覆面魔術師、切田くん。ヤンデレ聖女に愛されて夜も眠れる異世界７日間戦記

「これが…『だいしゅきホールド！』」

　勇者祭りに先駆けて（かっこよく）脱ぎ落とした荷物は、今は回収せずに先へと進むことにする。ゴブリンたちとの戦闘は未（いま）だ継続中だ。余計な重みは足枷（あしかせ）になる。

　そもそも、東堂さんの荷物も宝箱部屋に置きっぱなしなのだ（食料の大半がその中にある）。決着がつくまでこのまま放置しておくのが良いだろう。――もちろん、それぞれの荷物が無事である保証など、何処（どこ）にもないが。

「止まって」先頭を行く『猫目』が、小声で制止する。

「五歩先の床、落とし穴がある。…キルタ、わかる？」

　目を凝らしてみた。『飛ばないマジックボルト』の光が、のっぺりした石組み通路を照らしている。……駄目だ。さっぱりわからない。

「…僕にはわかりません」

「そう？」

　少女にからかう様子は無い。

「落とし穴の中にゴブリンがいるよ。隠れてる」

「…なるほど」

（落とし穴に落ちるか、通り過ぎたら襲いかかって自爆する算段か…）

　パレードを歓迎する準備は万端のようだ。旗も配っている。ならば此方（こちら）も手を振り返すのが営業努力というものだろう。切田くんはだいたいの場所へと狙いをつけて問いかける。

「…この辺ですか？」

　――上げた眼帯を素早く下ろし、『猫目』は振り返る。真剣な顔で彼の腕をつかみ、射撃方向を調整する。

「…もう少し…」軽く眼帯をめくって、敵の位置を確認する。

「…ここ」

「行きます。鎧を貫く（アーマーピアーシング）『マジックボルト』」

　少しの溜めの後（のち）、シャープペンシルの先端から金切り声を上げる杭状のエネルギーが発射された。……耳障りな逆撫で音に、『猫目』がビクリと肌を泡立てる。光の杭は真っ直ぐ瞬時に、床を小さく斜（なな）めに穿（うが）った。

（こういう時？歌えばいいと思うよ。『ローンドブリッジ、フォーリンダン、フォーリンダン、フォーリンダン…』）

　そのまま様子を見守っていると、直（す）ぐに落とし蓋が四角く跳（は）ね跳（と）び、破裂音と白煙が吹き上がった。

　焼け焦げたゴブリンの断片がポーンと跳ね上がり、蓋を追い越して天井にべ（・）し（・）ゃ（・）り（・）と張り付く。穴の内部を跳ね回る曳火弾（えいかだん）が、念押しのように肉片へと突き刺さった。

（…あれだけ撃つのをためらった相手でも）

（『マイ・フェア・レィディ』…そうやって、罠に嵌（は）めてやろうと手ぐすね引いて待ち構えるのなら、躊躇（ちゅうちょ）は有りません。…簡単に殺せますよ）

　仄暗（ほのぐら）い考えを廻（めぐ）らせる切田くんは、『猫目』の力を少し見直す。

（今の所、僕らはうまく噛み合っている。『暗いところでも見えるスキル』…赤外線視力（インフラビジョン）か？）

（熱を持った生物は、常に赤外線を発している。…ほんの少しの空気の流れでも、隙間があれば見えるのか。彼女の罠感知、敵感知は正確だ）

（…有用だ。これならば『猫目』さんと積極的に関わり、関係を深める事も十分な利があるな）

　そう考え、……切田くんは、眉をしかめて頭を振る。

（……何（なん）なんだ僕は。いまさら手のひら返して、彼女におべっかでも使う気か？自分の都合で距離を置いたくせに）

（……そんなの、ただの卑怯者じゃないか……）

　卑劣な奴と思われるのも、そうなるのも本意ではない。切田くんは慎重に言葉を選んだ。

「…助かります」

　短い返答に『猫目』は半身（はんみ）で振り返り、不服そうに言った。

「そっけないね。キルタ」

　少女はぷいと前を向き、切田くんの腕を放り出してスタスタ歩き出してしまった。

（…なんか、難しいな…）

　結果は芳（かんば）しくなかった。

　切田くんはウンウン頭を捻（ひね）りながらも、彼女の後へと続く。

　◇

　眼帯下の目を凝らし、魔法の地図を広げながら、『猫目』はスムーズに分かれ道を選び取る。踏み板を避け、壁のスイッチを警戒し、ふたりはどんどん『迷宮』の奥へと分け入っていく。

