第41話

「賠償と補償は、かなり高額になると言っておきましょう」




 王城で、ビクトルが相対した宰相エンリケは、自己紹介を終えた後にそう言った。


 ごくりと唾を飲み込むが、ビクトルにとっては想定内だ。


 大臣たちからは、いくら払ってもいいから、戦を止めてくれと懇願されている。




「こちらの勝手で始めた戦です。覚悟はしています」




 神妙な顔をしたビクトルの言葉を聞いて、エンリケは微笑む。


 この賠償金で、ロサ王国はしばらく潤う。


 他の国の追随を許さず、一強を目指すベロニカの、良い助けとなるだろう。




「では、話し合いを始めましょうか」




 同じ三十代だと聞いたが、エンリケのまとう妙な迫力に、ビクトルは始終ビクつくことになる。


 


 ◇◆◇




「おかえりなさい、ルーベン」




 両手を広げて出迎えてくれた愛するベロニカを腕に抱き、ルーベンはしっかり深呼吸をする。


 柔らかい体から漂うほのかに甘い香りに、やっと帰ってきたと実感する。


 


「ただいま、ベロニカ。体調に問題はなかった? 赤ちゃんの名前は、もう考えた?」


「私は大丈夫よ。赤ちゃんの名前は……まだなの。やっぱり一緒に考えてくれる?」




 新婚夫婦らしい会話も、心の癒しだ。




「戦なんて、何もいいことはないな。こうして毎日、ベロニカの側にいたい」


「王都や港に集まった全ての兵が、そう思っているはずよ。家族や恋人の側を離れて、戦地に赴くなんて、不幸でしかないわ」


「もっと強い国にしよう」


「戦を挑まれないほどの国にね」




 甘い雰囲気も、すぐに為政者としての会話に変わってしまうが、二人は幸せだった。


 今日だけは、執務のすべてをエンリケに任せ、会えなかった時間に積もった寂しさを、解消させるのに費やすと決めている。


 そうしてベロニカとルーベンが、いちゃいちゃしている間に、エンリケとビクトルの交渉が、妙な着地点を目指していた。




 ◇◆◇




「理解はしているつもりですよ。人質として、価値がないとも思っていません」


「だったらどうか! 引き受けていただけませんか! 我が国の法律では、これ以上の矯正が難しいのです!」




 土下座する勢いで頼み込んでいるビクトルに、エンリケが珍しく押され気味だった。


 交渉内容を筆記するために同席していたラミロも、先ほどから両者の顔を交互に見て、ハラハラしている。


 戦の賠償と補償について、あらかた話し終わり、ほぼ思い通りになったエンリケが、ホクホクして場を締めようとしたら、なぜか始まってしまったのだ。


 ヤーナゥを、ロサ王国へ留学させて欲しいという、ビクトルの売り込みが。


 人質にしてもらって構わないとか、ロサ王国の法律で厳しく躾けて欲しいとか。


 ルーベンからヤーナゥの素行の悪さを聞いていたエンリケは、海国ハーランにとって賠償金よりも問題なのはこちらだったか、と内心で臍を噛む。


 ここまで、エンリケの言うがままに全てを承諾してきたのも、最後にこの話をねじ込みたかったからだろう。


 


(このビクトルという外交官、なかなか侮れませんね)




 負けられないエンリケも、平行線の回答をし続けて、ついにその日は時間切れとなった。


 また明日、よろしくお願いします、と頭を下げてビクトルが部屋を退出してから、エンリケはモノクルを外した。


 両目を揉んでいるエンリケに、ラミロがおずおずと話しかける。




「大変なことを、お願いされてしまいましたね」


「引き受けたくはないのですが、あまり断るのも失礼にあたります。……陛下へ、相談してみましょう」




 ◇◆◇




 翌日、エンリケから話を聞いたベロニカは、目をぱちくりとさせた。




「唯一の女性王族を、人質として差し出すというのですか? もしヤーナゥ女王に何かあったら、血が途絶えるのですよね?」




 真剣に心配しているベロニカは、エンリケやルーベンに比べると人が好い。


 エンリケやルーベンは、海国ハーランの王族の血が途絶えても知ったことではないし、ロサ王国内でヤーナゥに何が起ころうが責任を取るつもりもない。


 ただ、ヤーナゥの引き起こすだろう騒動が面倒なのだ。


 ベロニカの背後にいるセベリノも、二人と同じ考えという顔をしている。


 ただ、セベリノは二人よりも、ベロニカ至上主義で非道だった。




「ベロニカさま、その女の留学先を、バレロス公爵領にすればよいのです。王配よりも面構えの映える男を見れば、感心がそちらに移るかもしれません。これで二度とベロニカさまの、お手を煩わせることはないでしょう」


