第2話 父の死
現在、二〇二三年 七月下旬。
十九歳の
通夜が行われるなか、ロングヘアを纏めた春佳は喪服に身を包み、視線を落として僧侶の読経を聞いていた。
父はときどき兄と熾烈な親子喧嘩をしていたものの、基本的に繊細で優しい人だった。
父方の祖父が食品を扱う中企業の経営者をしていた関係もあり、瀧沢家は一般家庭より裕福な家庭だった。
庸一は春佳にとって良い父で、大学に通わせてくれた恩のある親だ。
夫を深く愛していた母、
喪主を務めたのは、二十四歳で有名ゲーム会社に勤めているエンジニアの兄、
葬式は故人の遺志を汲み、こぢんまりとしたものとなった。
春佳は父が大好きだったし、急にこんな事になり驚き悲しんでいる。
だが人は自分より取り乱している人がいると、冷静になるものだ。
父の死を知って、我を失って泣いていた母を思うと胸が締め付けられ、自分がしっかりしなければという気持ちに駆られる。
だからどれだけ悲しくても取り乱さず、父を見送ろうと思った。
そう思ったのは、母が精神科に通院して薬を服用しているからというのもあるし、父の死に方にも理由があった。
父はマンションの共用部分である、廊下の窓から飛び降りたらしい。
どういう経緯で自殺したのか理由を書いた遺書はなく、代わりに弁護士に宛てた手紙なら見つかった。
【私はすでにローンを払い終わった分譲マンションの持ち主であり、飛び降りたのは共用部分になります。また、下は公道となっているため、家族が管理会社から責任追及されるのは難しいとみています。万が一損害賠償を求められた場合、十分にお支払いできる貯金はありますが、先生には私の死後、家族を守っていただけたらと思います。また遺産については以前に作成した遺言状の通りとしたいと思っています。】
あとの事を考えて綿密に計画した飛び降り自殺らしく、そこまで死にたかったのかと思うと悲しくて堪らないし、せめて理由を教えてほしかった。
父が亡くなったのは七月半ばの連休二日目の、夜二十二時ぐらいだ。
その時、ちょうど春佳は親友と一緒に泊まりでテーマパークに行っていて、一人暮らししている冬夜も、連休を利用して京都に行っていた。
春佳が連休三日目の午前中に帰宅した時には、父の遺体はすでに回収され、家を訪れた警察に事情聴取される流れとなった。
午後になって二泊三日で箱根へ行っていた母も帰宅し、最近の父に不審な点がなかったかを聞かれた。
部屋に争った形跡はなく、廊下の窓付近からも父以外の指紋は検出されなかった。
父は繊細なところがある人だったが、何を思って自殺したのかまったく心当たりがない。
祖父の会社の経営が傾いているという話は聞かなかったし、私生活も問題なかったはずだ。
仕事で悩みがある様子もなかったし、会社の人に話を聞いても理由は判明しなかった。
しっかりしないと、と思ってもどうしても気分が沈む。
春佳は手首に巻いた数珠を指で辿りながら、何度目になるか分からない溜め息をついた。
一家を支える父親がいなくなっても、無情に時は過ぎる。
どれだけ食欲がないと思っていても腹は減る。
(私たちは、お父さんの分も生きていかなきゃいけないんだ)
春佳たちは文京区小石川にある、3LDKのマンションに住んでいる。
父の自殺のあと、管理会社と少しやり取りをしたが、生前父が弁護士に『万が一何かがあった時のために』の事を伝えてのもあり、そう大事にはならなかった。
管理会社としても飛び降り自殺があったと噂になっては困るようで、マンションの住人に情報を知らせる事はなかった。
当時は警察や救急車が駆けつけて少し騒ぎになったものの、瀧沢庸一が自殺したという事は知られず、その騒ぎはやがて日常に紛れて忘れられていった。
だが遺された家族は違う。
かつては家族四人、少し前までは三人で暮らしていた家が、今はとても広く感じられた。
「春佳、夕飯できた。食えるか?」
キッチンから冬夜の声がし、春佳は兄に返事をする。
「うん」
答えたあと彼女は寝室に向かい、ベッドで寝ている母に声を掛けた。
「お母さん、ご飯は?」
が、母の返事を聞いて悄然とする。
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