「…いるよ」曲がり角の前、『猫目』がふたたび切田くんを制した。

「待ち伏せ。曲がり角の奥に２匹いる」

「わかりました」（敵の位置が奥すぎて、壁抜きでは狙えない。…ならば…）

　切田くんはぶっつけ本番、一度も試したことのない魔法の詠唱を開始した。

「『魔力の光よ映し出せ。揺らぎ無き蜃気楼の鏡像』。【ミラーイメージ（鏡像）】」

　――切田くんが現れた。

　二人になった切田くんに、『猫目』は目をぱちくりさせる。

「触ってもいい？」「駄目です」などと小声で囁き合うのを差し置いて、空間に映し出された切田くんの幻影が、通路の先へと音もなく歩き出す。

　曲がり角に差し掛かると幻影の切田くんは、スタイリッシュで派手なアクションで曲がった先にシャープペンシルを向ける。決まった。（ヒュー）自画自賛だ。……呼応して、曲がり角の奥から怒号が巻き起こった。

「来たぞぉっ！！」

「勇者アァァァッ！！取ったどぉァァァ！！」

　裏返った叫び声とともに、ドタドタ足音が鳴り響く。燃え上がる樽を背負ったゴブリン達が、曲がり角へと猛然と突っ込んできた。

「あえ？」

　幻影がパッと消えてしまい、ゴブリンたちはたたらを踏んだ。慌てて辺（あた）りを見回す。――曲がった角の遥（はる）か先にて、切田くんたちの姿を確認し、……『猫目』がニッコリ笑って手を振り、切田くんはペコリと頭を下げる。――彼らは硬直した。

