第32話

「王立病院に入院していたティト殿が、意識を取り戻したそうですよ」




 長らく昏睡状態にあったティトは、医師の見立てで、何らかの障害が残っているだろうと言われていた。


 目が覚めたのなら、それについても、新たに何か分かったかもしれない。


 ベロニカはラミロと相談して執務の調整をし、ティトを見舞うことにした。




 ベロニカが王立病院に着いたとき、泣きながら出てくるクララとすれ違う。


 クララはベロニカに気がつくと、キッと睨みつけて来たが、何も言わずに立ち去った。


 過去ではティトと恋人同士だったクララだが、おそらく二度目でもそうだろう。


 ティトが毒を吸い込んで入院しているのだ。


 心を痛めているに違いない。


 


(クララは知っているのかしら。ティトがサルセド公爵を裏切り、私に毒を渡したせいで、今回の事件に巻き込まれてしまったと……)




 もしそうだとしたら、先ほど睨まれたのも合点がいく。


 サルセド公爵は、ティトごとベロニカを始末しようとした。


 実の父親に恋人を殺されかけたクララの心境を、ベロニカは心配する。


 過去ではベロニカを失脚させるために一芝居をうったクララだが、二度目ではまだ過度な接触はなく、今後はティトのように違った行動を見せるかもしれない。




(すでに敵対したサルセド公爵とは相容れないけれど、クララとの関係がどうなるのか、まだ分からないわね)




 セベリノを連れて、ベロニカは病院内を歩く。


 すると、すっかり人気者になったセベリノには、あちこちから黄色い声が上がった。


 そんなセベリノを扉の前に残し、ティトの病室にはベロニカがひとりで入った。


 古参貴族の中でも、有力なバレロス公爵を父に持つティトの病室は広い。


 広い部屋に置かれた大きなベッドの上に、ティトは背をもたれさせて座っていた。


 ティトを診察しているのだろう医師が側にいて、ベロニカに頭を下げる。


 入ってきたベロニカに気がつくと、ティトはパアッと顔を輝かせ、嬉しそうに話しかけてきたが――。




「女王陛下、僕、いい子にして待っていたよ。クララちゃんが、女王陛下が来るはずないって、意地悪を言うんだ。だけど、絶対に来てくれるって信じてた!」




 やや舌足らずで幼い物言いに、ベロニカは面食らう。


 ちらりと医師に視線を投げると、少し目を伏せて「これが後遺症です」と小声で伝えてきた。


 記憶や言語に障害が出ることが多いと説明を受けていたが、ティトは幼児へと退行していた。


 しかし、ベロニカを女王陛下と認識しているし、時間だけが巻き戻ったわけでもなさそうだ。


 ベロニカは状況を理解するため、ティトへ語り掛ける。


 相手が子どもだと思うと、いつもより柔らかい声が出た。




「ティト、私が誰だか分かるのね?」


「分かるよ、女王陛下だよ! だって僕は、女王陛下にお仕えしているんだから」


 


 誇らしげにするティトの中では、ベロニカの手先となってサルセド公爵を調査していた記憶が、残っているのかもしれない。


 


「ティトのおかげで、証拠が手に入ったわ。とても感謝しているのよ」


「ホント!? 僕、役に立てたんだね? よかったあ。……実は、あんまり覚えてないんだ。何を頼まれていたのか……」




 恥ずかしそうにするティトに、ベロニカは微笑んで見せる。




「もう任務は完了したのよ。だからティトは、ゆっくりしてちょうだい。ずいぶんと体に、無理をさせてしまったから」


「起きたら病院だったから、びっくりしたんだ。でも僕、どこも悪くないよ?」




 ベロニカは医師の方を見た。


 ティトはこう言っているが、本当だろうか。


 すると医師は、ティトにも分かるように、ゆっくりと説明をした。




「まだ起きたばかりですから、いろいろな検査が残っています。それがすべて終わって、問題がないと分かれば、退院も可能です。おそらくはバレロス公爵家から、お迎えが来ると思いますが……」




