二〇二一年 梅田 花梨(うめだ かりん)

 私は薄暗い校舎の廊下を静かに歩いています。

 夜の学校は昼間とは全く違う顔を見せ、廊下に灯る蛍光灯の明かりは冷たくて、無機質に床を照らしています。先生方は暑気払いとやらで職員室には誰もいないと聞きました。教員がいないから、もちろん部活動も行われていません。静寂が耳を圧迫し、私の足音だけが空気をかき混ぜているのです。

 管理人室の扉に手を伸ばし、軽くノックをしました。

「どうぞ」という低く、どこか疲れた声が返ってきます。私が一瞬だけ深呼吸し、扉を押し開けると、薄い木製の扉の向こうには、古びた机と椅子、そして埃を被った書類の山が目に入ってきました。

 部屋全体に漂う重たい空気と、どこか懐かしさを感じさせるかび臭い匂いが、私の緊張をさらに増幅させます。

「将棋を一局、お願いします」と私は静かに言いました。別に将棋がやりたかったわけではありません。むしろ、駒を掴むことはもう二度とないのだとと思っていたくらいです。

 そこには駒井さん、学校の管理人が無表情で座っていました。

 駒井さんの顔には深い皺が刻まれ、長年の労苦を物語っています。無精ひげが伸びた顎はまるで学校そのもののように年季が入っていますが、その目だけは鋭く、何かを探るように私を見つめていました。

「入れ」と、短く無愛想な言葉が返ってきます。

 熊井さんの態度に、私は一瞬戸惑いましたが、竹岡くんに頼まれたことを思い出し、気を取り直して部屋に足を踏み入れます。私の役割は、駒井さんが見回りに出るのを阻止することです。ただそのためだけにここに来ました。駒井さんは無類の将棋好きだと聞いておりますが、私だってかなりの実力者です。恐らく駒井さんに私が負けることはないでしょう。

 私は幼少の頃から父に将棋を教わり、やがて父では手応えがなくなり、将棋教室に通いました。そこでも私に匹敵する相手がいなくなり、隣町の教室まで通うようになったほどです。しかし、今日は勝敗を問うつもりはありません。重要なのは、この対局をどれだけ長引かせるか。

 駒井さんは無言で管理室の奥から将棋盤を取り出し、慎重に、しかし慣れた手つきで駒を並べ始めました。盤と駒が触れ合う音が、部屋に響くとどこか懐かしさを感じるものです。目の前で駒が一つ一つ並べられていくたびに、私は少しずつ自分の心が研ぎ澄まされていく感覚を思い出していきます。

 竹岡君は、今ごろ職員室の中でパソコンを開いているのでしょうか。私の彼氏の松川君は竹岡君の家の倉庫の中で待機をしています。アリバイ作りがどうたらと言っていましたが、私には実のところ、松岡君が竹岡君の家の倉庫で待っている意味がわかっていません。どうせなら、学校の近くで待っていてほしかったと思ってしまうのは、私が松川君に依存している証でしょうか。

 竹岡君の目的は、粕田先生の追試用の答案用紙を見つけ、それを写真に収めることです。

 駒井さんの手が止まり、私の方を見ます。その目には、どこか挑戦的な光が宿っていました。私は息を整え、駒井さんの前に座ります。この静寂の中で、時間を稼ぐための戦いが始まろうとしているのです。

 盤上に広がる戦場、そこに駒井さんの手がすべるように駒を進めてきます。私は一気に緊張感を覚えました。序盤の攻防で、駒井さんがただの管理人ではないことがすぐに分かりました。こちらを探るような動き、それでいて確信に満ちた駒の運び――その感覚は、私にかつての戦いの日々を思い出させます。

 私は長い間将棋から離れていましたが、あの頃の鍛錬は今でも体の奥深くに刻み込まれているようです。ブランクがあるとはいえ、駒を手にすれば自ずと指が動き、盤面を読む思考が蘇ります。相手の角の狙いをどう避けるか、飛車を攻撃に転じるか、あるいは一度守備に徹するべきか――いくつもの手筋が頭に浮かび、その中から最善手を瞬時に選び取っていくのです。

