9-1. homeland

 クファーラの街で生まれ育ったカトレ・テラスは、同じ街で育ったペルシュとの間に一人娘をもうけた。娘はカルネと名付けられた。母から受け継いだ綺麗な紫の髪と宝石のような瞳を持つ子だった。幼い頃の大怪我のせいで片足が不自由だったが、それも吹き飛ばすほど元気にすくすくと育った。しかし十四歳の数える年の夏、カルネは突然失踪した。カトレとペルシュはクファーラの魔法使い達の助けも借りながら彼女の捜索に尽力したが、彼女が見つかることはなかった。三年前にペルシュは病気で他界。カトレも加齢と共に家でカルネの帰りを願うばかりの生活になっていた。

それが彼女の語った内容だった。

 シオンはウエストポーチから一つの手紙を取り出してカトレに渡した。

「お母さんが死ぬ前に残した手紙です。ずっと持っておくようにしてて」

 カトレは手紙を開いて目を落とした。文字を追う瞳はやがて涙にすり替わる。

「間違いない。あの子の字よ」

「覚えているんですか」

 カトレは涙を拭って隣の部屋に入っていき、一冊の本を持って戻って来た。その表紙にあるカルネの名前は確かに手紙の最後に残された名前と筆跡が一緒だった。

「あの子が書く名前のこの文字、他で見たことがないでしょ?」

 シオンは顎に指を当てて思い返す。

「確かに、見たことないです。お母さんに教えてもらって、当たり前に読めてましたけど」

「公用語では使わない文字、というかそもそも存在しない文字なのよ。あの子が勝手に作って、暗号みたいに使ってたわ。ちゃんと公用語の綴りもあるのだけど」

「どうしてそんなこと。名前なんて、他の人が読めなかったら意味ないんじゃないですか」

「他の人に読めない、っていうのが大事なところなのよ」

「大事?」

 カトレが本を開くと中から麻色の封筒が重なって出てきた。カトレはその中の一つを手に取って中の便箋を取り出しシオンに渡した。

「実はね、あの子には双子の妹がいたの。でも無事に産んであげられなかった。そのことあの子に話したらね、私が妹の分まで生きるって張り切ってたのよ。優しい子だった。私があげた蝶の髪飾りもずっと肌身離さず持ってて」

 シオンははっとして、自分の髪につけた髪飾りを外した。

「それ、カルネからもらったのでしょう?」

「はい。たった一つの形見です」

「この地方ではね、紫の蝶は一緒に生まれてくるはずだった子の魂を意味するのよ。カルネはそれをずっと大切にしてた。この封筒はね、誕生日のたびにあの子が妹へ宛てて書いた手紙なの。あの子達だけの魂の繋がりよ」

「だから、暗号なんですか」

 カトレはゆっくりと頷いた。

「二人だけの大切なもの。この綴りはその証として使っているんじゃないかしら。本人に直接聞いたことはないから、本当のところはわからないけれど」

 シオンは紫の蝶を見つめて、胸に抱いた。熱を帯びる瞼から涙が溢れ出る。

「お母さん……」

 カトレも瞳に涙を張って口角を優しく上げた。

「あの子が娘を産んでいたなんて。それにこんなに大きくなって、魔法使いにもなって。もうそれだけ時間が経ったのね」

 カトレはテーブルに置いたホットミルクを飲んだ。その一口はとても小さかった。

「あの子がもうこの世にいないのは寂しいけれど、貴方に出会えてよかった」

 シオンは髪飾りを胸に抱いたまま顔を上げた。綺麗な瞳がカトレの顔を見つめる。

「私も。ずっと一人だったから、おばあちゃんに会えて嬉しい」

「おばあちゃん……そうね、私おばあちゃんなのね。なんだか、まだ実感が湧かないわ」

 カトレははにかんだ。シオンも自然と口角が上がる。テーブルの上のクッキーとホットミルクの甘い香りが二人の涙を拭き取った。

 それからシオンは集落を出てからの話をした。今はヘレンで見習い魔法使いをしていることと、家族のように思っている大切な魔法使いと魔族事件を調べるためにこの街にやってきたこと。それが終われば、またヘレンの街に戻ること。カトレは少し寂しそうにしていたが、頑張っている孫の話を嬉しそうに聞いていた。

 あっという間に長い陽が落ちて、外が薄暗くなってきた。シオンはゼラを迎えに行くために家を出た。カトレは玄関先まで出てきて最後に一度シオンを抱き締めた。

「まだシオンの話を聞いていたいわ」

「また会いに来るよ」

「待ってる。ヘレンからはうんと遠いけど、おばあちゃんはいつまでもこの街にいるから。立派な魔法使いになって、いつか」

「頑張るね」

 カトレはシオンの身体を離した。笑顔で手を振って紫の蝶は飛んでいった。その胸で鳴る心臓はゆっくりと、しかし何よりも温かく揺れていた。


 魔法省のプラトナジア地方局はヘレン本局の建物と比べても遜色がないほど大きく、クファーラの街でも一際存在感があった。ゼラが案内された特別資料室はその建物の最上階にあった。魔族事件が起きた農場から一番近くにあることもあり、魔族事件専用の資料室が設けられていて、遺跡の記録や被害者の記録、発見当時の情報から推測される魔族の動きなどの検討書、発見された物品などが保存されていた。

 ゼラは被害者の記録が書かれている本を開いて中に目を通していた。生産されていた子どもとその母親が紐づけられて記録されており、身元のはっきりしている母親は出身の街や拉致されたと考えられる時期も書かれていた。ゼラ・ガーデンの情報は本の最後に載っていた。ゼラは表情を変えてページにかじりつき、しばらくして顔を上げた。

