第9話 sideウィルフレッド

「兄上!」


 執務室を出て他の主要な貴族のところにも挨拶回りをしていた時である。

 背後から声が響き、ウィルフレッドが振り返ると、金髪碧眼の美少年が満面の笑みとともに駆け寄ってくる。


「ああ、お前か。後でお前のところにも顔を出そうと思っていたから丁度いい」

「えっ、私のところにですか?」


 少年がパチクリと目を瞬かせる。

 今年一八歳になるが、年齢より幼くあどけない印象を受ける。


「紹介がまだだったろう? 俺の妻になったアメリアだ」

「は、は、はじめまして! アリシアと申します!」


 ウィルフレッドが手で指し示すと、アリシアが緊張しきったぎこちない調子でペコリと頭を下げる。

 先程の失敗をまだ気にしているらしい。

 少年も返礼するように頭を下げて名乗る。


「はじめまして。王弟リチャード=アキテーヌ=ウインザーです」


 言って、顔を上げるやリチャードはニコッと柔らかい笑みを浮かべた。

 その笑みに、近くにいたメイドたちからほうっと感嘆の溜め息が漏れる。


「ほえ~」


 隣ではアリシアも驚き呆けた顔で、リチャードの顔をまじまじと見つめている。 

 無理もない、とウィルフレッドは思う。

 リチャードはその類稀なる容姿で、宮廷内の女性たちには「地上に舞い降りた天使!」と身分の上下問わず人気なのだ。


「なかなかのハンサムだろう? だが、夫の前で他の男に見惚れられるのは困るな」


 特に今は人目もある。

 辺に不仲や浮気の噂を立てられるのは対外的にもよろしくない。

 ただでさえ仮面夫婦なのだ。スキャンダルの芽は早めに駆除しておくべきだろう。


「へ? 見惚れる?」


 キョトンとした顔で、目をぱちくりさせるアリシア。


「リチャードの顔をじっと見ていただろう?」

「え、はい。やっぱり兄弟なので陛下と似ているなーって」

「似ている、か?」


 ウィルフレッドは怪訝そうに弟の顔を見る。

 正直、似ても似つかない気がした。


「……似てますかね?」


 リチャードも同じ感想だったようで、ウィルフレッドの顔を見つめ眉をひそめる。

 彼の背後にいるメイドたちも怪訝そうにしている。

 さすがに不敬と思ったのか、隠そうとはしているが。


「似てますよー。目元とか鼻の形とか口の形とかそっくり」

「……いや、全然似ていないだろう?」


 改めてウィルフレッドは指摘された箇所を確認するが、やはりとても似ているとは思えない。

 一瞬、リチャードに見惚れたことの誤魔化しかとも思ったが、


「ええー? 似てますよ」


 アリシアは納得がいかないとばかりに唇を尖らせて主張してくる。


「正直、真逆にしか見えないが?」


 動物に例えるなら、自分は血に飢えた凶悪な狼で、弟は毛並みのいい可愛らしい愛玩犬である。

 種族的には近親と言えなくもない。

 それぐらいのそっくり度に思える。


「ですね。兄上に同意です」


 リチャードも苦笑いとともにそう言う。

 メイドたちも彼に同意らしく、おのおの小さくうなずいていた。

 だが、アリシアはぶんぶんっと首を振って、


「真逆なのは表情の作り方、ですよ。陛下はこう、いつもムスッとしておられますから」


 自らの両目の端を人差し指で吊り上げ、口元をキリッと引き締めて言う。

 本人的には精一杯怖い顔をしているつもりなのだろうが、小動物が威嚇している風にしか見えず、むしろかわいいぐらいなのだが……


 周囲からは、ひっと一斉に息を呑む音が聞こえた。

 まあ、当然と言えば当然か。

 国王相手に、それも暴虐武尽の魔王とまで恐れられている相手に対して、からかいとも取れる不敬行為である。

 下手すれば一発で首が飛びかねない。


「笑い方だってそうです。こうニィッって怖い感じで」


 ――のだが、アリシアは止まらない。

 口の左端を吊り上げて、いかにも凶悪そうな悪ぶった笑みを浮かべる。

 もしかしなくても、これまたウィルフレッドの真似だろう。

 目に見えて、リチャードやメイドたちの顔がサーッと血の気が引いていく。

 だが、やはり本人だけは全く気付いた風もなく、


「笑う時にこう、口角を上げてほがらかに笑えば、けっこう似た感じになると思いますよ」


 自らの唇の両端を人差し指で押して引き上げ、目を柔らかく細めニコッと笑顔を作る。

 その笑顔自体は、とても可愛く微笑ましいものではあったのだが……


 シーンと、ただ静寂が辺りを支配していた。

 完全に空気が凍りついている。


「くっ……くくくっ」


 そのギャップに、思わずウィルフレッドの口から笑みがこぼれる。

