7.煙る夕空(トゥレル)

兄が退院して、すぐ次の休みには、フロレスに戻った。ニルは休暇の初めからずっといたが、せめて後半は、タラミアのために使わせないと、良くない。だから交代するつもりだった。


兄は重病人ではないのだから、ニルや僕まで付いている必要はないが、この短い間に、色々とありすぎた。


色々ついでに、列車が遅れ、夕方につくはずが、夜になってしまった。終点のチウゲートで事故が、と聞いていたが、降りてから、事故はフロレスだと解った。




駆けつけて見ると、祖母のいるはずの、別荘地帯は煙を上げていた。




鳥の神だか風の神だか知らないが、鳥で死者と交信するとか、風で魂を呼び戻すとか、よく解らない宗教が、別荘暮らしの老人たちの一部で、流行っていた、という話は聞いていた。その集会で火を使ったらしいのだが、別荘のある地域は、一応、自然公園に当たり、火を使う集会なんかは、普通は許可が降りない。おそらく無許可だろう。


祖母は日も浅いし、そういうものは嫌いで、関わってなかったはずだが、よく知らない分、敷地の裏の土地(手入れしていないが、一応、庭)を貸して欲しいと言われて、承知したらしい。


祖母は助け出されたが、病院に運ばれた。アサド氏が付けてくれた女性のうち、メイレイは、

火傷はないが意識不明、タイナは、手に包帯を巻いていたが、無事で、事情は彼女から聞いた。


彼女は、興奮状態で喋っていたから、すぐに見つかった。僕は、まずニルを探しが、見当たらない。町の人達がこぞって集まっている中、特定の一人を見つけるのは難しかった。


消火は進んでいるようだが、庭の奥、つまり浅い森の一部から、煙が出ていて、飛び火した、と言われていた。だが、その割に、火が広がらない、煙は酷いのに、と、口々に話す人達から、事情を拾う。


探してようやく、父と兄が、アサド氏といるのが見えた。そちらに行こうとしたが、ニルの声がしたので、振り向いた。


ホンナの双子の弟の一人が、ケイネブに食って掛かっていて、もう一人が止めている。ホンナの両親の姿も近くに見えた。ニルは、叫びを涙に変えた双子の片割れを、ケイネブからそっと離し、もう一人に渡していた。


「その子のいう通りだ。フロレタンさんには恩があるから、黙っていたが、あの婆さんには我慢がならん。」


男性が、ニル達との間に入った、ホンナの父に詰め寄っていた。彼は、うちの小作から独立した小さな農家の主で、ゼノスと言った。


ゼノスの背後にも、何人か知り合いがいる。みな、うちに「恩義」のある人物だったが、火事と一緒にそれも燃え尽きたらしい。


「火事は大奥様のせいじゃないし、ケイネブ君に言っても仕方ないだろう。庭を貸しただけなのだから。」


と、ホンナの父が弁護してくれていた。


「あんたこそ、よく平気だな!娘さんが死ぬかも知れないんだぞ!」


仰天して、ニルを見る。


「別荘地には、カロンの母親がいたんだ。死んだ事になっていたけど、去年、エンドラで見つかった。病気で、多分、治らないだろうから、内緒にしてたらしい。ホンナとカロンは、時々、お見舞いに来ていたようだ。」


治らないから内緒にする、というのはよくわからないが、つまりは今日、ホンナがお見舞いに来ていて、巻き込まれた、という事はわかった。


ゼノスは、僕に気がついて、少し引いた。祖母のせいで脚を悪くし、母親の死後捨てられた僕には、文句を言いづらいのだろう。


僕は、ニル達を連れて、父の所、つまりアサド氏の近くに行こうとしたが、逆に父から飛んできた。


「一緒に、止めてくれ!」


とだけ、言い、誰を、と問う間に、俺たちを引っ張っていった。


わざわざ問わなくても、父が兄を止めたいのは、直ぐにわかった。


兄は、煙を縫って、森に入っていく所だった。アサド氏は後ろ姿に声をかけていた。


「火事なんだ、煙がある、待て。」


と言っていたが、兄は無視して入って行く。


「先にカロンが救出されたんだが、


『急に窓から煙が入ってきて、母とホンナ様と三人で逃げようとした。外に出た所で、頭に何か当たり、気を失った。』


と言った。


詳しく聞きたかったが、彼も怪我をしていたから、病院に運んだ。


ホンナがまだ救出されていない。家屋の火を消しても見つからないから、庭から森に逃げたのでは、と言ったら、ファイ君が、


『俺が森に行く』


と。


『これは火事の煙ではない。もっと禍々しい物だ。』


と言って。


火事の煙でないことはわかる。準備が出来るまで待て、と止めたが、彼は一人で、剣と盾だけ持って、森に入ってしまった。」


アサド氏が早口に言った。


煙は上がっている。だが、言われてみれば、これだけの煙に、熱が伝わってこない。建物は崩れていたが、「焼けた」という感じではない。火は消えている。森に飛び火した、と思っていたが、どうやら違うようだ。


