うんちく話と天野酒と喜久泉


 結局、最上級の酒とおせちを1人で喰い尽くしたヨランタへの罰は、まず自らの奸計で砕いたポン子ちゃんの補修。

 真面目にやらないと四合瓶での尻バットの刑を追加、と判決して、現在はその作業中だ。



 補修といっても初心者用。

 陶器用接着剤で破片を貼り合わせて、タミヤカラーでゴールドを着色する〝なんちゃって金継ぎ〟。金継ぎといっても別に金色に決まった話ではなく、銀色や赤漆色の継ぎもある。が、バラバラ狸をメカ色や血色で継ぐのもどうかと思われるので、無難なゴールド。

客に出せる姿に演出することはもとよりできるはずもなく、懲罰的な意味合いが強い。が、ヨランタは意外に楽しそうにやっているので、暇をさせて悪事を企ませるよりよほど良い。

〝小人の閑居は悪魔の遊び場〟とはよく言ったものだ。


「一通りできたか。お疲れさん。ほな、乾燥待ちになるんで仕舞っておこうか。」


「もっとやりたい。割れたお皿とか、ない?」


「無い。わざと割るなよ。割ったら尻バットやからな。じゃあ、できたご褒美にお酒を一杯あげよう。」


「まってました、わぁい。……ん?」



「これは、天野酒あまのざけ。日本酒の一番古い伝統の姿を色濃く残してるタイプのお酒なんよ。勉強と思って、飲んでみ。」


「えぇー。いや、飲ませていただきますけど。なんか、すごい匂いがするよ。えぇー。色はおしっ……金色でキレイ。えぇー。……すごい匂いがするよ!」



 マーチンがグラスに注いで出したのは、ヨランタの蹂躙を免れていた酒。最悪の感想を漏らしかけたヨランタが男の表情を見て首をすくめつつも、なお不平を漏らす。



「黙れ。まず飲め。」


「まだ、罰が続いてるの? 出されたものはいただきますけどね。

 ……味は、飲めるね。いや、悪くない。おいしい、と言ってあげてもいいかな、うん。」


「何だかんだ言って、実は日本酒に〝古き良き時代〟って無いのね。澄み酒の伝統は4,500年あるけど吟醸酒が普及しだしたのは4,50年くらいで、特にここ30年くらいの進歩があんまり大きすぎていろいろ比較しきれない、らしい。

 この間の鬼ころしとかの糖類入りの安酒も100年とはさかのぼらん。……ん?何の話やったっけ?」



 唐突にマーチンの日本酒語りが始まるが、怒りが持続していない証でもある。ヨランタとしては、是非にも乗っていきたい。


「天野酒。」


「あ、そうそう。ということで、日本酒も最初から、あの風の森のように旨かったわけではないことはご理解いただけましたか。もちろん天野酒の蔵元も、この僧房酒以外に今に合わせた酒を作ってます。」


「はぁ。つまり、ちゃんとありがたがって呑め、と?」


「わかってるやんけ。神棚に上げる前に呑み捨ておって、もう!」


「神様なんかには勿体ないよ。それなら私が呑んで正解だったさ。」


「俺も呑みたかったの! 数量限定生産やからもう買われへん。腹立つわぁ。」

「ごめんねぇ。」


「ほかに篠峯と、力作のローストビーフも丸々。いつやったかの〝ヨランタ奴隷落ち救済資金〟から金貨1枚差っ引かせてもらう。」

「あったねぇ、それ。律儀な。どうぞどうぞ、それで勘弁願います。」



「ンまったく! あ、それでな、ユメさんパパからええ酒を貰うた、青森の〝喜久泉きくいずみ〟。本人は詳しくなくて酒屋の店員にええのを出させただけーって言うてはったけど、これもちょっとウンチクが必要なタイプなのよね。」


「マーチンが語りたいだけでは?」


「それもある。が。

 人がものを食って旨いと思うのに、正味しょうみの味は3割程度、実際7割くらいは食べ手の気分と健康の問題になるから、気持ちを盛り上げることは食べ物に対する礼儀でもある。」



「また、無茶をお言いな。」


「いいやこれは常識。病気で死にかけてたり、何かで失敗して落ち込んでたら物の味なんかわからんし、調子が良かったり天気が晴れてたりするだけでもカップ麺とおにぎりがごちそうになる。そこにさらに、〝これから旨いものを食う〟期待感を乗せれば、もっと旨くなる。

