後出しジャンケン

 汗ばむほどの熱気と松脂臭の立ち込める、謁見部屋の中心。くれないを両面に長剣を抜き放った王は、羅刹像の如く悠然ゆうぜんと立ち、少年を見据みすえて静かに刃の切っ先を向ける。――幾度いくたびもの実戦をくぐり抜けた強者の、王のたたずまい。


 勝てない。


 無力と敗北がつたとなって全身を締め付けてくる。…このままでは負ける。一方的に負ける。外圧に圧搾あっさくされた脳をじわじわと侵食する、悔恨と、冷たい死の予感。



「どうしたね?キルタ君」



 ……王は来ない。襲ってはこない。余裕の態度で高みから、切田くんを睥睨へいげいしている。それどころか、さとす口調で話しかけてくる。


「君のターンエンド、私のターン。私からゆくのが筋ではあろうが。…先程の、弾打ちだけのきみではあるまい。キルタ君、まだ私に見せられるものはあるかね?」


「情けをかけたとも、あなどっているとも取って欲しくはないな。私はきみに期待しているのだよ」


(…ぐっ…)不可視の圧に潰されそうになり、少しえずく。……今や、彼を取り巻く世界は全て忌避なる異物へと変わり、異なる存在を排斥しようと内から外から蠕動ぜんどうしている。――ざわりざわりと肌を舐め、うごめいている。(…うぅっ…)


 気持ちの悪さに飲み込まれ、焦燥しょうそうと無力に萎え落ちそうになる気持ちを、(……だっ、駄目だっ!!)


(……このっ!)切田くんは取り出した怒りによって無理にでも奮い立たせた。(…どこまでも僕をめくさって…!)


(…その余裕ぶったつらを何としてでもひん曲げてやる。…考えろ、必ず何か打開策はあるはずなんだ…)


 引き金を引くだけで撃発可能な拳銃とは違い、切田くんの『マジックボルト』は意志の力で攻撃対象を指定しなければ成立しない。攻撃の意志を中空に放つだけでは、『スキル』の力が通わないのだ。……つまり現状、切田くんの手札はすべてクズカード。解決の手段はない。


(王さまを照準出来ないとしても…例えば自分の手を動かす『ビー玉パリィ』なら)


 状況打破のために、彼の思考はカリカリと目まぐるしく回る。(…試してみるんだ。アイディア次第で、まだ戦える…!)


 検証開始。切田くんは握り込んだ『ビー玉』にパワーを込めて、王の剣を受け流せるように誘導ホーミングしようと意識する。じわりと、切田くんの左手が上がった。


 ……しかし、その違和感に、切田くんの手が止まった。



(駄目だ、『ビー玉』が動いていない!?)



 ――検証は失敗。誘導ホーミングが効いている感覚がない。ビー玉に『スキル』の力がかよっていないのだ。(王さまが持つ剣を対象として狙ったせいなのか!?装備品も対象にできないの!?)


(…マズイ、これでは…)剣が無理ならば兜や鎧も狙えない。装備を貫通させて『結果的に』王を攻撃することは不可能だ。


 そして、どうにかスキルや魔法の攻撃を当てたとしても、王の力は『そのダメージを0にする』……王の言葉が正しいのならば。



 汗が、覆面の内側をつたって、そのまま床にポタリと落ちた。



(……だっ……駄目だっ……!)



 ――『ビー玉』を握り込んだ左手と、右手のシャープペンシルを交互に見る。あれほど心強かったその2つは、今はあまりに、脆弱ぜいじゃくで無力だ。



(打つ手が、無い!!)



