5-2. harmony

 澄んだ空が朝の上に張ってあった。前日まで降っていた雪はすっかり止んで、東の空に太陽がはっきりと見えた。パレルヴァの街には白い帽子を被ったように積もった雪が残っていた。黄色と紫の魔法使いは半身ほどの長さのスコップを持って屋根に積もった雪を下へ掻き降ろしていた。

「晴れてても寒いな、カンナ地方は」

 ゼラが白い息を吐きながら言った。シオンは俯いたままだった。分厚いマフラーに口元が隠れている。

「気にしないでいいんだよ。五百年解決できてないんだ。そう簡単に治せないのが当たり前。蓄積効果の可能性だってあるし」

「やっぱりソールそのままじゃなくて魔法にしなきゃだめなんですかね」

「セオリー通りならそうだね。でも心を治す魔法は前例がないから、シオンが完全に一から作り上げなくちゃいけない」

 シオンのスコップが雪に柔らかく刺さって止まった。

「そんなの、どうやってやればいいんですか」

「うーん……」

 ゼラは雪を掻きながら唸った。シオンも再度手を動かして雪を屋根から落とした。その瞬間、みっ、と何かが鳴くような音がした。シオンが不思議そうに屋根から下を覗くと、たった今落とした雪の上で白い小さな何かがもぞもぞと動いているのが見えた。シオンは屋根に掛けた梯子を降りて落とした雪の近くまで行った。

「あ、あの……」

 シオンは恐る恐る顔を近づけた。白い毛に覆われた丸い生き物が、み、み、と小さく鳴きながら動いている。シオンは手を伸ばして静かに持ち上げた。小さな茶色の足がばたばたと動いて瞑っていた目が開いた。可愛らしい黒くて丸い目。覇気は少なく乾いている。

「だ、だいじょうぶ? 寒い?」

 シオンは身体についた雪の粉を振り払ってローブで包むように抱いた。途端にその生き物は優しく光って熱を帯びる。暖炉の前に腰掛けているような温かさがシオンの胸に広がった。

「わわっ」

「どうしたの?」

 上からゼラの声が降った。彼女は躊躇いもなく屋根から飛び降りて雪の上に着地した。

「雪の中に紛れてたんです」

「なんの動物だろう」

 シオンが胸から離した生き物をゼラが覗き込んだ。するとそれは元気に顔を上げて、潤った大きな目を輝かせながらシオンを見上げた。頭の上には二つの小さな角が生えていた。

「みー!」

 それが鳴くとゼラは思い出したように目を開いた。

「もしかして、ハルモ!?」

「え、は、はるも?」

 シオンは首を傾げる。

「図鑑でしか見たことないけど。かわいい〜」

「珍しい生き物なんですか?」

「うん、魔物」

「え?」

 シオンは思わず手に持っていた白い塊を地面に落とした。み、と声を上げて雪に埋まるそれ。ゼラは慌てて拾い上げる。

「ま、まもの?」

「大丈夫大丈夫。悪さするやつじゃないんだ。魔法省の指定駆除対象でもない。見つけた時、結構弱ってた?」

 シオンは頷いた。ハルモは軽快に弾んでシオンの手のひらに戻って来た。

「やっぱりか。この子ね、魔物だから元々魔力を持ってるんだけど、生まれてしばらくすると代謝で全部消えちゃうの。そこから先は人間のソールを栄養に生きるんだよ。最初に摂ったソールを覚えてその人についていくんだ」

「え、じゃあ誰のソールも貰えなかったら、死んじゃうんですか」

「そうだね。だから、命の恩人」

 シオンは手の中のハルモをしばらく見つめてもう一度抱き寄せた。

「よかった」

 ハルモはもう一度熱を持って嬉しそうに唸った。シオンが抱き締めている間は角を引っ込めるようだ。

「すごいあったかくなるんですね。なんかちょっと光ってるし」

「飼い主のソールに反応するのかな。ぎゅーってしてるとソール吸えるみたいだね。なんて可愛いの」

 ゼラはシオンの頭を撫でた。シオンはハルモを彼女の前に差し出す。

「撫でる方間違ってますよ」

「間違ってないよ」

 ハルモは丸い身体をふわふわ浮かせながらシオンの腕を辿ってローブのフードの中に入り込んだ。居心地が良いことに気付いたのか、少しだけ顔を出しながら満足そうに目を閉じている。