 序盤の駒組みでは、私は飛車を四筋に寄せ、得意の右四間飛車に持ち込みました。手元の持ち駒を確認しながら、駒井さんの指し手を伺います。彼は早々に銀を繰り出し、前線に布陣を築きつつ、私の飛車を牽制してきました。駒井さんの意図が読めないわけではありません。銀を攻めの軸に据え、飛車を絡めた速攻を仕掛ける気配が濃厚です。私は金を四筋左に進め、固く囲いを作りながら相手の出方を待ちます。

 焦ってはいません。

 駒井さんの角は遠くから私の陣形を伺います。その動きは狙い澄ました射手のようでした。角筋を通してじわじわと私の守りを崩すべく、細かい手を重ねてきます。私は冷静に銀を前進させ、駒井さんの飛車の動きを封じるべく布石を打ちました。銀の位置で彼の飛車の進路を限定させ、相手に圧力をかけながら次の一手を待ちます。

 駒井さんの目が細められ、再び駒が躍動します。その一手一手が、静かに確実で、私の意図を読み取り、巧妙に攻め込んでくるのです。

 冷や汗が背筋に伝うのを感じました。勝つことを目的にしてしまえば、この対局は一気に終わってしまうでしょう。ですが、今の私に求められているのは勝利ではなく、ただ時間を稼ぐことです。

 ふと顔を上げると、駒井さんの表情が変わっていました。彼の厳しい目が、どこか楽しそうに光っています。こんな顔をする人なんだ――と私は不思議な感覚に襲われました。それに気付くと、私の中にも僅かながら楽しさが芽生えていることに気づきました。気を引き締めなければなりません。私は、ここで勝負に夢中になるわけにはいかないのです。

 一瞬、手が止めてしまいました。次の一手をどうするかを考えていたわけではありません。冷静になるために深呼吸をしていました。自分のリズムのまま駒を動かしてはならないのです。

「別に考えるような盤面ではないだろ」

 駒井さんは沈黙を破りました。

 確かに、この盤面はまだ中盤の駒組みです。けれども、私にとっては時間を引き延ばすことが唯一の目的でした。

「しばらく将棋の世界から離れていたんじゃないか?」

 駒井さんの言葉が不意に私の耳に飛び込んできました。図星を突かれた私は、一瞬駒を持つ手を止めます。駒井さんの眼差しは既に全てを見抜いているかのようでした。嘘をつく理由ない。私は静かに頷きます。

「ええ、しばらくは…」

 言葉を選びながら、私は駒を進めます。

 盤上の駒たちは、無機質にその場所に佇んでいます。そんな一つ一つの駒を見て、鮮明に将棋に打ち込んでいた日々の記憶が蘇ってきました。駒井さんは、私がそんな心境にいることなど知る由もなく、無愛想な声を出します。

「老人の将棋サークルでも、私は負けたことがない。君、相当の腕の持ち主みたいだね」

「少しだけ将棋を嗜んでいたので…」

 私は軽く微笑んで謙遜します。本当は『少し』どころの話ではありません。中学を卒業するまで、私の生活の中心にはいつも将棋がありました。放課後、誰もいなくなった教室で一人、盤に向かう日々。あるいは、週末の大会に向けて黙々と深夜まで研究を続け朝陽が見えたことも。駒を指す音だけが、私を現実に繋ぎとめる音でした。

「どうして私がしばらく将棋を打っていないことが分かったのですか?」

 駒井さんの視線は鋭く、まるで私の過去を探るかのように顔を上げます。

「君は私より明らかに強い。でも、そこに荒さや迷いが出ている」

「しばらく離れたわけではないです。将棋を辞めたんです」

 私は盤面を進めながら言いました。

「どうして?」

 駒井さんが手を止めます。

「これでもプロを目指していたことがあったんです。諦めてしまいましたけど……」

 私には、あかねという同級生のライバルがいました。小学五年生の頃、隣町の将棋教室で出会ったのが茜でした。茜とは、時に友人のように将棋を語り合い、時にライバルとしてしのぎを削りあってきました。茜は私のライバルであり、彼女が日々強くなる姿に触発される一方で、その成長に対するプレッシャーも感じていました。

