第26話

 ルーベンがマドリガル王国の感覚のまま王配になってくれたら、ベロニカは空虚な結婚に意気消沈しなくてもいい。


 恋人を優先する王配では、国の未来が危ういと考えていたベロニカにとって、ルーベンは最善手だった。




「ぜひ、マドリガル王国方式でいきましょう。私も、他に恋人をつくる人は、どうかと思っていたのです」




 ふんすと鼻息を荒くしているベロニカを、ルーベンがチラリと見る。


 そして片側だけ口角を上げて、くっと笑った。




「俺と恋人になりたいか、ベロニカ?」




 直球すぎるルーベンの物言いに、ベロニカは自分の発言も直球だったと思い返す。


 かあっと赤くなる顔を隠したいが、ここには書類しかない。


 書類でもいいか、とベロニカが手に取ろうとしたら、ラミロがそれを回収していった。




「では、僕、これを提出してきますね。晴れて今日から、ベロニカさまとルーベンさまは、恋人同士ですよ。おめでとうございます」




 悪気ない笑顔のラミロが、執務室を出て行った。


 残されたのは赤い顔を隠せなかったベロニカと、それを眺めるルーベン。


 エンリケは早々に自分の机に戻ったし、セベリノは置き物のようにジッとしている。


 ニヤニヤしているカイザだけが、ベロニカの羞恥心を煽っていた。




「あ、あの……っ、私……」


「ゆっくりでいいぞ。どこからどう見ても、恋に不慣れそうだからな」




 ルーベンが恋慣れているかというと、そうではないのだが、ここは年上の男として余裕を見せたい。


 それに真っ赤になっているベロニカを眺めるのが、案外嫌ではないと気づいた。


 ベロニカと一緒にいると、ぽかぽかする胸の内も、ルーベンがこの関係を悪くないと思っている証拠だ。


 エンリケが次の仕事を持ってくるまで、ベロニカの執務机の横で、ルーベンは頬を染めたベロニカを愛でるのだった。




 ◇◆◇




 ルーベンがマドリガル王国に帰ってしまった。


 いつもルーベンが座っていた椅子を、仕事中にベロニカは何気なく見てしまう。


 ベロニカの執務机の隣に置かれたそれは、すっかりルーベンの専用になっていて、今は空席なのが寂しい。


 少し粗野な態度で足を組み、エンリケに鋭い質問をしていたルーベン。


 ロサ王国の政策について、真剣に考える横顔を、ベロニカは眩しく思ったものだ。


 


(いつ戻ってくるのかしら?)




 もう何度目になるか分からない質問を、心の中で繰り返す。


 ルーベンがベロニカの婚約者に決定した告知が広まってから、いくつかの事件があった。


 一つ目は、サルセド公爵が久しぶりに執務室に突撃してきたことだ。




「勝手に婚約者を決めてしまって! マドリガル王国の第一王子とは、どういうことだ!」




 ピンクゴールドの髪色以上に、顔を真っ赤にして怒鳴り込んできたサルセド公爵に、ラミロが対応する。




「誰を婚約者にするのか、決定権は女王さまにあります。サルセド公爵がいくら叔父という立場でも、口出しはできません」


「なにおうっ! こざかしい平民の分際で! 私に意見すると言うのか!」


「意見ではなく、これは法律です。法律を破れば、たとえ王族であろうと裁判にかけられ、罰を与えられます」


「そんなはずがあるか! この国は王政だ! 王族が一番偉いんだ!」


「その王族の中でも、女王さまが一番偉いんですよ?」




 ラミロとサルセド公爵のやり取りは、滑稽だった。


 なんの理論武装もしていないサルセド公爵を、少年のようなラミロが筋道を立てて打ち破ってしまうのだ。


 サルセド公爵は、ベロニカがマドリガル王国と縁を繋ぎ、その強大な後ろ盾を得るのを避けたいらしく、しきりに反対をしていたが、決定事項は覆らない。




「クソッ! ティトは一体、何をやっていたんだ! 目をかけてやったのに!」




 終いには、ここに居ないティトを罵りながら、ドカドカと執務室を出て行った。


 呆れてものが言えず、ただ見ていたベロニカだったが、それからしばらくして、なんとティト本人がやってきた。


 