 アリシアは、自分がそんなヤバいことをしでかしたなど欠片も気づいていないだろう。

 ウィルフレッドだって、一切怒りなど覚えていない。

 なのに周りは惨劇が起きるのではないかと慌てふためいている。

 その温度差が、なんとも滑稽で面白かったのだ。


「えっ!? あれ!? も、もしかしてあたし、またなんか変なこと言っちゃいました?」


 今さら気づいたように、アリシアが慌てだす。

 そういうところがまた面白い。


「いや、実にいいアドバイスだった。以後、参考にしよう」


 笑いを噛み殺しつつ、ウィルフレッドは鷹揚に頷く。

 途端、


「「「「「ふう」」」」」


 と、周囲の人間が一斉に胸を撫で下ろす。

 惨劇が起こらないとわかり、安堵したらしい。

 よっぽど自分は、気に入らない人間は即処刑する人間と思われているようだ。

 まあ、自業自得でもあるし、宮廷の空気を引き締めると言う意味では好都合なのだが。


「……随分と打ち解けられたようですね」


 リチャードが半ば唖然とした様子で訊いてくる。

 奇しくも、先程セドリックからも、ほぼ同じ言葉を言われたのを思い出す。

 外交的にバロワとの友好は極めて大事であり、けっこうなことである。


「全て彼女のおかげだ」


 これはお世辞ではなく、ウィルフレッドの本心だった。

 初対面の頃こそ怯えられたが、腹を割って話してからは、王である自分に臆することなく、歯に衣着せず物を言ってきてくれる人間などなかなかいない。

 正直、とても有難い。


「い、いえ、陛下が寛大でお優しい方だからですよ」


 パタパタと手を振りつつ、アリシアが否定してくる。

 その言葉は、リチャードにとっても意外だったらしい。


「お優しい、ですか?」

「えっ!? あ、えとえと……」


 問い返され、アリシアがキョドる。

 元々、庶民ということもあって、気後れしてしまうのだろう。

 ウィルフレッドは落ち着けという意図を込めて、トントンと後ろから軽く肩を叩く。

 多少は効果があったらしく、


「は、はい。へ、陛下はとっても優しい方だと、その、思います」


 アリシアはにっこりはにかみながら、たどたどしく返す。

 いかにも初々しい新妻といった感である。

 彼女が本気でそう思っているのだということが、これでもかと伝わってくる。

 ほんのちょっとだけ、居心地が悪い。


「はははっ、これはあてられたちゃったな。仲睦まじいようでなによりです」


 一本取られたとでも言う調子で、リチャードが快活な笑みを浮かべる。

 ついでウィルフレッドのほうに向き直り、


「改めてご結婚おめでとうございます。いい方に出会われたようですね」

「ああ」

「正直、羨ましいです。僕も伴侶を迎えるなら、相性のいい方がいいんですが……」

「王族の結婚は政略だからな」

「はい。心得ております」


 リチャードは殊勝に頷く。

 ウィルフレッドと違い、宮廷の中で育った彼である。

 王族の義務というものは、よくよく理解しているのだろう。


「そう言えば、勉学にも良く励んでいるみたいだな。教師が褒めていたぞ」

「はい、学ぶのは楽しいです」

「それは良いことだ。ならその調子で頑張れ。俺に何かあれば、王位を継ぐのはお前なんだからな」

「そんな事を仰らないでください。この国にはまだ兄上が必要なのですから」

「必要不必要に関係なく、不測の事態というものは起こるものだ。それに備えておくのも王の心得の一つだ」

「……はい」


 リチャードは若干不貞腐れた顔で項垂れる。

 我ながら厳しい事を言っているという自覚はある。

 唯一の肉親が死ぬことを考えておけ、というのだから。

 それでも――


「王族たる者がそう簡単に表情に出すな。つけ込まれるぞ」


 あえてウィルフレッドは追撃する。

 これも王族には絶対に必要不可欠なことだからだ。


「っ! は、はい!」


 慌ててリチャードはキリッと表情を引き締める。

 まだ硬く強張っており、緊張が伝わってくる。

 年齢を考えれば、この反応は自然でさえあるのだが、


「王弟としての自覚を常に忘れるな」


 次代の王候補として、甘やかすわけにはいかなかった。

 まったく王族というのは難儀なものだと思う。

 唯一残された肉親にすら、このように接さねばならないのだから。


「僭越ながら」


 苦笑いとともに口をはさんできたのは、ノイマン公爵のアレックスである。

 ノイマン家はウインザー王国建国の功臣たる八大公爵の一角とされる名家であり、リチャードの母方の実家でもある。

 その縁からリチャードの後見役を務めている男だった。


「なんだ? 直言は大歓迎だ」


 ノイマン公爵に視線を向け、ウィルフレッドは言う。