 中学に入ると、茜は奨励会にすんなり合格し、あっという間に昇級を重ねていきました。私も必死に食らいつきましたが、勝負の世界は残酷です。大会で負けるたびに自分の未熟さを痛感し、将棋盤に向かう手が震えることもありました。

 一方で、茜が勝ち進み、その背中が遠ざかっていく度に「同じ道を歩んでいるはずなのに、なぜこんなにも差がつくのか」と思わずにはいられなかったのです。

 特に、中学2年生の時に行われた大きな大会で、茜と私が対戦した時のことが今でも鮮明に記憶の中に残っています。中学生になってから公式戦では初めての対局でした。序盤は互角でした。ですが、終盤に差し掛かると、茜の圧倒的な読みの深さに圧倒され、私はは手も足も出ませんでした。

「負けた」と感じた瞬間、心の中で何かが崩れ落ちるような音がしました。私にとってその敗北は単なる負けではありませんでした。敵うはずがないと思ってしまったのです。

「強いのに勿体ない」と駒井は四六銀と打つ。角頭を狙いながら自陣の銀を活用する攻めの一手です。

 茜に負けてからの私はそれでも練習を欠かすことはありませんでした。将棋盤の前だけでは、自分の力を信じなければなりません。

 しかし、ある日、茜が三段に昇進したという知らせが届きました。その頃、自分はまだ奨励会の下位に留まっていた時でした。

 意識しないように心がけていても、茜が遠くへ行ってしまった感覚が、私の胸に重くのしかかりました。

 私は学校で倒れてしまったのです。

 原因はわかりません。ずっと眠ることができずに、朝になるまで将棋盤の前にいました。身体を壊してしまうなんて。精神的な強さも、プロになるという覚悟も、プレッシャーの中で生き抜く強さも私には欠けていました。

「私のライバルは、私が持っていないもの全て持っていたんです。私がただ一方的にライバルに思っていただけなんですけどね」

 中学を卒業したタイミングで私は自分の限界を感じ、プロの道を諦めました。

 最近、茜が三段リーグの上位二位に入っていると風邪の噂で聞きました。そのまま二位の座を保てば、プロ棋士として認定されます。凄いなと思う一方、悔しいと思う気持ちが未だに残っているのは、断ち切った将棋の世界にまだ未練を感じてしまっている自分がいる証拠なのかもしれません。

 おもむろに駒井さんが立ち上がりました。

 私は慌てて「どうしたのですか?」と尋ねます。

「飲み物だよ」と無愛想に彼は告げました。

 私は瞬時に盤面を把握し、盤上に最良の一手を打ち込みます。立ち止まった駒井が低く唸る声をあげました。

「お茶ですよね。私が取ってきます」

 部屋の奥に小さいな冷蔵庫がありました。冷蔵庫の近くには校長室へと繋がるドアがあり、ガラス窓を覗けば職員室まで繋がっています。万が一、職員室から明りが漏れていれば、駒井さんは疑問に思うでしょう。

 私は冷蔵庫からお茶を取り出し、お茶の入ったペットボトルを持って戻ると、駒井さんはまだ盤上に目を落としていました。静寂が漂う管理人室で、お茶を注ぎながら、私は心のどこかで落ち着きを取り戻そうとしています。ですが、そのわずかな安堵はすぐに打ち砕かれたのです。

「君、ずいぶんとやんちゃな生徒と仲が良いようだね」

 駒井さんがふいに言葉を発しました。瞬間、私の心臓が一気に跳ね上がります。竹岡君が職員室に忍び込んでいることがバレたのか――その疑念が胸に広がり、手元が僅かに震えます。コップに注がれるお茶の音が妙に大きく聞こえ、私の動揺を隠しきれません。