　もう、間に合わない。

「ズッ…」ゴブリンたちは絶叫した。

「ズルいぞおおおおおおおおおおおっっっ！！！」

　バン、バンと爆音を上げて、彼らは破裂して破片を撒き散らした。

　◇

　ベチャベチャする残骸を（…うへぇ…）踏み越えて、二人はさらに『迷宮』の奥へと進む。

　しばらくすると『猫目』が立ち止まり、三度（みたび）声をかけてきた。「キルタ」

「…敵はどこです？」慎重に辺（あた）りをうかがう。敵はまた何処（いずこ）かに、巧妙に隠れているのだろうか。先に狙撃できる位置ならば良いのだが。

　眼帯を戻しながら振り向いた少女は、ひどく真剣な顔で、こう言った。

「キルタ、ハグして」

「……はい？」

（…何だって？）切田くんは硬直する。『猫目』が真面目な顔で急（せ）かした。

「はやく」

　困惑し、思わず額に手を当てる。（…この子は何を言ってるんだ…）

「…あの、ふざけている場合じゃないんです。先を急がないと」

「抱っこしてくれないと進めない」

　そういいながら彼女は、軽く両手を広げる。

「ん」

　……しばらく沈黙し、切田くんは毅然（きぜん）とした態度で伝えた。

「…急いでいるんです。はやく東堂さんのところにたどり着かないと」

　――苛立った表情と、少しの沈黙。

　眼帯の少女は、口元だけでニコッと笑った。

「……駄目だよ？ざこキルタ」

　そして『猫目』は煽（あお）る口調で、落（・）ち（・）着（・）い（・）た（・）言葉を並べる。

「キルタは本当に駄目。鈍（にぶ）い雑魚。ざこざこキルタ。ざこキルタ」

「ざ～こ。ねえキルタ。アタシの力が必要なんでしょ？」

　切田くんは真剣にうなずく。

「そうです」

「だったらちゃんと察して、感情を込めて抱きしめてくれないと」

「……」

　反応の悪さに、そっぽを向いてため息をつく。「…ほんとニッブ」

　再び振り向いた時、彼女は笑っていた。……せせら笑いだ。

「…まだわからないの？自分の立場が。あたしはキルタを脅してるんだよ？いくら汚（けが）らわしいと思っていても、ハグぐらいなら出来るでしょ」

「キルタがアタシとセックスするのが嫌だっていうのは、よ～くわかった」

「…だけどもう、アタシの体に触ることさえ嫌なの？キルタ。生理的にダメ？」

　切田くんは辛抱強く言い含める。

「だから嫌じゃありませんよ。でも今はそんな場合じゃない」

「今がそんな場合なの」

　口元に笑いを貼り付けたまま、彼女は続けた。

「あたしの力が必要よね？」

「…ええ」

「『聖女さま』を助けに行きたいよね？」

「もちろん」

「ねぇキルタ」

　笑い顔のまま屈（かが）み込んで、眼帯の少女は下から切田くんを覗き込む。

「アタシはそのための道具なの？」

「……」

「自分の都合で利用して、使い捨てるだけの道具なの？」

「アタシなんか仲間じゃない」

「ただの組織が付けた見張り。だったら都合よく使い潰してやる」

「そういうこと？」

　切田くんは慌てて否定する。

「…違いますよ。それは」

　少女は半歩踏み込んで、ゆ（・）っ（・）た（・）り（・）と（・）食ってかかった。

「違うなら証明して」

「愛を証明してよ」

「あたし、生まれてこのかた、『都合のいい』『その場の気分だけの』『愛』しか見たこと無いの」

「…もちろん、そんなのはまだマシな方なんだけど。汚（けが）らわしい話なんて聞きたくないでしょ？」自虐（じぎゃく）に唇を歪（ゆが）ませ、彼女は嗤う。

「キルタにとっての『聖女さま』は、本物の愛を向けるに値する存在なんでしょう？……だったらキルタは知っているはず。本物の愛の向けかたを」

「本気じゃなくても良いんだよ？本当にキルタが『聖女さま』を愛するに値するのなら。……出来るよね？」

「ねぇキルタぁ。見たいな～？『愛』。ね～ぇ～」

「……」

「……」

　突如（とつじょ）『猫目』は睨みつけ、小馬鹿にした口調で言い立てた。

「ねえキルタ、あんた」

「『聖女さま』と釣り合ってないよ」

「高望みしすぎ」

「なのに薄っぺらいた（・）ぶ（・）ら（・）か（・）し（・）だけで、『聖女さま』を自分のものに出来ると本当に思っているの？」

「…舐（な）めてるよね、それって」

「都合の良さを押し付け合って、上辺だけ仲良くして」

「セ（・）ッ（・）ク（・）ス（・）の（・）予（・）感（・）に（・）高（・）ぶ（・）る（・）だ（・）け（・）の愛しか表せないのなら」

「…キルタは『聖女さま』にふさわしくない」

　両手を祈りの形に握って何かを想い、彼女は陶然（とうぜん）として言った。

「あの人は気高くて、綺麗で」

「そして強いの」

　そして憎々しげに顔を歪（ゆが）める。

「あんたなんかとは内に秘めたパワーが違う。生きてきた道そのものが違う」

「…そう思うでしょ？『ざこキルタ』」

　それを聞いた切田くんは、覆面越しに頭をグリグリと掻きむしり、視線をそらす。……そして、ポツリと言った。

「…思いますよ」

「そうでしょう！」

　少女は歓喜の声を上げ、満足げに顔を歪（ゆが）めると、くるりと背を向けて天を仰ぐ。

「ほら！…そうよね！」

「やっぱりそう！」

「だったら似た者同士、こんなにも弱くて汚らわしい、こんなあたしにさえ愛を示せないのなら！わ（・）か（・）ら（・）せ（・）ら（・）れ（・）な（・）い（・）のなら！」