 王などという立場だからこそ、ウィルフレッドは注意や反論、指摘を好む。


 ……のだが、いまいち理解されない部分ではあった。

 それで処罰するつもりなどないのに、勝手に相手が委縮するのだ。

 難儀なものである。


「ではお言葉に甘えまして」


 とは言え、その辺は八大公爵家の当主であり、また武人としても国の内外にその名を轟かしている硬骨漢だ。

 ウィルフレッドの目をしっかりと見据え、まったく怯んだ様子もなく口を開く。


「確かに殿下はまだ幼く、陛下から見れば頼りなく映るのやもしれませんが、そういう親しみやすさこそが、リチャード殿下のいいところかと」

「ほう?」

「そんな殿下だからこそ、我々はお助けしたいと思うのですから。いかに優秀でも、一人では一〇〇人に勝てませぬ。至らぬ点は我ら臣下が補佐すればよいのです」


 その言葉に、リチャードの後ろに控えるメイドたちもうんうんと頷いていた。

 随分と下の者たちから慕われているらしい。

 ウィルフレッドとはえらい違いである。


「ふむ」


 一理ある、とウィルフレッドも理解を示す。

 確かに、人に好かれ助けたいと思わせる気質も、「王の才」と言えた。

 事実、そういう人間が建国した例が世界にはいくつかある。

 そして、ウィルフレッドに最も足りないものでもある。


「ならば、お前たちがしっかり支えてやることだ」


 それで物事がうまくいくのであれば、それはそれで結構なことだった。

 自分のような急進的な王の治世の間は、多くの不満が噴出するだろう。

 そう言う意味では、次代を担う者として、このリチャードの資質は、調整役として今後のこの国にとっては必要なのかもしれない。


「はっ!」


 恭しくノイマン公爵が頷く。

 戦時中に彼と何度か話したことはあり、実直な彼らしい振舞いだと思った。

 確かに彼に任せておけば、そう問題はなさそうである。


「では、俺はそろそろ行く。まだ寄らねばならんところもあるのでな」

「はい、お疲れ様です」

「お疲れ様です、兄上。義姉上様、あまり話せませんでしたが、近い内に時間をとってゆっくりお話しましょう」


 リチャードがニコッと柔らかい笑みをアリシアに向ける。

 泣いたカラスがもう笑った、とはこの事を言うのだろう。

 だがまさにこういうところが、ノイマン公爵の言う親しみやすさ、人に好かれる資質なのだろう。


「はい、楽しみにしてますね」


 アリシアも微笑んで返す。

 そしてリチャードたちと別れ、しばらく歩き周囲に誰もいなくなってから、


「はああああああ、なんとも華やかな弟さんでしたねぇ」


 どっと疲れたように、アリシアが大きく溜め息をつく。

 まあ、元々、庶民育ちの娘だ。

 彼女にとってはまさしく「雲の上の王子様」であり、緊張したのだろう。


「ああ、俺とは違って宮廷の人気者だ」

「みたいですねぇ」

「影では俺よりあいつが王だったら、なんて声も少なくない」


 誰だってそりゃそうだろう、と思う。

 厳しく苛烈な王より、優しく温和な王のほうがいいに決まっている。


「君も、どうせならあいつが王だったほうが良かったんだろうな」


 フッとウィルフレッドは自嘲の笑みをこぼす。

 自分みたいな冷徹な人間との仮面夫婦生活より、優しく親しみやすいリチャードとちゃんとした愛を育んだほうが、彼女にとってもきっと幸せだったに違いない。

 わりと心底からそう思っていたのだが、


「へ? いやいやいや! わたしは陛下で全然いいですよ」


 アリシアはぶんぶんぶんっと手と首を振りまくって否定する。

 本気で拒絶しているようにも見えるが、さすがに言葉通りには受け取れなかった。


「世辞ならいらんぞ?」


 自分が人から好かれないタチなのは、もうよくよく理解している。

 こんな冷徹で強面な自分と、いかにも白馬の王子様然としたリチャードだ。

 権力込みならともかく、人としてどちらが好ましいかなど比べるまでもない事だった。


「いえ、お世辞とかではなくガチで陛下のほうがいいです」

「ほう? 理由をうかがっても」

「陛下は優しくていいひとですから」

「……またそれか」


 やれやれとウィルフレッドは嘆息する。

 相変わらず節穴な目だとは思う。


「むぅ、信じてませんね」

「当然だ。リチャードのほうが俺なんかよりよっぽど、優しくていいひと、だろうからな」


 唇を尖らせるアリシアに、ウィルフレッドは肩をすくめて返す。

 それが世間一般の評価というものだろう。


「そうですかね?」


 だが、アリシアは眉をひそめて首を傾げる。

 あまりピンときていないようだった。