「飼われる気まんまんだな、こりゃ」

「フードの中、動いた時に落ちちゃわないか心配です」

「大丈夫だって、掴まってられるよね?」

 ゼラの問いかけにフードの中から、みー! と元気な声が返ってくる。

「言葉通じるんですか!?」

「フィーリングってやつよ」

 シオンは口を広げたまま首を捻ってフードを覗き込む。ゼラは微笑ましそうに目を細めた。


 シオンは静かにレドの身体を離した。彼の目は開いているものの依然として細い息が続いているだけで、動き出す素振りは全くなかった。病室の扉が元気よく開いてゼラが顔を出した。

「シオン、夜ご飯できたよ!」

「あ、え、もうそんな時間……」

 シオンは窓の外に目をやった。空はもう黒くなっていて三日月が西に傾いていた。

「すぐ行きます」

 シオンはレドの布団を綺麗に直して病室を出た。食堂に行くとシチューの匂いが優しく漂っていた。煮立っている野菜はゼラがエペルに頼まれたお遣いで買ってきたものだった。シオンとゼラは隣に並んで座ってエペルと食卓を囲んだ。

「今日もお疲れ様ね。ずっとつきっきり?」

「はい。ひたすらソールを使うしか今は手立てがなくて」

「シオンの身体におかしなところとかはない?」

 ゼラが首を傾げる。

「休みながらなら、なんとか」

「何もかもすんなりうまくいくほど上手にできてないわよね」

 エペルは眉尻を下げて優しく微笑んだ。それから話題はゼラの魔法の話に切り替わった。どうやらゼラは今日一日で街にいる怪我をした人達を軒並み治して回っていたらしい。その性能に驚かれるまでがいつも通りだがシオンはもうすっかり慣れていた。

 夕食を終えた後、シオンは一人で今朝雪を払った屋根に登っていた。三日月はすでに山に隠れて星がいくつも瞬いていた。シオンは杖に巻いた布の紫をモノクルの奥に覚えてゆっくりと目を閉じた。そのまま何も言わずしばらく呼吸だけを続けると、手応えがなかったか口を窄めて瞼を持ち上げた。さっきまでいなかったはずの白い毛玉が目の前に座ってこちらを見ていた。

「ハルモ」

「ごはん〜だって。お部屋で寂しそうにしてたよ」

 シオンの隣にゼラが腰を下ろした。ハルモはシオンに抱き締められて嬉しそうに鳴いた。

「なんか、私ソール使ってばかりです」

「まさか餌までソールになるとはね。ちゃんと回復しないともたなくなっちゃう」

「いざとなったらソーラムもあるので」

 ゼラは高い星空を見上げるように屋根に寝転がった。

「フロウ症の治癒、どれくらい消費してるの?」

「魔法を使うよりは消費はしないですけど、ずっと継続してると結局はほとんど使い切っちゃいそうです」

「そっか」

 シオンはハルモを胸から離した。ちゃんとソールを吸収しているのか、少しだけ大きくなってぷかぷか浮いている。

「レドさんってカンナ魔法学校の見習い魔法使いらしいですね」

「え、そうなの?」

「今日アルさんから聞きました。雷の魔法が得意で腕がいいって評判だったみたいです。子どもを庇ってゼノ・フロッセの胞子を浴びたって」

「そうなんだ……」

 ゼラは口角を下げて俯いた。

「ゼノ・フロッセの胞子って基礎防御魔法で防げるって習ったんですけど、意外と防ぐの大変なんですか? 気付くのが難しいとか」

「胞子はかなり濃度が高くないと目に見えない。ソールがちくちく刺されるような感覚があるから、魔法使いみたいにソールが研ぎ澄まされてる人ならなんとか気付けるくらいかな。それでも急いで守らないとあっという間にソールが持ってかれるから魔法使いでもフロウ症になっちゃう人はいる。それに……」