　笑いを収め、遠い声で言う。

「『聖女さま』と繋がっていられるのは、お（・）ま（・）ま（・）ご（・）と（・）が楽しいわずかな時間だけ」

「あなたたちは必ず破綻する」

「…うまくいくわけ無いでしょう？常識で考えてよ。だったらそんな安い了見（りょうけん）で『聖女さま』を汚さないで」

　そしてくるりと向き直り、挑発的なかがんだ上目使いで言った。

「ねぇ、キルタ？」

「だからさ。試しにあたしを抱きしめてみてよ。ほら。だっこだっこ」

「ハグを通してでも、キルタが好きなた（・）ぶ（・）ら（・）か（・）し（・）からでもいいよ。欠片（かけら）でも、あんたから伝わってくる愛を感じたのなら」

「アタシはもう何も言わない。アタシには見ることの出来ない、キルタの中の愛のために、喜んで協力して『聖女さま』を救い出す」

「だって、それって」

　陶然（とうぜん）と、頬に両手を当てる。

　……うっとりとした声が、辺（あた）りに響いた。

「と（・）お（・）っ（・）て（・）も（・）清らかで美しいことじゃない？」

　しばし官能に浸る彼女は、次の瞬間すべての表情を消し、スッと片手を差し伸べる。

「…さあ」

「示して。キルタ」

　◇

　そんなことを言われても心底困ってしまう。切田くんは愛について、とてつもなく疎（うと）かった。

　世間は愛にあふれているようだった。

　しかし、自分がそれを掴（つか）んで行使したことなど一度もなかったし、自分が掴（つか）めるとも思ってはいなかった。――ずっとずっと漠然（ばくぜん）と生きてきた切田くんにとって、それは、自分に最も似つかわしくない言葉だと、彼はそう感じていた。

　自分の周りで愛を語る人々やメディアは、剣闘士がおのれの武器の見栄えを語るように、いつもそれを誇らしげに振り上げ、光にかざして見せていた。

　そんな二枚舌のポジション闘争に進んで参加することは嫌だったし、正直ピンとこなかった。

　もちろん、そういった人の我欲に捕らわれない、おだやかな存在が世界のどこかに存在する。そのことについては疑わなかった。……それに対する幻想や憧れもあった。

　しかし、自分を取り巻く現実たちを見渡すと、自分の力ではその壁を超えられない。……決してたどり着くことはない。

　おそらく自分は、『愛』を名乗る蠢（うごめ）き合いを、遠くからただ眺めながら、これから先もずっと生きていくことになるのだ。

　いつしかそう、切田くんは実感していた。

（おそらく自分は『魔女』の言うように、冷たい人間なのだろう）

（…僕は愛なんて言うものを持ち合わせてはいない。見せようがない。示せと言われて提示できるものは何一つない）

（…このままでは『猫目』さんに見捨てられ、僕は単身で）

（地雷原。死の罠と敵の待ち伏せに晒（さら）されながら、手探りで進まねばならない。…おそらくそれは、詰みだろう）

（…さて、どうする？切田類）

　◇

　切田くんは後ろめたさを感じながらも、慎重に打開のための思索を巡らす。

（…もちろんここは『精神力回復』を使わせてもらう。それ以外に無いんだから、当然の選択だ。…『猫目』さん、すみません）冷たい選択肢は、いつだって短絡的で近視眼だ。

（…彼女はよく見ている。意図はどうあれ、ぐうの音も出ない）

（…身の程知らずか…）自身に向けて『精神力回復』を起動する。――『スキル』が作った鎮静が、無力感や忌避感すらも鎮め、薄めて気にならなくしてしまった。……それはどうなんだとも思う。（心の棚だな、こりゃあ…）

