第13話

 ティトがクララを抱き起こし、睥睨しているベロニカの前から足早に立ち去る。


 ベロニカは使用人に指示し、クララが食べ散らかしたティーテーブルの上を片付けさせた。


 小さい頃から慣れ親しんだこの場所に、いつまでも二人の痕跡を残したくなかった。


 そしてセベリノに「一人にして欲しい」と告げ、奥庭のさらに奥にある、王家の墓を目指して歩き始める。


 そこに眠る父と母に、己の愚かさを叱って欲しかった。




 ◇◆◇




 目隠し代わりの背の高い木々を抜けると、大きな石碑が見える。


 それが歴代の国王と王妃が眠る、墓だった。


 王族しか立ち入ることを許されない、奥まった場所に、墓はひっそりと立ち続ける。


 その前まで、ベロニカは進んだ。


 そして石碑を見上げる。


 雨風にさらされて、刻まれた文字はもう判別がつかない。


 しかし、ロサ王国の成り立ちが書かれているはずだ。


 ロサ王国が建立したときから、脈々と続く王族の血を受け継ぎし者たちが、この下に眠っている。


 ベロニカが女王のままであれば、父や母同様、ここに葬られるだろう。


 ベロニカは跪く。


 そして石碑に頭を垂れ、泣いた。


 ティトに恋をしていたのは、一年間にも満たない短い間だ。


 それでも、心に深い傷を負った。


 ベロニカが初めて預けた心を、ズタズタにされた。


 ティトとクララは恋人同士で、ティトが恋愛結婚を望んだ相手はクララだった。


 ベロニカに語った恋愛結婚の夢は、決して嘘ではなかったということだ。


 ひとしきり涙を流して、乱れた気持ちに整理をつける。


 そして愚かな恋に盲目となり、国と民を危うくした未熟さを反省した。


 


 もうじき日が傾き始め、次第に肌寒くなるだろう。


 セベリノも心配しているかもしれない。


 そろそろ戻ろうと顔を上げたとき、ベロニカの視線の高さに、何かが刻まれていた。


 これまで石碑のこんな低い部分を、しげしげと見たことが無かったので、気がつかなかった。


 それは文字ではない。


 何かの紋章のような形で、模様がある。


 ベロニカはこの模様が彫られたものを知っていた。


 そっと胸元に手をあてる。


 父の形見のロケットがそこにはあった。




 ザッザッザッザ……




 ベロニカの背後から、数人の足音が聞こえた。


 ここは王族以外は立ち入り禁止の場所なのに、誰が不敬を働いているのか。


 立ち上がり振り向いたベロニカの眼に、兵を引き連れたサルセド公爵の姿が映る。


 ベロニカを退位させようとした張本人の登場に、ベロニカの背筋に緊張が走る。




「叔父さま、一体、何の真似ですか? ここは、王族以外は立ち入り禁止の、神聖な場所。大勢の兵を入れるなど、言語道断なふるまいです」




 毅然としたベロニカにも、サルセド公爵は怯まない。


 それどころか、ニヤリと笑うと、後ろの兵に命をくだした。




「嫉妬に狂い、クララの殺害を目論んだ哀れな女王を捕えろ! 今後の裁判でベロニカの身の潔白が証明されるまで、執行権は宰相である私にある!」




 兵たちは、戸惑いながらも、ベロニカを捕縛しようとした。


 ベロニカが抵抗すると、両腕に縄をかけられる。


 


「放しなさい。正当な理由もなく、拘束することは禁じられています」


「お前の罪状はもう決まっているのだ。ティトを奪われた腹いせに、クララに毒を盛った。そして先ほど、女王の寝室から、毒の粉が入った瓶が証拠として見つかっている。ベロニカ、言い逃れは出来んぞ!」




