁志の方を見るとキッと睨みつけ、視線を反らした。仁志は希子に恨まれてしまったのだと感じた。


 しかし、それは仕方のないことであった。仁志にも仁志の人生がある。自分が誰を好きになって誰と付き合おうとするのか。それを選ぶ権利はあるのである。


 仁志は自分の席についた。そうしたら、郁人が仁志の席へとやってきた。


「風見君。ちょっと良いかな。ここじゃあれだから廊下に出て話がしたいんだ」


「ん? まあ、いいけど。話ってなんだ?」


 仁志と郁人は一緒に廊下へと出た。そして、郁人は小声で語り掛ける。


「今日の佐倉さん。なんかメイクしてない?」


「え?」


 仁志は希子の顔を思い返してみた。睨まれたことに気を取られていたが、よくよく顔を思い出してみると確かにいつもと雰囲気が違っていた。


「確かに……なんか顔違ったような気がしたな」


「ウチの学校は校則が緩いから、あまり派手じゃなければメイクは許されるけど……佐倉さんは今までメイクをしていなかったからなんか気になるんだよね」


 フラれた次の日から急にメイクをし始めた希子に、郁人も少し心配してしまう。


「まあ、飯塚が気にするようなことでもない気がするけどな」


「うん……まあ、でもなんかねえ……このタイミングで急なイメチェンはちょっとビックリするかな」


「確かにな……心境の変化と言ったら、やっぱり飯塚にフラれたことだろうな」


 仁志と郁人は希子のことを心配しつつも、自分たちが希子にできることはなにもないことはわかっていた。


 フラれた相手に変に優しくされても辛かったり、プライドが傷つけられるだけである。あえて、かまわないと言うのも優しさというものであろう。



「ねえ。希子。どうしたの。そのメイク」


 希子の友人が希子のメイクに気づいてびっくりしている。希子はメイクをするような人物ではなかったから、友人としてどうしても気になってしまう。


「まあね。ちょっと気分を変えたいというか、見返したい人がいるから」


 希子は友人に対してそう答えた。遠い目をしていてどこか憂いを帯びている表情をしている。


「そうなんだ。見返したい人? もしかして、彼氏にフラれたとか?」


「ま、まあそんなところ……」


「あ、そうなんだ……」


 希子と友人の間に気まずい空気が流れる。友人も冗談半分で言ったことだけどまさか当たっているとは思わなかった。


 郁人と付き合ったばかりで、周囲に自慢をしていた希子であるが、早々にフラれることでかえってみじめになる結果に終わってしまった。


 希子の女としてのプライドがかなり傷つけられてしまっていて、一時期は立ち直ることが不可能に思えた。


 でも、希子はどうしても悔しかった。自分よりかわいい子とデートをしていた仁志の存在が。


 せめて、あの仁志とデートしていた子よりもかわいくなろうと希子は決意をしたのだった。


 郁人にも仁志にも自分をフったことを後悔させるため。その恨みのエネルギーを自分を向上させるために使おうとしているのだ。


「昨日ね。メイク動画とか見ていっぱい勉強したんだ。校則違反にならない程度に抑えながらかわいくなりたいな」


「そっか。まあ、がんばってね」


 希子は友人に応援されて俄然やる気が出てきた。



 希子が最初にメイクを始めてから数日が経過した。日に日に希子の恰好が変化していくこととなった。


 制服もきっちりと真面目に着込んでいた希子であるが、それも段々と崩すような着こなしをしていくようになる。


 夏服に変更する時期というのもあるが、肌面積が多くなるこの時期、崩した着方をすることで一部の男子たちは希子に注目することになっている。


「なあ。最近、佐倉ってなんか雰囲気変わったよな」


「わかる。前まではあそこまで派手な感じじゃなかったよな」


「このままギャルみたいになったりしてな」


 男子たちのそんな会話が仁志の耳にも入ってくる。


 別に仁志にとって、希子は元カノであるために今はどうなると知ったことではない。


 しかし、元は見知った関係だけに段々と変化していく様はなんとなく痛々しさを感じてしまう。


 元の希子の性格や恰好を知っているとどうしても無理して背伸びをしているように感じるのである。


「なあ。仁志。お前、佐倉と付き合っていたよな」


 男子の1人が仁志に絡んでくる。仁志は気だるそうに相手をする。


「まあ、そうだな。昔の話だ」


「昔って言うほど昔でもないだろ。別れたのだって最近だろ」


「最近……最近か」


 仁志の時間間隔もおかしいことになっていた。郁人と出会ってからの時間の進み方が遅いような気がする。


 今までの人生と比べて、郁人に出会ったからの日々はかなり濃密なものであり、自分の今までの価値観を壊してくれた日々であった。


 初めてできた恋人である希子と付き合っていてもそうはならなかった。


 この時点で仁志は、付き合っていた希子よりも、まだ付き合ってもいない郁人の方が存在として大きいことに気づかされる。


「で、どうなんだよ。佐倉と別れて後悔とかしてねえか?」


 クラスメイトの男子の絡みに仁志はため息をついた。


「別に……なんともねえよ。元カノがどうなろうと俺の知ったことじゃないし」


「またまた強がっちゃって。逃がした魚はでかいんじゃないのか?」


 男子が仁志の肩に手を乗せてにやにやと薄気味笑い笑みを浮かべている。


「本当にそんなことは思っていないだ。別に……」


「そっか。それなら、俺が佐倉を狙っても別に文句は言わねえよな」


 男子はニヤっと仁志に歯茎を見せた。その笑みは攻撃的で仁志をけん制しているように思える。


 男子は体格が良くて肌も浅黒い。いかにも運動部のエースですみたいな雰囲気を醸し出していて、狙った女子は高確率で落とせそうな風貌をしている。


「前まではさ。なんか佐倉って芋っぽいなって思っていて眼中になかったけど、化粧したら意外と化けてんじゃねえかよ。あれなら余裕で抱けるわ」


 男子は下卑た笑いを浮かべている。女子を平然と値踏みをするように見ていて、そういう性根は仁志にとって好ましく感じるものではない。


「良いんじゃないのか? 別に」


 仁志はこの男子と関わり合いたくないと適当に会話を流そうとしている。でも、その男子にとってはそれが強がりに聞こえてしまう。


「ふーん。そっかー。まあ、俺が佐倉と付き合えたら、またお前に報告してやるよ。くくく」


「好きにしてくれ」


 未練もない元カノが誰と付き合おうと仁志としてはどうでも良かった。問題は仁志と郁人の関係である。


 仁志はあれから、郁人とあまり会話をしていない。


 仁志の中で郁人とデートをするような動機がもうなくなってしまったのだ。


 郁人は男の娘コンカフェで働いていることを周囲に知られるのを恐れていた。希子には特に知られたくないと言っていた。


 でも、希子と別れた郁人にとって、その知られたくない気持ちというものはもう弱くなっているはずである。


 だから、郁人にとってこれ以上仁志と絡む動機はないんじゃないかと仁志は遠慮をしてしまっているのだ。


 郁人と絡みがない日々を過ごしていて仁志はある種の喪失感を覚えていた。


 ほんの数ヶ月前に出会ったばかりの人間。それなのに、たった数日一緒に行動していないだけでこんなに寂しくなるとは思わなかった。


 仁志の心の中にぽっかりと開いた穴は今でも大きくなるばかりだった。穴の大きさと郁人の存在の大きさが比例するように大きくなっていて、それが仁志の胸を締め付けるのであった。

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