 ゼラは膝を曲げて足の裏を屋根につけた。

「魔法使いなら自分の命よりも誰かを守ることを優先するよ。もし二人でゼノ・フロッセに遭遇したら、私は迷わずシオンを守る。死んでも守るよ」

 ハルモは何かに気付いたのかゼラの傍に寄っていって顔を覗き込んだ。ゼラは嬉しそうに微笑んでそれを撫でた。

「そうなったら私が治しますよ。死んでも治します。ゼラさんを失うわけにはいかないですから」

「……じゃあ、その時は頼んだよ」

 ゼラはハルモを顔の上に乗せてそう言った。


 木が割れて崩れるような大きな音でシオンは目を覚ました。と、同時に視界が真っ白で埋まっていることに気が付いた。

「えっ、え、ハルモ?」

 部屋を埋め尽くすほど大きくなったハルモが屋根を突き破っていた。明るく白んだ空に浮き出していく。シオンは急いで隣のベッドに駆け寄った。

「ぜ、ゼラさん! 起きてください!」

「ん〜?」

 シオンに揺すられてゼラは片目を少し開けた。すぐに周りの様子に気が付いて飛び起きる。

「な、何これ!? やばいやばいやばい!」

 ゼラはすぐに杖を取り出した。空へ飛び立とうとしている巨大な毛玉を飛行魔法で先回りして捕まえる。眠っていたハルモはゼラの魔法で目を覚ました。

「浮くな〜!」

「み、み〜!?」

 ハルモは自分が大きくなって浮き上がっていることに気付いたのか地面を探すように足をじたばたさせた。

「なになに朝から……」

 部屋の扉が開いてアルが入ってきた。はだけた寝衣に寝癖を跳ねさせていた。屋根がすっかり無くなって降り注ぐ冷たい朝光にぼんやりとしたまま立ち尽くす。

「わお」

「ご、ごめんなさい……! 朝起きたらこんなことに」

 シオンは目を泳がせて俯いた。

「ハルモか。久しぶりに見た」

「昨日拾ったんです」

「ほーん。さては抱っこしたまま寝たでしょ」

「え、あ、確か……そうです」

 アルはふっと笑った。

「ハルモはいくらソール吸ってもお腹いっぱいにならないから抱っこして寝ると永遠にソール吸い続けちゃうのよ。いやあ、こんなに大きくなりましたか」

「あの、これどうすれば」

「とりあえず飛んでいかないように結びつけておいて、吸ったソールが自然に代謝するのを待つしかないね。それからシオンも今日は半日くらい安静にしておいた方がいい。見た感じなんともなさそうだけど、多分結構ソール持ってかれてるはずだから」

 一階からどたどたとエペルが上がってくる音がした。部屋に入るなり丸い目がさらに丸くなる。

「やだ、ハルモ? 派手に壊したわねぇ」

「シオンが寝てる間に大きくしちゃったんだって」

「ごめんなさい」

「大丈夫よ。ちょっと待ってて」

 エペルは首を横に振って一度部屋から出ていくと丈夫そうな縄を持って戻って来た。ゼラはなんとかハルモを押さえつけて診療所の屋根の高さまで戻って来ていた。シオンは身軽に壁を登ってハルモの手を取り、ゼラと一緒に垂木の残骸に縄を括って飛んでいかないように結びつけた。ハルモは戸惑いの鳴き声を上げていたが、シオンが撫でると急に大人しくなってぷかぷか漂い始めた。

「さ、代謝待ちだね」

「飛んでいっちゃわなくてよかったわね」

「あの、屋根……えっと」

 シオンは胸の前で指を結んだ。泣きそうな声色をしていた。

「修理できる人を呼ぶから二人は気にしないで大丈夫よ。隣の無事な部屋に移っていいからね」

「ほんとにごめんなさい」

「私もこうなるの知らなかった」

 エペルは小さくなったシオンの肩に手を当てた。

「うんと昔だけどあたしの友達もおんなじことしてたわ。一緒に寝て屋根ぶち抜いちゃったの。可愛いから仕方ないわよねぇ」

「ハルモってここら辺だとよくいるの? ヘレンじゃ一回も見たことないんだけど」

「いや、相当珍しいわよ。あたしも生で見るのはこの子が二匹目。絶滅しちゃったのかと思ったわ。まだいたのね」

「じゃあシオンは相当運がいいんだ」

「そうね。しかもこの子すごく心が落ち着く感じがするわ」

「そりゃシオンのソールを取り込んで代謝してるから……」

 ゼラはそこまで言ってから、考え込むように顎に手を当てた。

「シオンさ、これもしかして」

 ゼラの言葉を遮るように部屋の扉が開いた。蝶番が擦れる音に全員の目が引かれた。と同時に全員が言葉を失う。

「あ、えっと……おはよう」

 白い髪。灰色の瞳。そこにいる全員が確かに、彼の目覚めを聞いた。

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