「女王陛下、私を密偵として使ってください。サルセド公爵の弱点を探ってきます」




 これが二つ目だった。


 衝撃の発言をしたティトだが、本人にその自覚はないのか、ベロニカに必死で自分を売り込む。




「こっそりクララから聞いたのですが、どうもサルセド公爵は、怪しい商会と取り引きがあるようなんです。相手と品を突き止めてきます。だから、どうか、お側に……」




 ティトが頬を染めて、上目遣いで強請る様は、堕天使のように妖艶だった。


 だが、この執務室には、その色気にやられる者がいない。


 取りあえず、「考えます」とだけ答えて、ベロニカはティトを下がらせた。


 ティトの扱いをどうするか、これからエンリケと、話し合わなくてはならないからだ。


 


「陛下、これは渡りに船ではないですか? どのみち、謀反の旗印になりかねないサルセド公爵は、何らかの理由で隠居してもらう予定でした。我々の隠し玉を使わずに済むのなら、危なくもありませんよ」




 エンリケの言う隠し玉とは、ラミロのことだ。


 ラミロの諜報員としての能力を高く買っているエンリケは、いずれサルセド公爵の周辺を探らせる気でいた。


 新参貴族との金銭が絡んだ繋がりや、先代国王暗殺疑惑の件で、サルセド公爵は常にきな臭い。


 ベロニカの復讐を果たすためにも、確実に罪に問える証拠を握り、いつか政治の舞台から退場願おうと思っていた。


 ベロニカの周囲を味方で固めてからと思っていたが、ついにその時期が来たのか。




「けれど、ティトを信用してもいいのか、悩みます」




 過去のこともある、とエンリケにだけ匂わせるベロニカ。




「では、ティトのことを、ラミロに探ってもらいましょう。いきなりサルセド公爵を探るのは、ラミロにとっても危険です。ティトが裏切者でないかどうか、まずは様子を見てみませんか?」


 


 それがよさそうだ。


 ベロニカはそう判断して、これからのことを打ち合わせた。


 ルーベンと正式に婚約したため、エンリケもティトも、ベロニカの婚約者候補から外された。


 そんな中、サルセド公爵側のティトと、ベロニカが親しくするわけにはいかないので、仲介役としてラミロに動いてもらう。




 ◇◆◇




 そう、決めたのだが――。




「どうしてもベロニカさまに会いたいと、駄々をこねるんです。あの人、ちょっと異常ですよ」




 ほとほと困り果てたという顔をして、ラミロがティトとの密会から帰ってきたのだ。


 


「私に会いたい? 会ってどうするの?」


「ご尊顔を拝謁する栄誉を……とか言ってました。僕、あの人はベロニカさまの信者だと思います」


「信者? 意味が分からないわ」




 思考がまるで追い付かないベロニカに代わって、エンリケが考える。




「ベロニカさまの取り巻きになりたいのでは? 夜会なんかで、見目のよい令嬢の周りに、侍る令息たちがいるでしょう?」


「ティトには恋人のクララがいるんですよ?」




 ますます混乱を極めるベロニカに、今度は珍しくセベリノが個人的見解を述べた。




「そいつは、ベロニカさまの犬になりたいのかもしれません」


「犬ぅ?」




 もう完全にベロニカの脳は停止してしまう。


 犬発言に、エンリケとラミロがセベリノを見た。


 忠犬と言えばセベリノ、という共通認識があったからだ。


 忠犬セベリノが敏感に嗅ぎつけた「ベロニカの犬になりたいティト」というのが、実は一番、命令されたいティトの心境について正鵠を得ていたのだが、ここで答え合わせはできない。


 


「叔父さまの情報を、きちんと調べてきたときだけ、会うようにします。定期的な報告のやり取りは、今後もラミロにお願いするわ」


「それがいいですよ、ベロニカさま。あの人、気持ち悪いですから」


「陛下がそれでいいのなら、そうしましょう」


「犬のしつけは最初が肝心です」




 ベロニカの妥協案に、ラミロもエンリケもセベリノも、頷いて返した。


 ベロニカの中で、過去のティトの印象が急速に薄れていく。


 こんな人だったっけ? という思いばかりが、ぐるぐるしていた。

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