「何か引っかかることでもあるのか?」

「えっ!? え~っと……別に何もないですよ」


 アリシアが目を泳がせながら、たどたどしく言う。

 明らかに何かある感じだった。

 嘘のつけない娘である。


「構わない。言ってくれ」

「ええっと、でも、わたしの勘違いかもですし」

「あいつはこの国の王位継承者だ。今後の為にも遠慮のない意見こそ言って欲しい」

「……弟さんには内緒ですよ」

「約束しよう」


 うむとウィルフレッドは頷く。

 それでやっと覚悟もできたのか、アリシアがたどたどしく口を開く。


「では……その、なんというか……言葉を選ばずに言えば、苦労知らずのお坊ちゃん、って感じがしました」

「くくっ、なかなか辛辣だな」


 ウィルフレッドが口元を押さえ、小さく笑みをこぼす。

 王族相手にここまで歯に衣着せぬ物言いが、実に新鮮だったのだ。


「あっ、す、すみません!」

「いや、それでいい。繰り返すが遠慮ない意見が聞きたいのだ。まあ、実際、苦労知らずの坊ちゃん育ちではある」


 リチャードは、現ノイマン公爵の叔母に当たるグレイス夫人を母に持つ良血だ。

 実際、今日のやりとりを見ても、蝶よ花よと可愛がられ育てられたのがよくわかる。


「はい、お母さんが言っていました。苦労が人を育てるんだよ、と」

「ふむ」


 なるほど、これまた一理あると思う。

 一廉の人物というものは、だいたい若い頃にかなりの苦労をしているものだ。


「他にどんなことを言っていた?」

「えーっと、『苦労を知らずに育った人は、人の痛みがわからない。なんでも当たり前になりすぎて感謝もなくなる。だから若い内の苦労は買ってでもしな』ですね」

「実に含蓄のある言葉だ。君の母君はなかなかの賢者のようだ」

「そうでしょう! お母さんには色々教えてもらいました!」


 ぱあっとアリシアの顔が太陽のようにはなやぐ。

 彼女が母親の事が大好きなことが、これでもかと伝わってきた。

 なんとも微笑ましく、そして少しだけ羨ましかった。

 自分と母親の関係は、決していいものではなかったから。


「あっ、ちなみに陛下からはこれでもかってぐらい苦労してきた人の匂いがしますよ」

「そうか? 実感はないな」


 あまりピンとこなかった。

 むしろ自分では苦労知らずなほうとさえ思う。

 さすがにリチャードほど至れり尽くせりではなかったが、なんだかんだ王族で、衣食住には困らなかった。

 今のウインザー王国には、日々食べることさえ困窮している者たちも少なくない。

 そういう人たちから比べれば、恵まれた生活と言うしかなかった。


「でも、人の痛みがわかるから、割に合わない面倒事を引き受けておられるのでしょう?」

「苦労などせずとも、さすがに今の国民が困窮していることぐらい馬鹿でもわかる」

「そうでもないですよ。王族なんて下々の人たちの暮らしには興味ないものです」


 珍しく冷めた声で、アリシアは言う。

 セドリックの調べによれば、彼女は王女とは言え、母親の身分が低く、また正妃から疎まれもしたため、市井で暮らしたという話だ。

 庶民の生活を知るからこそ、バロワの王族たちのありように思うところもあるのだろう。


「なるほど、興味がないのか」


 妙にその単語が、しっくりきた。

 実際、彼の兄も、父も、民を顧みない王だった。

 貴族たちにも、同様の者が少なくない。

 自分たちの贅沢な生活が、民からの税で成り立っているというのに、だ。


 民を虐げれば、いずれ自分たちにしっぺ返しが来る。

 彼らは決して学がないわけではない。頭が悪いわけでもない。

 なのになぜそんな簡単な事すらわからないのかと疑問だったのだが、今ようやっと氷解した。


 彼らは民の生活に、そもそも興味がなかったのだ。

 だから、馬鹿でもわかることを知らない。知ろうともしない。

 実に納得のいく理由だった。


「だから民の暮らしを思う陛下のほうが、リチャード殿下より優しい方だと思います」

「……結局、またそれか」


 げんなりとウィルフレッドは嘆息する。

 何がなんでも、自分を優しい人間と言うことにしたいらしい。


「ええ、ここだけは譲りません」


 アリシアはうんうんと力強く頷く。

 会って一日の人間相手に、なぜそこまで自信たっぷりに言い切れるのか、正直、不思議でならない。


「意外としつこいな、君は」


 とりあえず半ば呆れ気味にそう皮肉っておいた。

 だが、同時にこうも思った。

 誰もが恐れる自分に怯えず、優しいとまで言ってくる。


 実に珍妙で……面白い、と。

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