（僕の力不足なんて、場を構成する要件の一つでしかない。そ（・）れ（・）は（・）そ（・）れ（・）だ）

（何かを感じることと、それによって足を止め、思い悩んでダメージを受けることは、実はセットのことじゃない）

（『僕は力不足だ』。それによって苦しむ選択は、僕にはない。誰かと比べて弱くても、その力を使って今を進むしか無いんだ）

（…だから『猫目』さんが苦しみを感じて、今、その足を止めているのなら）

（僕の『スキル』で、無理にでも動かすだけだ。…そして今、僕はそうする）切田くんは少女に向かい、穏やかに話しかけた。

「『猫目』さん」

　挑戦的に、彼女は答える。「…なぁに？」

「せめて真剣に話します。僕が見せたくない自分をさらけ出します」

　切田くんは堂々と、なんの奥面（おくめん）もなくこう言った。

「僕には愛なんて示せません。愛を持ったこともありません」

「……」

　眼帯の少女は切田くんをじっと見つめ、しばらく沈黙する。

　そして心底呆（あき）れ、しらけた顔でそっぽを向いた。

「あっそ」

　ズイと、切田くんは進み出た。

「…えっ」

　少女の腕を取り、持ち上げる。……抵抗はない。

「…何？」

　怪訝（けげん）な顔の、あるいは瞳に熱を持った彼女の腕を引き、自分の側へと引き込む。――少しの恐れを見せる、眼帯少女の片目を覗き込む。

「…抱けますよ。もちろん」

「あなたが本当にそう望むのなら。それは、僕にとっても心地良いことです」

　そして屈（かが）み込み、彼女のことをしっかりと抱きとめた。

「…っ…！」

　少女は身を固くする。……そのまま彼女を持ち上げてしまう。これですぐには振りほどけない。切田くんは遠慮なしに、フルパワーで『精神力回復』の力を流し込んだ。

　雷に打たれたかのように、彼女は硬直していた。

　そしてぼうっと、目の前の覆面を見つめる。

「…ねぇ、キルタ」

「なんです？」

「あたし、キルタの素顔を近くで見るのが好き。…覆面を取ってもいい？」

　そのぐらい問題ない。とっくに素顔はバレている。切田くんは頭をぶつけないように、軽くうなずいてみせる。

「ええ」

　彼女は両腕を引っこ抜いて覆面を額までまくり上げ、――中の瞳を覗き込んで、ふにゃりと笑った。

「…えへへ。さっき椅子の上で抱きしめ合った時も」はにかんで視線を外し、そして戻す。

「『あっ、この顔好きだな』ってなったし」

「どうも」

　切田くんは短く答える。

　少女はぐ（・）い（・）と顔を寄せ、頬を寄せてきた。そして切田くんの首にガッチリと両腕を回す。――華奢な両足もガッシと腰に回し、太ももとふくらはぎで腹部を強く締め付ける。

　抱きつかれている。

（これは…『だいしゅきホールド』！）

　切田くんは頭がおかしくなる。……顔の側（そば）にある耳へと、『猫目』は囁（ささや）く。

「キルタ」

「なんです？」

「いいんだけど、なんか変。もやもやも、ムラムラした気持ちも、全部消えちゃった」

「…ねえ、キルタ…」

「な（・）に（・）か（・）し（・）た（・）？」

　強張（こわば）る顔を直ぐに崩し、切田くんは諦め顔で肩の力を抜く。

「え（・）え（・）」

「そ」

　彼女は短く答え、抱きしめ具合を深める。……耳に触れる程（ほど）に唇を寄せ、からかう声で囁（ささや）きかける。

「…キルタ。あたしね？ずっとずっと、キルタに言いたかった事があるんだ」

「なんです？」

　突如（とつじょ）の真剣な表情。消え入るほどに微（かす）かな囁（ささや）きを、少女は鋭く、切田くんの耳に吹き込んだ。

「あいつがいる。あの鷲鼻（わしばな）の男」

　思わず少女を取り落としそうになった。しかし『猫目』がガッチリと切田くんにつかまっているので、事なきを得た。

「…なんですって？」

「あたしを箱に引きずり込んだ、あの男」

　彼女は神妙にささやく。ウィスパーボイスが耳をくすぐる。

「いるよ。…ずっと」

「そしてまだ、アタシが気づいていることに気づいていない」