 キミかって、怒られたあとの天野酒は微妙やったやろ。」


「これとそれは……まぁ、そういうことで。」



「んで、喜久泉やね。これは〝田酒〟と同じ蔵がつくったお酒。なんやけども、これは原材料に〝醸造アルコール〟が入ってるタイプ。」


「あぁ、いつぞやの日本酒の闇の話で説明をパスされたやつだ。また、闇の話が聞けるの?」


「違う。けど、これの説明をする前に、カルピスの濃さについても理解する必要がある。少し長くなるぞ。」

「どういうこと?」



 おもむろに、カウンターに3つの試飲カップが並べられ、白い液体と水が注がれる。


「まず、左がカルピスの原液。酒でいえば〝生酒・原酒〟。キミが盗み呑んだ〝風の森〟の生酒版みたいなヤツ。

 でも一般的に、実はお酒はここから水で割ってる。加水、っていう。それが真ん中の濃いめカルピス、これが〝純米酒〟。あの時の〝田酒〟も、コレ。

 しかし、物事にはちょうどよい濃さ・薄さというものがある。んで、それが右、標準のカルピスウォーター。ただし酒の場合、アルコールが薄まっては刺激が弱まるし、法律や税制の問題に絡むから無味のアルコールを足す。それが〝醸造アルコール〟入り、いわゆる〝アル添酒〟ね。それが、この喜久泉なわけよ。

 もちろん極端な例えやし、日本酒は同じものを割るんじゃなくて、最初から割る用あるいは生用に設計したものを、それぞれのベストになるように仕上げてある。」



「じゃあ、生が良いよね。当然。」


「せやから、カルピスで飲み比べてみろって。…ホラ、濃きゃあいいってもんでもなかろ。俺もかつてはアル添酒を知りもせずに小馬鹿にしてたけど、〝福寿〟の生産終了しちゃったピンクラベルアル添吟醸を呑んで土下座の勢いで考えを改めた。どうや。」


「ケホ。この比較には悪意がある。それでも私は濃い目がいい!」


「若いからね。あと、実際は加水もアル添もわずかなもんで、ホンの微妙な差でしかないし、それぞれの蔵での作り方次第での味の違いの方が遥かに大きいから、言うほどの意味はない。

 でも知らんままよりは、知ってたほうが作り手の努力も想いも感じられるし、そうしたら旨く感じるもんよ。

 口に入れるからには、最大限旨く感じられるように自己演出もしていかないとね。」


「かの来所をはかる、なのね。わかりました。ではお酒をください。」


「ンモー。わかってんのんかいな。言いもって、俺も喜久泉は初めて飲むんやけどね。俺かて基本は純米・生派やし、田酒があったらもちろん田酒を選ぶし……」



「ところで、ポン子はもう乾いた?」


「まだ。乾いてもしばらくは溶剤臭いし。忘れた頃に復活するから、待っときなさい。」


「じゃあ、私は赤楽アカラクで。」

「よりによって大きいヤツでか。じゃ、俺は黒楽くろらくのぐい呑みでいただこうか。じゃ、注ぐよ。」



 お酒の封が開き、トッ、トッ、と澄んだ液体が流れ、ふわりと大吟醸の華の香りが風のように広がる。そっけない店内が急に色鮮やかに見えるほどのかぐわしさ。


「おぉ、すごいな。前に開けた田酒よりランク高い版やし、これは、さすが。つまみは要らんなぁ。」


 おどけたマーチンの言葉もくぐもって、まるで遠くから響くみたいに聞こえる。陶然。これが、真のちょうど良さを実現したアル添酒? 永遠にこの香りにさらされていたいような、でも手は自然に酒器を口もとに運ぶ。うふふ。完璧。頭は真っ白。ただ、笑みばかりが浮かぶ。うふふふふ。うふふふふふふふふ。



 ふいに、水音で目が覚める。あ、マーチンが2杯目だ。私も!私も!


「風の森。」


「う…! 金貨10枚でもカラダでもあげるから、もう一杯を!」

「せやから、その態度がこのお酒様に相応しいかを考えよし。どうせ、あのアレを阿呆みたいにカパカパ飲んだんやろ。許されんことやったと理解したか。」


「ぬふぅ…! 後で海より深く反省しますから、あっ、マーチンだってもう3杯目をカパッと…」


「これは、酒の件でのキミへの罰。そして次の一杯は、おせちの件での罰。その次の一杯は、ローストビーフの罰。篠峯の罰。お留守番もでけへんかった罰。これも罰。あれの罰。」


「あっ……あっ……」



「いやぁ、ウマイ!これは、ええもん貰うたもんや。善行はしておくもんやね。この一杯は、さて何の罰にしようか? うーん、みるみる減るのぅ。」


「がっ…」

「が?」

「がおーッ!」


「うわっ、酒のために人間性を捨てたか。わかった、わかったから離れろ!噛むな!俺の血は酒ではないぞ。ビン落としたら割れるから。ステイ!ステイ!」





🍶



明けましておめでとうで酒が飲めるぞ、酒が酒が飲めるぞ、酒が飲めるぞ。







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