何かの「儀式」とすると、大量に香木でも焚いたのか。しかし、香木らしい香りはしない。森には、古い祠の跡や、地蔵崩れが、細い道沿いに点在するが、そういう儀式の対象になるものはない。治水の人柱の風習があった、とか、戦士の慰霊碑があった、とか、伝承はあったが、あくまでも伝承レベルだ。ただ。問題を起こした団体が、何か適当にこじつけて、祀りあげていた可能性はある。


「火事じゃないなら何なんだ?禍々しい物だって?モンスターなのか?」


誰にともなく口に出して言った。祀り上げていた物がなんであれ、儀式がどうであれ、超自然的な物が、この不思議な煙を出しているとは信じがたかった。少なくとも、モンスターなら、現実の一部だ。


だが、ここいらでモンスターというと、野犬や狼の変異種で、こんな煙を出したり、火を吹いたりする大物は、報告されていない。僕達が産まれる前に、水棲系のゼリーみたいなのが大量発生した事があったらしいが、川魚を食い散らす程度の被害しかなかったと聞いている。


モンスターは土地の持つ「魔力」に比例して出やすく、かつ強くなる、だから、コーデラやラッシルの領内に比べ、シーチューヤやシュクシンでは、遥かに弱いものしか出ない、と言われている。だが、目の前のこれは、魔力とやらの弱い土地にふさわしい、弱いものだろうか。


「持ってきました!」


甲高い男性の声がした。まだ少年のような警官だ。厚手の黄色い布の服を持っている。


「本部にあったのは、この二着です。後は昨年、倉庫に移しているので、第四班が取りに行っています。」


彼は、何故か、僕とニルに、服を渡した。それからニルの顔を見て、


「あれ?」


と言った。ニルは、背格好が、アサド氏の長男、現警察署長に似ていた。それで間違ったようだが、アサド氏が、


「息子は向こうにいる。報告して来てくれ。」


と言ったので、「失礼しました」と、慌てて走っていった。服を僕たちに残したまま。


「『魔除け』効果のある服だ。コーデラの事件の話を受けて、


念のため、仕入れておいた。使う日が来るとは思わなかったが。」


アサド氏が説明してくれた。それでは、突入する警官に渡すべきだ。僕はアサド氏にそう言ったが、ニルは、自分に渡された一着を羽織り、もう一着を、


「兄に渡してくる。」


と、受け取ろうとする。


「ニル、それは警官に任せるべきだ。兄さんが心配なのはわかるが、アサドさんの制止を振りきって、入っていったんだから。僕たちが勝手にそこまでするのは。」


「でも、ホンナが、多分、倒れているんだろ。直ぐに行かないと。」


僕は、兄さんは、傭兵をしていたくらいだから、勝算もなく飛び込んだりしないよ、と言おうとした。


森の煙が、いきなり倍増した。木の葉が物凄い勢いで、空高く吹き上げる。視界が煙で覆われる。竜巻、一瞬そう思った。


僕は、咄嗟に、手にした防護服を被った。服と言っても、マントのような物で、完全に煙を遮断できる訳ではなく、咳き込んでしまった。しかし、効果はあった。煙は吹き上がると薄くなり、周囲が見えるようになったが、皆倒れていて、意識があるのは、マントを羽織った、僕とニルだけだった。


ニルは、咳き込む僕に、大丈夫か、と声を掛けた。返事をしかけた僕は、ニルの肩越しに、飛び交う物を見て、短く叫んだ。


兄が、戦っていた。盾が銀色に輝いている。大きさは、さっき見た時の二倍はある。盾が大きくなったのではなく、盾の回りに、光が集まって、二倍くらいの大きさに見えていた。


煙は、鞭のように、兄を目掛けて飛んでいた。中心に、人がいるようだが、はっきりとは見えない。


兄は、剣をふるい、鞭を避けながら、中央に向かっている。だが、中央を責めず、鞭を半ばから削っていた。鞭は動脈、中央は心臓に思える。中心を一突きにすれば、終わるのでは、戦いの事はわからないが、そういう構造に見えた。


中心からは、どら声が聞こえた。僕の耳には、言葉には聞こえなかったが、兄は、


「違う。それは、お前達の物ではない。直ぐに、破綻する。」


と答えていた。先のどら声よりは鮮明な音が、


“お前には出来ない”