「不明か……」

 保護された後に魔法使いとして大成したため被害者の中では情報が多かったが、オーゼの言う通り母親に関する情報はやはり皆無だった。

「手がかりって言ってたものって……?」

 ゼラは資料室の入り口で手を組んで立っているオーゼの方を向いた。

「只今用意しますね」

 オーゼは部屋の奥にある棚へ向かった。棚には多くの細長い木箱が収納されていた。オーゼはその一つを取り出して箱の表面を確認した後、ゼラのいるテーブルの上に置いた。

「中をご覧ください」

「ふ、普通に開けていいの?」

「はい」

 ゼラは箱の蓋をそっと開けた。中には布の腕輪が入っていた。ところどころ焦げたように変色して千切れかかっている。

「な、なにこれ」

「農場の子ども達が巻いていた腕輪です。母親が子ども達の名前を付け、この布に書いて子ども達が腕に巻く。それを子ども達の識別に利用していたのでしょう。この布は保護されたときにゼラさんが腕に巻いていたものになります」

 焦げ目に被さっている部分もあるが、確かにゼラの名前が書かれていた。

「これに書いてあったから、ゼラって名前に?」

「そうです。ヘレン花園院の方々にこれを伝え、ガーデン姓と合わせた名前になりました。間違えなくお母様が付けた名前です」

 ゼラはもう一度布に目を落とした。

「……それで、これがどういう手がかりになるの?」

 オーゼは両手に白い手袋をはめて、静かに布を裏返した。

「腕輪には子どもの名前と合わせて裏に母親の名前が書かれています。それによって、子どもとその母親の紐付けができたのです。もちろん、ゼラさんの腕輪にも名前が書いてあったのですが……」

 ゼラは布の裏を見つめた。確かに人の名前の長さに見える文字の羅列がある。

「なにこれ、読めない……」

「公用語ではない言語の文字だと思われます。古代語に詳しい学者達に聞いても解読できていません。間違えなくお母様の名前だと思うのですが。これが唯一の手がかりになります」

 ゼラは肩を落とした。

「さすがにこれじゃわかんないな。記憶にもないし」

「そうですか」

「私の名前は普通の綴りなのに、なんでお母さんの名前だけ……」

「何か特別な意味があるのだろうと思いますが」

「魔族の洗脳が関係してたりは、しないか。他のお母さん達は名前読み取れるんだもんね」

「はい。洗脳のせいでこうなったとは考えにくいです」

 オーゼは手を組んで言った。ゼラは彼を振り返る。

「これ、もらっていくこととかってできない……?」

「これは保存用の原物なので厳しいですが、レプリカならご用意があります」

「レプリカ?」

 オーゼは先ほどの棚の隣にあるガラスケースから似たような布の腕輪を持ってきた。そちらの個体には焦げた跡や千切れかかった傷などはないようだ。

「調査を進めるには現物の状態が悪かったので複製品を用意していたのです。これで同時多発的に様々な学者先生にご協力いただきました。今は数に余りがありますから、よければお持ちください」

 ゼラは腕輪を受け取って自分の腕に通した。それを見つめながら首を捻る。

「こんな感じ?」

「はい。覚えはないですか?」

「うーん。あんまり……」

 オーゼは眉を困らせた。

「そうですか。結局、ゼラさんの洗脳が薄れていた疑惑も、ここの資料からは分かりませんでしたし、お役に立てなくて申し訳ないです」

「そんな、全然。お母さんが名前を付けてくれたことがわかっただけでも充分」

 ゼラは腕輪に手を当てて目を閉じた。

「それだけでも、どこか繋がってるような気がするし」

 二人は資料室を出て下の階へ降りた。ゼラは広いロビーを見渡す。

「帰りは一人ですか?」

「ううん、シオンが迎えに来てくれる。まだ、いないみたいだけど」

「そうですか、もう陽が落ちますからどうかお気をつけて」

「ありがとう」

 オーゼは頭を下げて廊下の向こうに消えた。建物の入り口から夕焼けに燃える街とが見えた。街の隙間に遠くの海が透けていた。しばらくすると通りの向こう側から紫の魔法使いが走ってきた。ゼラはそれを見つけて待ちきれず走り出す。

「遅くなってごめん」

「ううん。今見終わったところだよ」

 シオンは上がった息を整えながらゼラに聞いた。

「何か、わかった? お母さんのこと」

「資料には何も残ってなかった。オーゼが言ってた通りだったよ。でもね」

 ゼラはシオンに腕輪を見せた。

「これ」

「布の、腕輪……?」

「そう。農場の子ども達が腕に巻いていたものなんだって。これは実際に私が巻いてたもののレプリカで、余ってたから貰った」

「ゼラって書いてある」

 シオンはゼラの手を取って、腕に巻かれた布の表面を指でなぞった。

「でね、この腕輪、お母さんの名前も書いてあるんだけど……」

 ゼラは布を腕から外して裏返した。

「これが、私のお母さんらしくて」

 シオンの目はその文字に釘付けになった。

「なんか、変な文字で読めないんだよね。これが唯一の手がかりって聞いてたからさ、期待してたんだけどな……って、シオン?」

 ゼラは布を見つめたまま固まっているシオンに気が付いた。唖然としたまま、小さな唇が震えていた。小さな声で呟くように、その文字を発音する。

「え、シオン、読めるの?」

 ゼラがその肩に触れると紫の瞳が彼女の方へ動いた。

「私の、お母さんの名前……」

「……え?」

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