「君を校内で何回か見かけたことがあるよ。派手な髪の男たちと一緒にね」

 金髪の竹岡君と、銀髪の松岡君の風貌のことを言っているようです。

 駒井さんは職員室に忍び込んだ竹岡君のことを言っているようではありません。

 私の杞憂でした。ホッと胸を撫で下ろします。それでも、駒井さんの言葉には何か刺さるものがありました。『派手な髪の男たち』と呼ばれると、まるで悪者扱いされているような気がしてくるものです。悪者か……。

「銀色の髪をしているのが彼氏です」

 彼氏です――口に出しても、どこか現実味を感じません。私のような真面目で根暗な人間が、どうして彼のような人と一緒にいるのだろう――周囲が感じる違和感は、私自身の中でも消えないまま漂っています。それでも、松川君を好きになってしまったのだから、仕方がないのです。理屈なんてないだろうから深く考えないようにしています。

「銀髪か。あまり君には似合わないように見えるが」

 駒井さんはどこか寂しげでした。

「髪なんて、関係ありますか」

 どこか反抗的に言葉を返しました。

「心の乱れは外見から出てくるものだよ」

 如何にも将棋好きのご高齢の方が言いそうな一言に、思わず苦笑が漏れます。

「そうですかね?」

「堅苦しい老人の考えだよ。今の時代とは似合わないかな」

 薄っすらと微笑む駒井さんの言葉が、その場に少しの温もりを残しつつも、私の心には影が落ちました。私は、松川君と一緒にいることが本当に『似合っている』つもりなのでしょうか。私が悪いことをしているから、松川君は私たちのアリバイを作ろうと竹岡君の家にいます。

 竹岡君を留年させないために私は協力しています。

 何故か? それは、松川君に頼まれたから。

 ――本当にこれでいいのか。

 答えは、ずっと曖昧です。自分で自分のことを理解できていないのだから、誰かに答えを求めることなんてできるはずがないのに私は訊ねました。

「私にはどんな人が似合っているのですか?」

 駒井さんは盤面を見たまま思考をします。次の一手を考えているのか、私の質問の答えを探しているのか、私には想像できません。

「少なくとも、君のことを理解し、大切にしてくれる人と付き合いなさい」

 どうしてでしょうか。駒井さんの言葉が、私の心の奥底に深く染み渡っていきます。

 この計画は、正しくありません。竹岡君が職員室に忍び込んで、追試の答案を盗もうとしていることも、本当は見て見ぬふりをするべきではないのです。竹岡君が留年しようと、私には何の関係もありません。彼が悪い点を取って困ろうが、それは私が背負うべき問題ではないのです。

 だけど、彼氏である松川君の頼みでした。暗闇の中にいた私に、彼は一筋の光を投げかけてくれた人です。私とは正反対の位置にいる明るい光です。その光があまりにも眩しかったから、私は断ることができませんでした。光の先にあるものが何かを見極めることなく、ただその輝きに導かれるままに、ここまで来てしまったのです。ここまでって……私は今、どこにいるのでしょうか。

 私の高校三年間っていったいなんだったのでしょうか。

 をやるために、私は学校に通っています。

 私は駒を指すと同時に、即座に過ちに気がつきます。

「あっ」

 小さな声を漏らしました。悪手だとわかっていたのに、焦りと迷いが手を動かしてしまったのです。駒はもう盤上に置かれています。私の浅慮が白日の下にさらされた瞬間になりました。

「間違えた道を選んだら、もう過去には戻れないんだよ」

 駒井さんの言葉が、私の胸に静かに響きます。駒井さんの視線が私をじっと見つめていて、まるで私の心の奥まで見透かされているかのように感じました。

 駒井さんの冷静な眼差しが、私が抱えているものを知っているのではないかという不安を呼び起こします。逃げ場のない、追い詰められた感覚がじわりと広がっていく感覚です。

「いつもはこのくらいの時間に見回りをするんだが、今日は君と対局しているから、外すことはできないね」

 駒井さんの言葉に、私は反射的に「すみません」と謝罪してしまいます。謝る理由なんて、本当はどこにもないのに。けれども、この場にいること自体が間違いだと感じ、何かがじわりじわりと私の心を侵食しているような気がするのです。