 切田くんは脂汗にまみれ、じり、と後ずさった。



 ◇



 、肩に手が添えられる。

 切田くんは(割れ物を扱う様にも関わらず)ビクリと跳ね上がり、おそるおそると背後に目をやった。



「下がって、切田くん」



 透明な声の主は優雅にその身をすくめて、外套の中の重い背負い袋を脱ぎ落とす。ガシャンと大きな音が響いた。 



 ……遠い声で、彼女の名を呼んだ。



「…東堂さん…」



 揺れる視線の先。純白のローブ越しに浮き出る、すらりとした細身のシルエット。炎を背負い毅然きぜんと立つ彼女は、みずからの胸に手を当て瞑目し、朗々ろうろうと詠唱をそらんじる。――その澄みわたる声は、松明取り囲む『迷宮』の壁に、酷く奇妙なほどに反響する。



「『魔力を以て命ずる。聖霊よ、守護の力となりて我が身を守れ』。【プロテクション防護】」



「…あとはまかせて」声をやわらげ、切田くんの横を抜けて行く。…らした瞳を、じっと覗き込まれている。

 力なく下げた手の甲に、誰かの冷たい手のひらが、やんわりと触れた。


 そのまま『聖女』は悠然ゆうぜんと、王の前に進み出ていく。フードの陰から鋭い眼光を飛ばし、腰のヘビーメイスに手をかける。



 その凛とした姿に、切田くんの胸が、ひしゃげるみたいに奇妙にゆがんだ。



(……ぐうっ……!)



 情けないところを見られた。臆病だと思われた。恥ずかしい奴だと思われた。邪魔だから下がっていろと言われた。弱いと思われた。僕にこいつの相手は無理だと言われた。舐められたまま終わった。まだやれたのに代えられた。出番を取られた。まだやれたはずだ。手段はあった。せっかくまだ、考えている途中だったのに。


 汗に冷えきった全身が、酷く強張こわばる。絶叫して掻きむしりたいぐらいに胸が締め付けられている。……切田くんは思わずよろめき、そのまま後ろに三歩下がった。



 彼の無様ぶざまな姿を眺め、ゴブリンの王は失笑する。



「クハハ。キルタ君。きみが私の期待を裏切るのは、これで二度目だな」


「…弾撃ちの魔術師ともなれば、そうもなろうが」


「まさか女を盾にするとはな」



 拒絶を表すかの様に、彼女はピリリとフードをはずす。

 あらわとなった、氷精の美貌びぼう。長く艷やかなまつげの下に浮かぶ、絶対零度のさげすみの目。



 鈍く優美に光るヘビーメイスをベルトから外し、彼女は静かに宣言した。


「口先だけなんて意味がない。これで順位付けをしましょう」


「…ほう?」


 王は片眉を上げ、興味深げに答える。


「私に力で勝てると思うのも浅はかだが、男を立てなくとも良いのかね?」


「切田くんは私よりもずっと強い。自然とあなたが下になる」価値も興味も微塵も感じない、深淵を写し込む様なうつろな目で、悠然ゆうぜんと構えたままのゴブリンの王を下に見る。


