4.最大の難所
「取り合えず、俺は、立て続けに貴族の令嬢たちと踊る事になる。前庭は解放してあるが、中心の広間の間は、騎士団が張ってるし、滅多な事はないと思う。
護衛とはいえ、正装して俺の側にいたら、踊らない訳にはいかないから、曲が始まったら、さりげなく抜けて、菓子か酒のコーナーにいろ。」
グラナドが、言いにくそうに「ダンスは始めてだ。」と言ったファイスに、こう説明した。彼も特訓すべき身だったが、昼はお供していたので、その暇はなかった。
シェードが、
「じゃあ、俺も。」
と言ったが、彼には、
「お前は諦めて、特訓の腕を披露しろ。」
と一言。
「最初は、俺はサッシャ姉様とだ。ハバンロはミルファ、シェードはレイーラ。ラズーリはカッシーだ。ディジー姉様は、カオスト公とだ。ザンドナイス公は、夫人が亡くなってからは、踊らない。明言した訳じゃないが、多分。」
「あら、レアディージナ姫様は、婚約者とは、踊らないの?」
カッシーが尋ねた。
「ああ。さっき会ったが、今夜は出ない。ここに来る直前、領地で乗馬か何か、競技中に怪我した、と、腕を吊っていた。大したことはない、と言う話だが、魔法で治らないなら、骨だろう。ディジー姉様が心配しているし、無理はさせられない。」
レアディージナ姫の婚約者はエスカーの従兄弟の、ヴェンロイド男爵の息子だ。男爵夫妻は従兄妹同士で、男爵本人は、一族の特徴である、緋色の髪、琥珀色の目、赤銅色の肌を持っている。夫人は比較的色白だったが、髪と目は男爵と同じだ。
これらの特徴は、グラナドの実父のエスカーと等しい。グラナドは、髪は父親のものとは違い、緋色ではなく、暗い色味の赤毛だが、髪と目は、エスカー譲りだった。
婚約者は、並んで注目を集めた時の、「ざわめき」を避けてくれたのかもしれない。
話しているうちに、広間に続く控えの間についた。扉が開く。
「グラナド!」
笑顔のミルファがいた。女王と歓談していたのだろう。ヘドレンチナ、シスカーシアもいる。
ミルファは、輝いていた。
流行りの二色使いのドレスだが、直線的な物ではなく、裾が柔らかく広がる、ややクラシックなドレスだ。上半身はシンプルで、うすいピンク色だったが、広がる裾は、はっきりとしたブルーだ。一枚の生地を、グラデーションで染め分けている。裾と胸元には、銀のビーズが着いている。アクセサリーも、服に合わせたのか、きらきらしたブルーとピンクの石を使っている。耳飾り、首飾りがお揃いだ。髪飾りは、銀の網のようなデザインだが、黒髪に絡んで、ティアラのように、よく映えている。靴は黒で、銀のビーズが飾られて、髪と対になっていた。
美しく装い、快活な笑みを浮かべるミルファは、愛らしく、清楚に煌めいている。
「あら、見とれて、声もでない?」
と、女王が言った。グラナドは、答えも忘れ、女王の言葉を証明するように、しばらくしてから、我に返った。
「似合ってるよ。別人みたいだ。」
「もう、どういう意味よ。」
傍らで微笑む女王は、ミルファのと良く似たデザインの、白と黒のドレスを着ていた。こう言うと地味だが、黒い裾には、東方風にアレンジされた、色とりどりのツルバラが、煌めく糸で織り込まれていた。アクセサリーは、金のティアラと、金鎖の七重の首飾りで、耳飾りも金鎖だ。靴は黒で、ミルファと同じ物だ。
ヘドレンチナは、暗い赤紫の、シルクのシンプルなドレスで、襟元と裾に、白いレースが着いていた。シスカーシアのドレスも良く似ていたが、こちらは明るい碧色で、レースは黒かった。二人とも、首飾りと耳飾りは、ドレスの色に合わせていた。
男性の服はあまり変わらないが、こうして女性の服を見ると、28年は長かった。
しみじみとしていると、レアディージナ姫が、侍女とやって来た。
彼女のドレスは、暗い赤と緑で、カッシーやレイーラの物に近かった。首飾りは水晶で、丸い玉を連ねた物、耳飾りとティアラは銀で、薄いピンクとグリーンの、細かい石が散りばめてある。
俺達は、軽く姫に自己紹介した。
「お揃いですね。ではそろそろ」
とシスカーシアが言った。
広間では、口上などあっさりと(大半は昨日、広間にいたから、それもそうだが)していた。カオスト公は、若い女性を二人連れていた。身内に当たる、ラエル家の姉妹だった。
「殿下、おひさしぶりです。お会いしたかったです。」
と、明るく話しかけて来たのが、妹のガーベラ、公爵の紹介を待ってから、
「ご無事でなによりでした。」
と言ったのが、姉のバーベナだ。
ガーベラは、オレンジのラメ地を膨らませた、チューリップを逆さにしたようなデザインのドレスを着ていた。胸元と袖には、黒い毛皮の飾りが着いている。