と、そのように聞こえる音を出していた。


兄は、剣を持ち直し、一呼吸置くと、


「これが、俺の、選びとる道だ。」


と、思いきり、中央に切り込んだ。


鞭も、煙も、一瞬、眩しく輝いて、たちどころに消えた。僕は目を保護しながら、それでも見極めようとした。


煙が薄れ、跡形もなくなった後に、兄が、ホンナを抱えて立っていた。彼女の胸からは、血が出ている。


「トゥレル、見てくれ。」


と、差し出す。僕は医師の玉子だが、まだ医師ではない。道具もなく、期待される医療行為は出来ないが、幸い、ホンナの傷は、極めて浅く、皮膚を斜めに切っただけの物だった。


出血はしていたが、彼女を染めた血の大半は、傷口からではなかった。動物か人間かわからないが、他の血を、後から掛けたようだ。


気を失っているが、頭に傷はない。意識が回復してみないと、精神的な物は、詳しくはわからないが、骨も無事で、血まみれの見かけによらず、「軽症」だった。


「ファイ…兄さん…それは、一体…。」


ニルの上ずった声がする。ホンナから目を離し、兄を見た。


目が、銀色に輝いていた。もともと、兄の目はグレーで、銀と言って言えなくもない。だが、この目は、本当に、銀色で、内側から、光っている。夜の猫の目より、鮮やかだ。


「俺は、君たちの兄ではない。」


間違いない、兄の声が響く。


「彼の部隊は、密輸品の地下薬草庫の爆発で、解放された『禍々しい物』に襲われ、全滅した。俺は、彼等を助けようとした。


俺にもわからないが、その時に、君たちの兄さんの体に、入り込んでしまった。


『禍々しい物』は、始末したが、彼の意識は、消えてしまった。」


僕もニルも、口が利けなかった。言われてみれば、記憶喪失というには、おかしな症状だった。だが、こんな荒唐無稽な話は、にわかに信じられない。


兄は、ホンナの顔を覗きこみ、


「彼女は、『共感』しやすい体質のようだ。『人柱』か、『慰霊碑』か、成り立ちは悲しく儚いものが、人の勝手で、禍々しい物に変わる。もし、記憶が残っていたとしても、忘れるように、伝えてくれ。」


剣を修めた兄の、瞳の色は、ゆっくりと戻る。それにあわせて、遠ざかる姿。兄は、去ろうとしていた。


「待って!行かないで!」


ニルが咳き込みながら言った。僕も、待って、と言ったのだが、同時に、兄は、もう、ファイとして、ここにはいられないものだ、と悟っていた。


最後に、兄は、笑った。記憶に残る兄の笑顔の中で、一番、屈託のない物だった。




   ※ ※ ※ ※




ホンナは、事件の事は、ほとんど覚えていなかった。カロンが、自分を庇って怪我をした事と、何かに捕まって、兄に助けてもらった事は、覚えていた。カロンの母を始めとして、三人、お年寄りと病人が『火事』で亡くなった。祖母は生きていたが、呆然自失で、ショックから抜けきれず、まもなく亡くなった。


宗教団体は、教祖とされた男性が裁判にかけられたが、彼も祖母と同じ状態で、公判中に死んだ。「火事」の原因はうやむやだったが、団体は、金銭面でかなり不始末をしでかしていた事は、明るみに出た。


何人かの証言で、兄は、「モンスターを退治して、自分も死んだ」という話に落ち着いてしまった。ジュンナの落ちた崖から、兄も下に落ちて、流されたのでは、と、暫く捜索された。扱いは、父の希望で「行方不明」だったが、稼業はケイネブが継いだ。




真相は、ニルと僕だけの胸にしまわれた。もちろん、二人とも、その話はほぼ避けていた。




暫くして、ハノンから、兄の伯父が亡くなった、と連絡がきた。前から患っていて、「わかっていた」事らしかった。


葬儀には、僕とニルが出た。父は、その時は、体を壊して臥せっていたからだ。


新街道が整備され、列車の中から、おそらく兄の終焉の地となった、東の山並みが見えた。近くに座っていた、若い兵士らしき団体が、蒼い山を差し、


「『蒼天村の悲劇』が起こったのが、あそこだ。」


と言っていた。


兄の事件の事か、と思ったが、それより前、火山でもないのに、山がいきなり爆発し、近隣の村が、軒並み被災した事件があったそうだ。


「奇跡的に、村人は殆ど助かったらしい。土地は放棄して廃村になった村もたくさんあったようだけど。『荒鷲の神様が守ってくれた』と言われていて、以来、農村地域なのに、白い牛頭の農耕神ではなく、蒼い荒鷲の武闘神が、信仰されている。」


もっとも、政府の政策で、度々移民の入れ換えがあったりして、その度に神様も変わったらしいけど、と、解説の兵士は、ソウエン系の農民の宗教に、若干の批判を付け加えながら、締めくくった。話題は、彼等の次の配属先に移って行った。




僕は、そして、きっとニルも、荒鷲の舞う蒼天に、銀の瞳の、兄の姿を思い馳せていた。




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