壊れた人々
ユーレカ書房
プロローグ
ミステリー作家の
山崎は加賀美氏の周辺人物を何度も洗い直していた。この一件は殺人事件として扱われ、捜査本部も発足したが、いまいち解決の糸口は掴めなかった――不審な点が何もなかったわけではない。むしろ、加賀美氏の周辺には、きな臭い事情がこれでもかと散らばっていたのだ。
「何か分かったか? 」
同期の福井が、缶コーヒーを手に山崎のところへ顔を出した。山崎は唸った。さぞうんざりした顔を振り向けてしまったのだろう。福井は苦笑いし、コーヒーの一本を山崎に渡した。
「あまり根を詰めるなよ。熱くなると、細かいところを見落とすぞ」
「根を詰める前に何か分かってほしかったんだがね」
微糖のコーヒーをひと口飲み、一言愚痴をこぼすと、もう止まらない。山崎は書類を投げ出し、溜め息をついた。
「いくらミステリー作家だからって、本人まで推理小説ばりの人生を歩むことないだろう。いや、怪奇小説の方かな……本人が関わっているわけじゃないしな」
「作家先生の周りで、いろいろ起こってたって話だろ。何だった? 元担当編集者が失踪して、恋人が死亡だったか? 」
「その恋人も、殺されたんだ……まあ、しょっぴかれてきた男はまだ被疑者止まりだが」
山崎は束の間緩んでいた眉間の皺を再び深く刻んだ。
「どっちも加賀美さんに関係のある人物だったが、どっちの件も加賀美さんとは関係ない。そして今度は加賀美さん本人が、誰かに殺された……どうなってんだ、まったく」
「なんか呪われてるみたいだな」
福井が肩をすくめるので、山崎は彼を横目で睨んだ。
「バカ、刑事が事件を呪いだなんだと言いはじめたらおしまいだぞ」
「まあな。まあ、おれは結構そういうの好きなんだ。お目にかかりたくはないがね」
福井は思い出したように分厚い封筒を山崎に差し出した。
「忘れるところだった。これを預かってきたんだ。おれらのところへ混じってきてたから」
じゃあな、と福井は手を挙げて去っていった。山崎は受け取った封書を裏返した。差出人は、
一体、何を入れたらこんなに厚い封書になるのか? 山崎が訝りながら中を改めると、透明なクリアファイル三つに分けられた書類が次々に滑り出てきた。それぞれに、タイトルが書かれた表紙のようなものがつけられている……『標本男』『検査薬』そして『マリオネット』。まさか、これは。山崎は簡単に目を通したが、そのまさか――どうやら、小説の原稿のようだった。
山崎は、危うくその原稿の束をくず入れに放り捨てかけた。ただでさえ小説家が死んだ事件でむしゃくしゃしているのだ。一体何を間違ったのか知らないが、出版社だか新人賞だかと警察を取り違えるようなバカの相手などしていられるか!
だが、封筒の宛て先は確かに〈捜査第一課 ご担当者様〉となっている(実際に届けられたのは捜査二課だったが)。松木氏はどうやら本気で、警察の人間に小説を読ませるつもりらしい。山崎はさらに封筒の中を探した。すると、ひらりと便箋が落ちた。そこには、癖のある字で次のように記されていた。
〈突然こんなものを送りつけて申し訳ありません。わたしはジャーナリストをしております、松木正と申します。
実は今世間を騒がせている加賀美聡子先生の事件について有力な情報が手に入りまして、わたしの一存ではどうすることもできないと思い、警察の方に事情をお話しさせていただきたいのです。この他には、まだどこにも公表しておりません。
同封いたしました三編の小説は、加賀美先生が運営されていたWEBサイトに載せられているもので、現在も閲覧することができます。わたしのもとにその原稿を送ってきた男によると、お送りした三編は今回の加賀美先生の事件だけではなく、それ以前に加賀美先生の周辺で起こった事件に関わりがあるというのです。その辺りの事情も含めてお話しさせていただきたいのですが、事件のご担当の方に時間を作っていただくことは可能でしょうか。できることなら、お送りした原稿には一度目を通しておいていただきたいと思います。ご連絡をお持ちしています。〉
山崎は続けて書かれていた番号にすぐに電話をかけ、松木氏と約束を取りつけた。彼の話を頭から信じたわけではなかったが、どんなものでもいい、手掛かりは喉から手が出るほど欲しかった。それに、仮に松木という男がただの作家志望者で、これが自分の名を売るためか何かの狂言だったとしても、それはそれで構わない。大胆にも事件に行き詰っている刑事をおちょくった報いを死ぬほど味わわせてやるだけだ。
三日後、約束どおり警視庁にやって来た松木氏は、山崎に名刺を渡すのもそこそこにそわそわと話しはじめた。
「先日は、どうも失礼しました。原稿、読んでいただけたでしょうか」
「拝読しました」
山崎は短く答えた。原稿には三編とも目を通し、松木氏の言うとおり、インターネット上に公開されていることも確かめていた。
山崎は机上に並べた原稿の束を示した。
「お手紙には、あなたにこれを送って来た人物がいるというようなことが書いてありましたが……」
松木氏は頷き、自分も机の上に封筒を取り出した。一週間前の消印を、山崎は認めた。
「わたしのところに、突然この封筒が送られてきたんです。原稿は三編とも、ここに一緒に入っていたもので――送って来たのは
高瀬直之。山崎はその名を知っていた――同僚や、直接の部下というわけではなかったが顔見知りだし、言葉を交わしたこともある。それに、警察内部はこの刑事のことでちょっとした騒ぎになっていたのだ。
高瀬はちょうど一週間ほど前から連絡がつかなくなり、行方が分からなくなっていた。
山崎は尋ねた。
「高瀬とは、どういったご関係で? 」
「高瀬君は、高校時代の友人です。まあ、お互いに何をしているのか何となく知っているだけで、最近は特に親しく付き合っていたわけではないんですがね」
「なるほど。……そっちの封筒には、まだ何か? 」
「ええ、手紙が。長い手紙ですよ……ここに書かれていることが本当かどうか確かめるのは、警察の方にお任せした方がいいと思いまして」
松木氏は厚い紙の束を山崎に渡した。原稿と同じように、パソコンで作られた文書だった。また小説を渡されたような気分になり、山崎は閉口した。そのくらい、その〈手紙〉には厚みがあった。
松木氏は促した。
「どうぞ、読んでみてください。そこに書いてあることが本当だったら、事件は解決に向けて大きく動き出すでしょう」
山崎は頷き、最初のページに目を落とした。
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