髪飾りはないが、明るい金髪の巻き毛に、ドレスと同じオレンジのラメのカラーを入れていた。耳飾りは、ウサギのしっぽのような、黒い毛皮の玉だ。
そして、首飾りは、大粒の、珍しいオレンジ色の「サファイア」だった。ラエル家に伝わる、有名な宝石で、「太陽の雫」と呼ばれている石だ。
頬紅と口紅も使っていて、全体的にオレンジに仕上げていた。上流階級の女性には珍しいくらいに、とにかく華やかな装いだった。今風、というべきだが、どこか古めかしい物を感じた。
バーベナは、灰色がかったベージュのドレスを着ていた。襟と袖に、ドレスよりやや濃い色のレースが付いている。スカートの部分は、円形の布が何枚も重ねてあり、妹が逆さチューリップなら、姉は逆さ睡蓮のようだった。髪は妹より癖が強く、明るい栗色の巻き毛で、ドレスと同色のリボンで上手く纏めていた。耳飾りは、何か小さな石だ。首飾りは無いが、胸元に、大きなブローチを着けていた。石が大きいのではなく、大輪のバラに見えるように、小さな石を組み合わせた物だ。これも有名な、「ラエルの薔薇」だ。見覚えがある。
顔は似ていたが、印象は真逆の姉妹だった。性格は見た目と一致しているらしく、姉は挨拶以外、ほとんど話さなかったが、妹は、ダンスが始まるまで、グラナドに話しかけていた。
彼女達の登場で、最初の曲の予定が変わった。
グラナドは女王と踊る予定だったが、女王は、近くにいたハバンロの手を取り、グラナドとミルファを促した。シェードは予定通りレイーラと、カッシーは何故かカオスト公の隣にさりげなく滑り込んだ。ファイスが下がり、人数を見て入ってきたオネストスと、騎士が一人、ガーベラとバーベナに着いた。このため、俺はレアディージナ姫と踊る事になった。
踊る間、彼女のドレスの趣味を誉めたり、色々話しかけた。彼女は上品に返事をしたが、人見知りするタイプのようだ。唯一、首飾りを誉めた時だけ、満面の笑みで答えた。
玉の首飾りは、よく見ると、一つ一つが、小さなリンゴの形に彫刻されていた。リンゴで有名な、ヴェンロイドの婚約者からの贈り物だった。
その後、俺はカッシー、レイーラと踊った。次にバーベナと踊ったのだが、踊り始めて間も無く、短い叫び声が上がった。男性の声だ。一瞬、身構えたが、叫んだのは、最初にバーベナと踊っていた、女王付きの騎士だった。
一旦、曲が止み、
「どうしたの、ハーストン?」
と女王が尋ねた。騎士ハーストンは、
「すみません、私が、令嬢の足を、踏んでしまいまして。」
と、女王と、只今のパートナーだったガーベラに謝罪した。ガーベラは、
「大したことはありませんわ。私こそ、すいませんでした。」と言い、
「夕べ、今夜が楽しみで眠れませんでしたの。少し休んで参ります。」
と続けた。女王は、
「それは大変。」
と、人を付けて、休憩エリアに向かわせた。ダンスは再開した。
「あの、すいません。」
と、バーベナが、俺に言った。
「足を踏んでしまったのは、妹のようです。ダンスは得意なのですが、今夜は、緊張したようです。」
俺は、わかります、とか、適当に答えた。
バーベナは、ディジー王女と同様、とてもおとなしい女性だった。それ以外の会話は無く、うつむき勝ちな小柄な頭を、上からじっくり見て気が付いたが艶やかな栗毛の根本に、くすんだ薄茶の髪が、ちらほら見えた。ドレスの色に似ている。髪にドレスを合わせて仕立てたように見えるが、わざわざ別の色にしたらしい。
さらに三人ほど貴婦人と踊り、俺は一旦、輪を抜けて休憩した。
休憩エリアは女性が多かったので、バルコニーを狙ったが、先客がいた。ハーストンとサリンシャだ。
サリンシャは、ハーストンの足を、魔法で冷やしているようだった。
「今時、ああいう靴は珍しい。災難だったなあ。」
と、サリンシャが言っていた。やはり踏まれたのはハーストンだったようだ。
「骨が無事で良かったよ。」
「骨は大袈裟だろ。」
「そんなことはない。尖った爪先と踵は、か弱い女性の武器だ。昔は、騎士の靴も、あの形だった。たぶん。」
二人は笑った。
「まあ、さっきの君は、騎士の鑑だ。」
「からかわないでくれよ。」
「だけと、ラエル家の姉妹は、ダンスの名手と評判だよな。特にガーベラ嬢は。」
「俺もオネストスから、そう聞いてたけど、何かに気を取られてたみたいだ。上の空というか、心そこにあらず、というか。」
「おかげで、すね当ての重要度が、理解できたんだから、怪我の功名か。」
サリンシャは、次にあのタイプの靴が流行ったら、装備強化を提案しなきゃ、と続け、ハーストンは吹き出していた。
俺はバルコニーから離れ、フロアを振り返った。
グラナドは、バーベナと踊っていた。優美で軽やかな動きは、どこから見ても申し分のない、唯一の王子の姿だ。