「見回りのときには職員室も確認するんだよ。今日のの十九時の見回りで職員室の窓が新しくなっていたのに気づいたんだ。あの窓、生徒が割ったらしいね。修理はその子のお父さんが手配したそうだけど、どうもあまり腕のいい工事会社じゃなかったみたいだ」

 駒井さんの言葉が私の心臓を掴みます。大工のお父さんが細工した窓ガラス。竹岡君がその窓から職員室に忍び込もうとしていることを、駒井さんはもう察しているのでしょう。見回りを阻止するために、私がこの対局を提案したことを、駒井さんは既に気づいているのだと思います。

「諦めるか?」

 駒井さんの問いかけが、私の心に深く突き刺さります。

 何を諦めるのか。将棋の勝敗か、それとも計画か。すべてを見透かされているようで、言葉が出ません。

 駒井さんは、私の動揺を察しているのでしょうか。ふと、駒井さんは唐突に話し始めました。

「私の孫もね、将棋をやっているんだ。将棋を教えたのは私さ。成長は早いものでね、小学校を卒業するころには、私を打ち負かすようになった。その孫がね、勝てない相手がいると聞いた。その相手は君だったんだよ、梅田花梨さん」

 突然、名前を呼ばれて、私は息を飲みます。記憶の底から、遠い昔の対局がぼんやりと浮かび上がる。あの時、私はただ将棋を打つことに夢中だった。将棋の盤面以外には、何も見えていなかった。駒井さんは相当の実力者だ。駒井さんより強い小学生なんて当時の将棋教室にいただろうか……。

 

 一人だけいた。


「孫は、君に負けて何度も泣いていたよ。それでも毎日練習を続けた。君に勝ったのは中学二年生のときの公式戦だ。私もその対局を見ていたが、あれは中学生の対局とは思えないほどの激戦だったよ。孫がやっと勝った時、彼女は泣いていたんだ。『やっと辿り着けた』とね。君がすぐ追いかけてくると孫は気持ちを引き締めていたよ」

 駒井さんの言葉が、まるで遠い過去の私を呼び覚ますように、胸の中で反響します。あの頃、私は確かに将棋に生きていました。何もかもが将棋でした。でも、いつからでしょう――私は、将棋の世界から遠ざかってしまいました。

「もうすぐプロ棋士になれるかもしれないのに、今でも君が追いかけてくるのではないかと練習を怠らない」

 私は呆然と目の前の盤面を見つめます。負けが確定したような状況です。

 ――高校生活の三年間、私は何をしていたのでしょうか。

 私はまだ次の一手を考えています。何か起死回生の一手があるのかもしれません。自分で見つけなきゃならないと唐突に感情が込み上げてきました。

 どうしてか、気づけば頬に涙が伝っていました。

 プロを目指す将棋の世界は、一度糸が切れたら終わりです。再び繋げることは有り得ません。

『諦めるか』という駒井さんの問いが、再び私の頭の中で繰り返されます。だからって、私は、人生の全てを諦めたくありません。将棋の道が立ち切れてしまったからといって、人生まで棒にふるってはいけないのです。

「まだ負けていません。勝ちます」

 その言葉が、自然と口からこぼれ出ました。

「校内の見回りはいけないな」と駒井さんが言います。

 私がすぐに投了すれば、まだ見回りの時間には間に合うでしょう。ただ、対局を終わりにしたくありません。私は涙を拭きます。

 そういえば、私は極度の負けず嫌いだったのです。

「私が見回りをせずに君と対局をしていたことは内緒にしてくれ。その代わり、君がここに来たことを私は内緒にするから」

 その言葉に、私は静かに頷きました。

 駒井さんとの対局は、もうすぐ終わります。本気になった私は恐ろしく強いはずです。

 この対局が終わりましたら、私の残りの高校生活について考えることにしましょう。

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