第30話

「ついていかなくて大丈夫か?」




 ルーベンがベロニカを心配する。


 一緒に過ごす時間が増えて、ふたりの親密度は上がった。


 お互いがお互いを思いやる関係は、こんなにも心地よいのだと、ベロニカは胸が暖かくなる。




「セベリノが側にいるから平気よ。ルーベンは侍医と一緒に、ここで待っていて。毒が手に入ったら、すぐに調べましょう」




 あらかじめ来てもらった侍医には、ベロニカの執務室に待機してもらっている。


 ティトから毒を入手したら、真っ先に調べなくてはならない。


 念のために解毒薬も用意している。


 サルセド公爵が毒を大量に購入している気配があったので、こちらも負けずと薬草を地方から取り寄せていた。


 街道の整備が終わったので、薬草は新鮮なうちに王城へ届けられるようになった。


 王立病院の医師たちからも、ほかの薬草についても入手が容易になったと、感謝されている。


 


「では、行ってくるわね」




 ティトはもう、いつもの庭園で待っているだろう。


 昨日、やっとサルセド公爵の購入している毒を入手したと、興奮気味にラミロへ報告があったと聞いた。


 


(これで、物的証拠が手に入る)


 


 先代国王の暗殺については、侍医も毒の特定を証言をしてくれる手はずとなっていた。


 もう少しでサルセド公爵を追い詰められると思うと、ベロニカの心は逸る。


 足早に庭園へ向かうベロニカの後ろを、無表情のセベリノが追う。


 それを見送って、ルーベンはカイザに指示を出した。




「ベロニカを護ってくれ。あの顔芸の出来ない男が、サルセド公爵を出し抜いたというのが、どうも怪しい」


「殿下の勘は、よく当たりますよね」


「優男のいいところは、本当に顔だけだからなあ」


「恐ろしい狂犬とは少し離れて、女王さまを見守らせてもらいますよ」




 カイザはあえて執務室の窓から外へでた。


 セベリノとは別ルートで庭園へ向かい、周囲を警戒するつもりだ。


 騎士のセベリノは、殺気を放つ者には敏感だが、そうではない者には無頓着だ。


 何をされても、ベロニカを護れる自信があるからだろう。


 だがカイザは、そうではない。


 好奇心旺盛なカイザは、動きのある者を目に留め、興味を示す。


 そして瞬間的に、ナイフを投げて仕留められるかどうかを、判断する。


 この距離なら届く、この距離なら届かない。


 それを正確に把握しているので、ブラブラしながら、警備をするほうが性に合った。


 相手に気づかれぬ内に射程距離へ入り、ナイフを投げたらいつのまにか離れている。


 そんな自由なカイザは、ベロニカたちから付かず離れず、庭園の周りをぐるぐるしながら、動いている者を観察していた。




 庭園の木陰のベンチに、ベロニカは座っている。


 ベロニカの前に跪いているのはティトだ。


 そして砂時計のような形をした瓶を、ベロニカに捧げていた。


 中には、黄色い粉が入っているのが見える。




「どうぞ、お受け取りください。これが女王陛下のご所望だった、サルセド公爵が購入した品です」




 恭しく掲げられたそれを、ベロニカは手に取った。


 ベロニカは本物を見ていないが、過去にラミロが話していた瓶の形状と似ている。


 間違いなく、これがベロニカを罠にはめた毒だろう。


 


「サルセド公爵に見つからずに、よく手に入れられましたね」


「クララに協力してもらったのです。クララは、サルセド公爵家の金庫の開け方を、知っていると言っていました」




 褒めてもらいたくて、ずっと目をキラキラさせているティトを前に、ベロニカは慎重だ。


 たしか過去でも、クララはサルセド公爵に内緒で勝手に毒の瓶を持ち出し、ベロニカ相手に使おうとしていた。


 それを考えると、クララが金庫を開けられるのは、不思議ではない。


 ベロニカが瓶を手に、考え込んでいると、目の前のティトが、ゴホッゴホッと咽た。


 どうしたのか、とそちらに目をやったベロニカの耳に、カイザの声が飛び込んできた。




「騎士さん! 女王さまを連れて、この庭園から離れろ! すぐにだ!」




 ベロニカの頭が、その言葉を理解する前に、セベリノはベロニカを抱き上げ、走り出していた。


 どこから聞こえてくるのか分からないが、カイザの緊迫した声は続く。




「女王さま、出来るだけ息を我慢して! 騎士さんのマントで顔を覆って! この庭園全体に、何かが撒かれている!」


「え……それって、もしかして……」


「口を閉じてください」




 カイザの言葉に反応したベロニカの口に、セベリノのマントが突っ込まれた。


 だから声には出せなかったが、ベロニカはこう言いたかった。




(もしかして、撒かれているのは、サルセド公爵の毒の粉では――?)