次の曲の区切りに、グラナドは、バーベナ嬢と、シスカーシアと一緒に、フロアから下がった。行く先に、ヘドレンチナ、オルタラ伯が見える。そのまま、談笑し始めた。
中央では、ハバンロがレイーラ、シェードがカッシーと踊り、女王は離れて椅子に掛けて、カオスト公、ザンドナイス公と話していた。オネストスも近くにいた。
「殿下と踊りたいんでしょうね。」
と、傍らで女性の声がした。驚いて振り向いたが、俺ではなく、女性同士の会話だった。黒髪に緑の羽飾りの女性と、金髪に紫の造花を着けた女性がいた。
「まあ、カオスト公爵が後見なら、あれくらい積極的なのも、しかたないけど。でも、ザンドナイス公爵も、最初はパンナ嬢を控えさせたのに。」
「パンナ嬢は、男爵令嬢だから、仕方ないかもよ。
でも、マリエの所は、ひと安心ね。レオンには気の毒だけど。ずっと反対してたし、あそこまでやったら、失敗したら後がないし、レオンとの話も、無くなるでしょう。」
金髪の女性には見覚えがあった。確か、先輩の騎士の夫人だ。すると、黒髪の女性も騎士の妻かもしれない。
「それなら、あの装いはどうかしら。」
「前のフェルローナ夫人の、箱庭を頭に乗っけたみたいなのよりは、ましよ。あれに比べれば、なんでも。」
フェルローナ夫人の名は、さっきグラナドから聞いた。箱庭を頭に、とはどんな物だろう。妙な興味が沸いた。
「そうじゃなくて、あのスカート、『タッシャ・シルエット』。イスタサラビナ姫が大流行させた。」
ああ、そうか。それで、古めかしく懐かしい気がしたのか。話し声は一時途絶えたが、より小声でまた続く。
「カオスト公も、注意なさればいいのに。」
「まあ、ラインが似てるだけじゃねえ。気がついてないのかもよ。まったく同じドレスならともかく。男性が分かるかどうか。」
「流行に、殿方が口出ししても無駄だけどね。ガーベラみたいな子は特に。
彼女は振る舞いのほうが問題よ。国賓のミルファ嬢と、殿下の間に入ろうとする態度、露骨過ぎるわ。」
気付かなかった。一応、幼馴染みらしい話をしていたから、それでか、くらいに思っていた。
「でも今回は、ガーベラもバーベナも、誰でも無理よ。女王陛下も、そのおつもりでしょ。あのミルファ嬢の髪の、『ティアラ結い』、陛下のご指示でしょうからね。」
「そうね。それに、あのダイヤのアクセサリー、ディアディーヌ様のよ。お誕生日の。」
ピンクとブルーの、煌めく耳飾りと首飾り。ディニィが着けている所を見た記憶はない。ホプラスの死後の贈り物か。贈ったのはルーミだろうか。さすがに、首飾りの方は、あれがすべてダイヤではないだろう。だが、特別な品には違いない。
女性達は、話しながら、飲み物のコーナーに向かいだした。
俺はフロアの外側を回って、グラナドの側に行った。近くにファイスとカッシーがいた。グラナドは、俺の姿を見ると、自分から近づいて来た。背後にオレンジとベージュのドレスが見える。
「ああ、探してたんだ。」
と、グラナドは言った。
「探したって、俺を?」
妙に高揚する俺に、彼は軽く頷いた。
「カッシーに、回廊のグラスを見せる約束をしていた。四人で行こう。」
ミルファはシェードと踊っている。ハバンロとレイーラは、女王と話している。それで四人、と、俺は納得したが、脇のガーベラは、
「私も是非。ガラスのアンティーク、好きなんです。」
と言った。
「西の回廊のは、ステンドグラスですよ。工事中で足場が危ういので、その靴では、危ないですよ。」
と、横からオネストスが口を出した。ガーベラは、一瞬、オネストスではなく、平たい靴のカッシーを鋭い目で見た。分かりやすい女性だ。
バーベナが、
「残念ですね。妹は、ステンドグラス、苦手なんです。サンジュリのお屋敷も、それで出たくらいですから。それより、ガーベラ、あなた、次のダンス、レオニードと約束してたでしょ。始まるわよ。」
と言い、ガーベラがさっと姉を向いた間に、グラナドは俺たちを連れ出した。
広間を出る時に、グラナドか、肩越しにフロアを見たので、俺も振り返った。
ミルファがくるりと回転し、裾が広がる。シェードがホールドし直して、また続く。彼は少しぎこちないが、一日特訓のわりに、良い成果だ。
あ「まあ素敵。」
「絵のようですわ。」
と、貴婦人のため息混じりの称賛が聞こえる。
カッシーが、
「終わったみたいよ。呼ぶ?」
と聞いたが、グラナドは、
「いや、いいよ、行こう。」
と、回廊に進んだ。
背に受けた、眩しい光が、背越しに照らす、暗い回廊に。
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