第3話

 戴冠式の当日を迎えた。


 ここに辿り着くまでの道のりが長すぎて、正直、ベロニカは疲れ果てていた。


 しかし、式を執り行う聖堂では、最前列に各国の王族や皇族が並び、その次の列にはロサ王国の古参貴族たちが並ぶ。


 ロサ王国の威信をかけて、女王となった矜持を見せるために、ベロニカは戴冠式をやり抜かねばならなかった。


 緊張した面持ちのベロニカに、エンリケが朗らかな声をかける。




「大丈夫ですよ。何度も練習をしていたでしょう。もっと自信を持ってください」




 執務が終わってから、夜中にこっそり練習していたのが、エンリケにはバレていたようだ。


 その恥ずかしさで頬を染めるベロニカに、セベリノがいつもの物騒発言をする。




「ベロニカさまを笑う者がいれば、俺がその口を引き裂いてやります」




 今にも剣を抜こうとするので、ベロニカは慌ててそれを止める。


 そんな二人に見守られる中、ベロニカは戴冠式に挑んだ。




 ◇◆◇




「真っすぐな、良い目つきをしている」




 最前列にいた男が、居並ぶ参列者の間を、しずしずと入場してきたベロニカを見て呟いた。


 きらめく金髪に映える鋭い赤い瞳、正装をさりげなく着崩して、精悍な雰囲気をまとうその男こそ、ロサ王国と双璧を生す、大国マドリガル王国の第一王子ルーベンだった。


 後ろに控えていた側付きが、ルーベンの発言を注意する。




「殿下、いけませんよ。このような場で、女王陛下を評価するなど、恐れ多い」


「褒めているのだから、いいだろう」


 


 悪びれずに答えるルーベンに、側付きも諦め顔だ。


 きっとこのようなやり取りは多いのだろう。


 側付きの気苦労のほどが知れた。


 


「それにしても珍しいですね、殿下が女性に興味を示すなんて」




 諦めついでに、側付きは好奇心を隠さずに尋ねた。


 これまで側付きが知る限り、ルーベンが女性を眼中に入れたことなど、一度としてなかった。


 嬉しそうな顔をしている側付きを横目に、ルーベンはしっかりとベロニカの姿を目に焼きつけていた。




「お前には、女性に見えるのか」




 ベロニカは壇上の大主教から、赤いマントを授けられ、次は王杖を授けられようとしている。




「どこからどう見ても、美しい女性に見えますけど?」




 側付きが、おかしな発言をするルーベンに、首をかしげる。


 緊張もあってか、キリリと引き締まった顔つき、覚悟の決まった深緑色の瞳、ベロニカのしゃんと伸びた背筋が、曲がったことは嫌いなのだと告げているようだった。




「あれは女性でも男性でもなく、為政者だ。国を護ると心に誓った、そういう表情をしている」


「殿下と同志というわけですね」


「俺は……いい為政者には、なれんだろう」




 王冠をかぶせられたベロニカに、参列者から盛大な拍手が沸く。


 その音にかき消され、ルーベンの最後の言葉は側付きに届かなかった。


 それを気にすることなく、ルーベンもベロニカに拍手を贈る。


 


「このまま、あの瞳が曇らなければ、ロサ王国はもっと栄える」


「ですが、まだ王配候補が決まっていないそうですよ。女性は付き合う男性次第で、変わると聞きますからね」


 


 ルーベンよりもよほど男女の機微に詳しい側付きが、心配そうな顔をしてみせた。


 