 


 エンリケとルーベンとラミロとカイザが、悪魔を見るような目でセベリノを見る。


 ベロニカたちと同じく、まだ新婚の甘い空気を振りまいているティトとクララに、問題児ヤーナゥをぶつけろとセベリノは言っているのだ。


 しかもティトは、振り回されるのが大好きという、変わった性癖を持っている。


 そこへ、我が儘というには桁が国家規模なヤーナゥが絡めば、どんな危険な三角関係が築かれるか分からない。




「セベリノの案は却下よ。クララのティトへの愛は、一途で深いんだから。思い余って、ヤーナゥ女王に何をするか、分からないでしょ」




 ベロニカは過去に、クララの嫉妬のせいで毒を盛られかけたのだ。


 もうクララの手元に毒はないが、ティトにちょっかいを出す女を消すために、クララは手段を選ばないだろう。


 残念そうな顔をするセベリノと、ベロニカが却下してくれて、バレロス公爵領が助かったと胸を撫で下ろす他の男性陣と、執務室は二極化した。




「お断りしたい話だけど、ヤーナゥ女王を何とかしなくては、うちも落ち着かないものね。いつ宣戦布告をされるか分からない状況は、続いて欲しくないし」


 


 ベロニカが、ヤーナゥを受け入れそうな雰囲気を出しているので、ルーベンは少し不安になって聞いた。




「ベロニカは嫉妬しないのか? ヤーナゥ女王は、俺を夫にすると言っているのだろう?」


「もうルーベンは私の夫でしょう? それとも、ヤーナゥ女王に乗り換えるの?」




 にっこりと笑ってはいるが、ベロニカの深緑色の瞳がいつもより暗い。




「絶対にない!」




 ぶんぶんと首を横に振って、ルーベンは全力で否定する。


 そしてベロニカの側に寄り、ベロニカを腕の中に包み込むと、こてんと頭をくっつけながら付け足す。




「ベロニカが嫌な気持ちにならないか、心配しただけだ」


「私が嫌な気持ちになるかどうかは、ルーベンの態度次第ね」


「俺はベロニカ一筋だ」


「それを貫いてくれるなら、何も問題はないわ」




 ベロニカはエンリケに、ヤーナゥの留学の許可を出す。


 いつからなのか、どれほどの期間なのか、交わす約定はどうするか。


 気になる点をまとめた後、ビクトルとの会合に向かおうとしたエンリケを、ベロニカが呼び止める。




「どこまで躾けていいのか、その確認もお願いします」




 微笑んで追加されたベロニカの一言に、調教師という単語が頭の中に浮かぶルーベンだった。




 ◇◆◇




 ヤーナゥは一年間、ベロニカ付きの侍女として、ロサ王国へ留学すると決まった。


 一旦、ビクトルが帰国して、多額の賠償金と一緒に連れてくるという。


 ちなみに、ヤーナゥの再教育代として、海国ハーランは大型軍船に載せた大砲『神の一撃』の設計図を、ロサ王国へ公開する条件を飲んだ。


 これで海国ハーランは丸裸も同然だが、二度と戦を仕掛けないという、意思表示でもあるのだろう。


 


「実物の大型軍船もあるし、『神の一撃』の設計図はバレロス公爵へ託して、南の海周辺の領主たちと協力し、研究してもらうのはどうだ?」


「いい案だと思うわ、ルーベン。資材となる鉱物を北部から購入するから、北一帯の領地も潤う。さらに運河を使って運搬するから、通行料で運河周辺の領地も潤う。そのほかの領地からは、今回の戦で使った備蓄の補充分を購入しましょう。そうなると、『神の一撃』の研究費から予算の割り当てを――」




 ベロニカの執務室は、戦時から通常へ戻っていく。


 ヤーナゥの到着までは、変わらぬ日々が続いた。

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