俳句や短歌に関する雑多な考え集

@niwatori_chicken

俳句と短歌は違うものじゃない?

最近、カクヨムで色々な人の短歌を読むことが多いのですが、俳句と短歌とは似ているようで全く違うのだなと感じることが多くあります。それを顕著に示す例が、歌人の詠む俳句です。普段短歌を作る方の俳句は、はっきりと言いすぎる傾向があるように思います。(断定形という意味でなく、"醸し出す"感が無いということ)

57577のために多くのことが言えるからでしょうか、それとも季語を入れなくて良いためでしょうか、私がカクヨムにある作品を読む限りでは、短歌はそもそも言いたい事をはっきりと書く作品が多いようです。(私は門外漢ですから違ったらすみません。)

一方、俳句は十七音しかないため、伝えたいことの壮大なドラマ性を全て文字にすることは不可能です。だから季語の持つ広大なイメージをベースに、あるいは読者に一部補って読んでもらうことを前提に、少量の音数に大量の気配りを要します。言葉というのはたとえ辞書上の意味が同じでも、別の様子を想像させたりするものです。例えば、「〜だけ」「〜のみ」「〜ばかり」などですね。俳句ではそういったものを吟味する必要があります。逆に言えば、作句において、そういった配慮を怠って、さらにはっきり言い切ってしまう(醸し出すようにしない)のは興ざめで、そうしてしまうともうそこに大きな世界を見ることはできません。

まとめると、音数が違うだけなのに、短歌と俳句とでこのような大きな違いがあるというのは結構驚きました。ぜひここに私の考えを共有したいと思った次第です。みなさんはどう考えますでしょうか??

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