 そればかりは医師にも分からない。


 お迎えが来なければ――ティトはおそらく、永久にこの病室へ留められるだろう。




「もしものときは、私に連絡をちょうだい」




 ベロニカはティトを引き取るつもりで、医師に伝えた。


 医師もベロニカの意志を正確に把握したようで、ホッとした顔で「かしこまりました」と返事をした。




「まだ退院できないんだ、つまんないなあ。クララちゃんも、さっきケンカして、帰っちゃったんだ」




 しょんぼりしているティトは、まるで捨てられた仔犬だ。


 ベロニカはティトに近寄り、そっと白金色の髪を撫でる。




「また、いい子にしていたら、見舞いに来るわ」


「わあ、嬉しいな。だったら、僕、ずっといい子にしているね!」




 ほわっと笑うティトには、子ども特有の純粋さがあり、ベロニカは胸が締め付けられる。


 こうなってしまったティトを、見捨てるつもりはない。


 エンリケにも相談しよう、そう思ってベロニカは病室を後にした。




 ◇◆◇




 扉の前で待機していたセベリノの前には、握手を強請る子どもたちの列が出来ていた。


 仕事中だからと、遠巻きにしていた女性陣と違い、遠慮せずグイグイ来る子どもたちを、断れなかったのだろう。


 セベリノは律儀に、ひとりひとりに握手をしていた。


 そして、「大きくなったら、女王を護る騎士になれ」と一言添えていた。


 喜んで「騎士になる!」と返している子どもたちだが、将来どれほどが騎士になるのか。


 それはベロニカが、どれだけ護りたいと思える女王になるかによるだろう。


 まだサルセド公爵との対決に決着がつかない。


 まずはそれからだ、とベロニカは決意を新たにする。




 ◇◆◇




「なんと……幼児退行ですか」




 ティトについて相談したエンリケが、驚いた顔をする。


 ここはベロニカの執務室なので、同じく室内にいたラミロもカイザもルーベンも、驚いていた。


 


「バレロス公爵家にとって、ティトは次男です。今後、どういった扱いになるのか……」


「陛下が気にしているのは、そこなんですね。当代のバレロス公爵ご本人は、古参貴族ではありますが、自由な気風を愛する方です。ティト殿がそうなってしまったからと言って、放り出すような真似はしないでしょう」


「安心しました。何かあれば、私がティトを引き取ろうと思っていました」




 ベロニカの発言に、これまたラミロとカイザとルーベンが驚く。


 ラミロの顔には「あの変態を?」と書いてあるし、カイザの顔には「ついに飼い主に?」と書いてある。


 ルーベンだけが「面倒見が良すぎるぞ」と心配そうだった。


 ベロニカは、サルセド公爵の恐ろしさを知っていたのに、それを甘く見ていた自分を後悔する。




「サルセド公爵にとっては、己が王位につくことが最優先で、それ以外は些事なのでしょう。きっと、お父さまの命を奪ったときも、軽率に行ったはずです。今回の事件は、そんなサルセド公爵の危うさを如実にしました。このまま野放しにしていては、さらなる悲劇をもたらしかねません。一刻も早く、取り押さえたいけれど……」




 ベロニカの絞り出すような声に答えたのはルーベンだった。




「状況証拠ならある。だが、まだ弱い。このまま裁判に持ち込んでも、覆される恐れがある。それは避けたいよな?」




 ルーベンに続いたのはエンリケだ。




「証人になれそうだったティト殿が、幼児退行したのならば、証言としての能力を欠くでしょう。もう一歩、踏み込んだ証拠が必要でしょうね」




 エンリケの言葉に、ラミロが手を挙げて発言する。




「僕が、サルセド公爵家に忍び込んでみましょうか? 新参貴族の家宅捜索では見つからなかったけれど、サルセド公爵家には、今回の事件について、何らかの痕跡があるかもしれません」




 少年のようなラミロを、カイザが庇う。




「相手は暗殺者も雇っているし、チビッ子には厳しいんじゃないかな? 代わりに僕が行きましょうか?」




 顔を赤くして、「カイザさんとは3つしか離れていません!」と憤慨しているラミロを横に、ベロニカは真剣に悩む。


 もう誰も、危険な目には合わせたくないのだ。


 


 コンコンコン!




 そんな執務室へ、誰かの訪れがあった。

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