 木陰にいたベロニカと違って、開けた場所に跪いていたティトは、苦しそうに咳き込んでいた。


 サルセド公爵が、裏切り者のティトもろとも、ベロニカの命を狙ったのだとしたら。


 


(なんて罪深いことをするの――!)


 


 この庭園には、ベロニカ以外にも、働いている使用人や、寛いでいる文官など、多くの者がいた。


 そこへ、無差別に毒の粉を撒き散らすなど、常軌を逸している。


 大量に買い込んでいた毒の粉は、こうして使うためのものだったのか。




「騎士さん! 建物の中に入って! こっちはどうしたって風下だ! 逃げるには……ゴホゴホッ!」




 カイザも咳き込みだした。


 息を止めて走っているセベリノと違い、ベロニカたちを誘導するために、カイザはあちこちを見渡しながら声を出していた。


 ベロニカのように顔を何かで覆ってはいるだろうが、それでも吸い込んでしまったのだろう。


 ベロニカはセベリノに伝わるよう、少しだけマントをずらして声を上げた。




「執務室へ向かって。これはサルセド公爵の毒の粉よ。今なら、そこに解毒薬があるわ」


「分かりました」




 セベリノは、しっかりベロニカを抱えると、先ほどよりも速く走り出す。


 目的地が定まり、躊躇せずに駆けるセベリノの後を、カイザが追う。


 そうして息を切らして執務室に飛び込んできた三人を見て、緊急事態が発生したとルーベンは察した。




「何があったかは後で聞く。今するべきことは何だ?」




 切迫したルーベンの声に、マントを口から外して答えたのはベロニカだ。




「庭園で倒れている人を救助して」


「分かった」


「まだ毒が撒かれているかもしれない。気をつけて」




 ルーベンはそこまで聞くと、執務室を飛び出していった。


 おそらく向かう先は、騎士団長の執務室だろう。


 兵たちを駆り出し、人海戦術で倒れている人を探すのが、効率がいい。


 


 ベロニカもジッとはしていられない。




 何が起きたのか、まだ分かっていないラミロに、ありったけの解毒薬と共に、医師や看護師を連れてきて欲しいと伝えて、王立病院へ走ってもらう。


 ルーベンのように何らかを察したエンリケは、ベロニカの言葉を待たずに臨時の救護室をつくりましょうと提案してきた。


 現段階で、どれくらいの人が毒を吸い込んだのか分からないから、取りあえず一番広い大広間の解放を許可する。


 そこまで指示を出し終えて、ようやくベロニカはゆっくり息が吸えた。


 だが、ここからが本番だろう。


 


 執務室に待機していた侍医が、カイザの症状を診て、すぐに解毒薬を投与してくれた。


 ベロニカと同じく木陰にいたセベリノは、ほとんど毒を吸い込んでいないが、カイザはかなり吸ってしまったようで、咳がひどく出ていた。


 


「カイザ、ありがとう。あなたのおかげで、私とセベリノは助かりました」


 


 薬を飲んでも、まだヒューヒューと喉から音がしているカイザだったが、侍医によるといずれ改善するそうだ。


 声を出せないからだろう、ベロニカに手を挙げて、大丈夫と伝えてきた。


 そして、ラミロの席に近づき、そこにあったペンを取ると、紙に書きつけた。




『風上にある高い塔から、誰かが何かを撒いていた。それが風に乗って庭園に届いたあたりで、人が苦しみだした』


『塔に向かってナイフを投げたが、届いていないかもしれない』




 ごめんなさい、というようにカイザが頭を下げるので、ベロニカはそれを押し留める。




「今回の事件の一番の立役者は、カイザよ。あなたの活躍がなくては、私たちは後手に回っていたでしょう」

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