「そうなったら、そうなったときだ。いくら大国と言えども、隙を見せれば、足元をすくわれる。それは俺たちも同じだ」


「マドリガル王国が崩壊するなんて、想像もつきませんけどねえ?」


「さあて、それはどうかな」




 剣呑に笑ったルーベンの視線は、ベロニカが退場する後ろ姿を追う。


 憎しみに染まってしまった自分の代わりに、せめて女王はいつまでも清廉であってくれと、願いながら。




 ◇◆◇




 新暦868年――戴冠式も無事に終わり、政務に追われるベロニカの日々がまた始まった。




 ここ数か月、ベロニカはサルセド公爵と意見が衝突してばかりで、進まない政策に悔しい思いをしている。


 民の生活改善のために税金を使いたいベロニカと、貴族の力増強のために税金を使いたいサルセド公爵。


 お互いの妥協点を見いだせず、いつも協議は紛糾した。




「それでは駄目だと言っているんだ、ベロニカ。まったくもって政治というものが分かっていない!」




 叔父という立場を笠に着て、ベロニカを呼び捨てにするサルセド公爵に、いつでも飛びかかる準備をしているセベリノを、ベロニカは宥める。


 これくらいで、サルセド公爵を剣の錆びにしてもらっては困る。


 サルセド公爵には、多くの新参貴族が味方についている。


 古参貴族に味方してもらっているベロニカだが、だからと言って、新参貴族を侮ることはできない。


 こんなにサルセド公爵がベロニカに対して強気でいられるのも、新参貴族の数の力のせいなのだ。




「ですが、税の大部分は民から集められたものです。だったら、民のために使うのが……」


「その民を護ってやっているのは誰だ? 領地を治めている領主、つまりは貴族だろう? だから税は貴族のために使えと言っているんだ。巡り巡って、それが民のためになると、何度言わせる!」


「しかし、すべての領主が民のために税を使うとは限りません」


「危うい発言だぞ、ベロニカ。貴族を信用していないと受け取られる。王族へ反旗を翻されてもいいのか?」




 今日も堂々巡りだ。


 ベロニカの発言の揚げ足を取り、のらりくらりと決議を引き延ばすサルセド公爵の手に、まんまと引っかかっている。


 あまり使いたくないが、ベロニカは強硬手段に出た。




「叔父さま、女王は私です。私の意見が、最終決定事項です」


「クッ……!」




 こう言うとサルセド公爵は引くが、それは決して納得してのことではない。


 ベロニカも、サルセド公爵や新参貴族との溝を深めてしまうやり方は好きではないが、いつまでも政策を留まらせるわけにもいかない。


 折衝のたび、サルセド公爵と新参貴族からの反感を買っているベロニカに、エンリケは気遣わしそうな顔をする。


 そして執務室からサルセド公爵が出て行ってから、エンリケがベロニカを労った。




「お疲れ様でした。……しかし今回も、サルセド公爵は執拗に反対してきましたね。よほど、新参貴族から旗印として頼りにされているのでしょう。言っている内容も、あながち的外れではないので、全否定をするのも難しいですし……」


「ですが、新参貴族の中に、民からの税を中抜きしている一派がいるのは確かです。そんな状況が改善されていない内から、大切な税を彼らに託そうとは思えません」




 ベロニカは毅然と答える。


 しかし、真っすぐ過ぎる女王をエンリケは危惧する。


 果たしてこのまま、サルセド公爵との対立の構造を、築いてしまっていいのか。


 新参貴族の力を把握しきれていないエンリケには、判断しかねた。




「そう言えば、そろそろ領地に帰る頃ではないですか? 急ぐ仕事があれば、私に回してくださいね」




 エンリケの胸中を知らず、ベロニカはエンリケを慮る。


 エンリケは二カ月に一度、まとまった休暇を取って、領地へ帰省している。


 しきりに領地を気にするエンリケのために、ベロニカが特別に作った仕組みだった。


 エンリケがいない間、担当している仕事は、ベロニカに回される。


 申し訳ないと思いながらも、エンリケはどうしても領地に帰りたい理由があったので、ベロニカの厚意を受け取っている。


 


「いつも、ありがとうございます。陛下の配慮のおかげで、本当に助かっています」


「いいのです。こちらが無理を言って、宰相になってもらったのですから。行き帰り、道中の無事を祈っています」


 


 快くベロニカに送り出してもらい、エンリケは王城を留守にする。


 そうすると、ベロニカはしばらく孤軍奮闘しなくてはならない。


 宰相になってそろそろ一年が経とうとしているエンリケは、頭脳明晰で能率が良く、その抜けた穴をベロニカが一人で埋めるのはかなり無理があった。


 


(このままでは、遅くないうちに、体に不調をきたしてしまう……)




 そう思いながらも、ベロニカが連日の徹夜仕事をしていると、思わぬところから助け船が出された。

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