第13話 幸せになっていてもらいたい。
どんなに明るく振る舞っても、暖房の効いた暖かい部屋の中で話しても、部屋の空気は窓の外に広がる1月の冷え込んだ空気みたいになってしまう。
市原黄汰は明るく振る舞う事に注力していて、広島紫に「じゃあその写真と、今の違いでも話そうかな」と軽口を叩く。
そんなのは聞かなくてもわかる。一人暮らしになり、妻の作る食事を食べなくなったからだ。
だが、そうなると今度は旦那を太らせるような食事を、キチンと食べさせていた妻は何故離婚を選ぶのか?妻の言う自由とは何なんだろう?
広島紫が不思議そうに思っていると、市原黄汰はスマートフォンを取り出して、画面を見せてくる。
それは一時期異常に流行った実名SNSだった。
「これ知ってるかな?」
「はい。私はやっていませんが実名SNSですよね?」
市原黄汰は「うん」と言うと「20年までは行かないけど、10…十数年前に爆発的に流行ってさ。もう、うちの会社も皆挨拶がわりにフレンド申請しちゃうくらいなんだったんだ」と言って笑う。
キョトンとしてしまう広島紫に、「新卒から社員・店長、アルバイトさん、本部の人たち、皆が繋がってて、キラキラ生活を投稿したりするんだよね」と言うと、広島紫は自分が世話になった人たちが、キラキラ生活をアップしている姿を想像して、少しおかしな気がしてしまう。
「私も流行った頃は店長してた頃だから、積極的にやってたんだよね」
「奥様も?」
「彼女は古い繋がりを嫌うから、頑としてやらなかったし、私に写真を載せるなって迫って凄かったよ」
市原黄汰は流石に社員歴26年だけあって、フレンドの数も尋常じゃない。
「今もやってるんですか?」
「ううん。投稿はしていないよ。たまに見て、古い知り合い達が投稿したら「いいね」ってやってるだけだよ」
フレンドの中には結婚前に付き合っていた彼女達なんかもいるらしく、広島紫は聞いていて少しだけモヤモヤしてしまい、なんでモヤモヤしているのか自分でもよくわからない。
「元彼女達は今幸せなのかな?」
広島紫は突然どうした?と思いながらも「はい?」と聞き返すと、市原黄汰は「いや、幸せになっていてもらいたいんだ」と言って遠くの空を見る。
空は一月の曇天で寒々しい。
「幸せにですか?」
「うん。私と別れたから幸せになれたのなら嬉しいし、その理屈なら、彼女達ではなく、妻と結婚をした私は、彼女達が嫌な気持ちにならないくらい幸せになる必要があると思っているんだ」
市原黄汰は時折友達かもに出てくる元彼女達。
そして友達にいて、たまにタイムラインで見かける元彼女達を見ていて、一つの事を思ってしまった。
「離婚をした頃の私は、元彼女達にとても会える存在ではなかった」
そう言った市原黄汰はスマホの画面を見て、「元気かな?幸せかな?と思っても会える機会があれば会うかと聞かれたら、会わないと答えてしまう。それだけ見た目も変わったし、年相応に老けてしまった。もうあの頃とは違うんだよね」と続けた。
「勿論この先も会う事はないけど、せめて偶然再開してもいいと思えるようにしようと思って、離婚してから1年かけて、規則正しい生活をしてダイエットしたんだよね」
「ダイエットが成功して会いたいとは思わないのですか?」
「ならないよ。これはただ心構えの話なだけ。広島さんに伝わるかな?昔の映画とかが好きでも、今観たいとならないと言うか、そんな感じなんだよね」
よくわからない部分もあるが、元彼女達に会っても平気なようにダイエットをしたが、元彼女達に会う気はないことはわかった。
「ダイエットは大変でしたか?」
「まあ少しね。でも基本的に自炊するから、量の調整も簡単だから体重自体はすぐに落ちたよ」
話終わる頃、猫のDVDはとっくに終わっていて、メニュー画面に戻されていた。
時間は夕方になっていたが、広島紫は「もう一度観たいです」と言って甘えて過ごす。
「もう少し飲みたいです。もう一度横に座らせてください」
広島紫はそう言うと市原黄汰の横に座り、密着して猫の可愛らしい映像を眺める。
それ以上はないが、何もないわけではない、密着している。
映像が終わり、帰ろうとする広島紫を送ろうとする市原黄汰に甘える広島紫は、手を繋ぎたいと言った。
驚いた顔の市原黄汰は「はい」と言って手を繋いだ。
その手は大きくあたたかい。
広島紫は恥ずかしくも嬉しかったが、何処かで市原黄汰は息子に感じる感情を向けてるのかと思うと悲しい気持ちになっていた。
広島紫に可愛げはない。
手を繋ぐ以上の何かがあるわけではない。
町屋駅でも「今日も凄く楽しかったです」と言って、名残惜しむ事もなく駅へと消えていく。
だが、広島紫には可愛らしいところもある。
翌朝、市原黄汰のスマホには[おはようございます。広島です。あのDVD、二度ほど見返してしまったら寝不足で眠くて仕方ありません]と入ってきていた。
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