 サルセド公爵の言う内容は、ベロニカには身に覚えのないものだ。


 しかし、サルセド公爵がティトを使ってベロニカを罠にかけようとした事実がある以上、これもまたベロニカを退位させるための謀なのだろう。


 ズルズルと引きずられるようにベロニカが奥庭まで出ると、そこには多くの兵に取り囲まれたセベリノがいた。


 囚われたベロニカを見て、セベリノの眼の色が変わる。




「ベロニカさま! すぐにお助けします!」




 セベリノは躊躇わずに剣を引き抜き、その動作だけで周りにいた兵を薙ぎ払った。


 まるで、藁人形を相手にしているように、セベリノは一振りごとに兵たちを軽々と倒していく。


 セベリノを取り囲む兵の輪が、あっという間に切り崩されていくのを見て、恐慌をきたしたサルセド公爵が、総攻撃の合図をする。


 本来であれば、総攻撃の合図を出せるのは、騎士団長に限られている。


 しかし、この場にセベリノの父で騎士団長のテラン伯爵とセベリノの兄はいない。


 ベロニカの専属騎士セベリノと、血が繋がった家族であることを理由に、ベルニカ拿捕への随行を禁止されたのだ。


 そうなると兵たちは、この場で最も地位が高いサルセド公爵の命令に、従うしかない。


 セベリノに向かっていく兵、応援を呼びに行く兵、ベロニカを引きずっていく兵。


 いつもは静かな奥庭が、物騒がしく混沌としていく。


 ロサ王国の王城に常駐している兵の数は、およそ千人。


 そのうちの約半分が、セベリノを抑え込むために派遣されていた。


 国内最強の剣豪を恐れた、サルセド公爵の出した指示だった。


 どれほどセベリノが強かろうが、多勢に無勢だ。


 圧倒的な数の暴力に、ベロニカはセベリノの死を予感する。




「セベリノ! あなただけでも逃げて!」


「その命令はきけません。俺は、ベロニカさまの専属騎士です。どんなときでも、お護りします」




 薙ぎ払うだけでは埒が明かないと判断したのか、セベリノが兵たちの急所を狙いだす。


 最低限の動きだけで、一足飛びにベロニカのいる位置まで近づいていくセベリノ。


 的確に動きを止められ、数が減っていく兵に、サルセド公爵の顔色が悪くなる。


 そして悲鳴のような情けない声で、さらなる追撃を命じた。


 


「さっさとベロニカを牢に連行しろ! そしてあの化け物には、矢を射かけるんだ!」


「この近距離では、味方の兵に矢が当たってしまいます」


「だったら槍だ! 串刺しにしろ!」




 そうして槍を持った兵たちが駆り出されたが、セベリノに槍を奪われ、むしろこちらが串刺しにされる。


 ちょうど切れ味が悪くなっていた剣を放り捨て、セベリノはくるくると軽快に槍を回しては、兵を突く。


 サルセド公爵は、カチカチと震える歯を、なんとか動かし、自分を護衛させている兵に尋ねる。




「あいつは……剣豪、だったのでは、ないのか? 槍も、使えるのか……?」


「恐れながら、セベリノさまは戦神の申し子。ただの兵では敵いません」




 返された言葉に、ひいと息を飲み、ここでセベリノを確実に殺しておかないと、いつ返り討ちにあうか分からないと戦慄する。


 サルセド公爵は、王城に残る兵の、さらに半分を投入させる。


 ベロニカを遠ざけることには成功したが、それでもセベリノの勢いを削れない。


 ベロニカが愛した奥庭は、足の踏み場もないほど、倒れた兵で埋め尽くされた。


 


 セベリノの戦いは未明まで続いた。


 しかし、それもいよいよ幕を閉じる。


 回り続けた独楽が最後には傾くように、よろりと体勢を崩れさせたセベリノが、どっと両膝をついた。


 ここまで休むことなく戦い続け、常に命のやり取りの最前線にいたセベリノの、意識が今にも飛ぼうとしている。


 セベリノが最後に思い浮かべたのは、騎士になりたいセベリノの夢を叶えるために、権力を行使してくれた幼馴染の顔だった。


 セベリノは夜空を見上げる。


 そしてベロニカの髪色と同じ漆黒を、灰色の瞳に焼きつけた。




「俺の、女王」


 


 ザシュッ!




 セベリノの戦意が薄れた隙を狙って、投げられた槍がその胸を穿つ。


 貫かれても、セベリノの体は倒れもせず、静かにそこにあり続けた。


 まるで奥庭の奥に佇む、秘された石碑のように。


 完全に動きを止めたセベリノが、確実に死んだと分かって、ようやく兵たちは恐る恐るその亡骸に近づいた。


 そのとき、王城にいる動ける兵の数は、すでに数十人にまで減っていたのだった。

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