「たまたま持っていた対策がハマってになっている強者気取りに、私が序列じょれつというものを教えてあげる」



「クハハハハハハハ!」



 王は心底愉快そうに嘲笑ちょうしょうし、…そして、静かにのたまった。



なぐさめるためだけの根も葉もないなど、男がみじめになるだけではないかね。キルタ君も気の毒なことだ」



 沈黙。……そして浮かぶ、憎々しげな表情。と奥歯が噛み締められ、殺気がと膨れ上がる。――彼女の何かが、スッと抜け落ちた。



「…世界を馬鹿にし続ける、罪深きものよ」



 透明で空虚な瞳が、王の姿へと向けられている。


「馬鹿にすべきではないものまで馬鹿にして、いつしか神の怒りに触れた」


「決して拭えぬけがれをまといし王よ」


 氷結世界の幽鬼の如く、…ゆらり、と、ヘビーメイスを蜻蛉とんぼに構える。


「そんな馬鹿な王さまが女に無様ぶざまに叩き伏せられて、地面にみじめに這いつくばってから」


「今の気持ちを聞いてあげる。少し黙って」


「…ほほう?」


 失笑混じりに王は牙をむき出した。垣間見かいまみえるは愉悦ゆえつの表情。



「出来ないことへの挑戦というものは」


「後悔のいとまがある事柄でやるものだ。女」



 ゴブリン王の気配が変わった。



 決壊する勢いに全身の筋肉がみなぎり、と太い血管が異相となりて浮き出る。膨らむ身体からと白い蒸気が立ち昇る。


 ――全力全開。仕掛けてくる気だ。


 剥き出しの暴威を喧伝けんでんせし太い牙。うつごとに恐れ震わす、まがつなりし悪鬼の形相。顕現けんげんをなすほどに渦を巻く、重く噴き出す漆黒の殺意。


 ゴブリンの王グッガはかついだ長剣を引き絞り、全身に溜めた力を結集させて、



「カアッ!!!」衝撃。炸裂した振動。――震脚。渾身の踏み込みに大地が鳴動し、地殻津波の如き突撃をせしゴブリンの王グッガは、


「クハハハハ!!」全身全霊を切っ先に、必殺の長剣を振り下ろした。


『ぁああああああああああああああああっ!!』


 迎え撃つは鋼の一撃。地の底より豪と響く雄叫びに、蜻蛉とんぼに構えたヘビーメイスが宙に鋭く円を描く。上段から横薙ぎ、巻き込むが如く跳ね上がった凶暴な鈍器と、渾身の力で打ちおろされた蛮族長剣バスタード・ソードが交錯する。



 ――激突、衝撃。金属同士が撃ち合う、泣き叫ぶ様な轟音。



 王の長剣が、その太い両腕ごと跳ね上げられた。過剰な負荷にビキビキと、両腕の鍛え抜かれた筋肉が悲鳴を上げる。


「なんと!?」吹き飛ばされそうになったゴブリンの王は、体勢を崩されながらも驚愕きょうがくに叫ぶ。



 東堂さんは笑っていた。虚無をたたえる瞳の下に、仮面めいた張り付き笑いが浮かんでいた。……深き地の底にて焦熱にひずむ、コポコポ笑う透明なマントル。







 打ち上がったヘビーメイスが嫌なきしみを上げて、慣性に逆らって袈裟懸けさがけに転じた。…獣の瞳が、ギラリと光る。


「アハハハハハハハ!!」高笑いに乗せた暴威無双の鉄塊が、ゴブリンの王めがけて叩き込まれた。




 そのはずだった。




「えっ」



 と空振ったヘビーメイスを空中で止め、なめらかな動きで腰のホルダーに格納する。「…ちょ、ちょっと…」混乱と狼狽ろうばいに、「…なに?」彼女はわけも分からず慌てる。


「…ちょっ、何をして…えっ?」


 とその場に座り込み、足を崩して横たえる。そして両手を地面につき、体を支えた。――横たわる人魚の様な、どこかなまめかしい姿だ。



「…どうして…?」



「東堂さん!?」(東堂さんが、に!?)



 王の革マントの陰。小柄なゴブリンの老人が両手を伸ばし、何かのまじないに複雑な印を向けている。…崩れた体勢を立て直す王の背に、老ゴブリンは鋭くささやきかけた。


「『』…王よ、とどめを!」


「応よ」


 剣を逆手に持ち変えて、ゴブリンの王はニヤリと嗤った。

 東堂さんはなおも気丈に、へたり込んだまま毅然きぜんと睨み返す。


 地に伏せど燃ゆる黒き憎悪を見やり、王は淡々とのたまう。


「魔力による強化が自信のみなもとか。実戦ではことよ」


「だがな。広くを見越し、策を張り巡らせるのがまつりごとというものだ。……終わりだな。女」



「お前が、下だ」



 王は凶刃の切っ先を、気丈に睨みつける東堂さんの眉間へと、




「!カァッ!!!」




 渾身こんしんの力でたたきつけた。




 ――激しく火花が散った。空を切って跳ね跳び、更に壁を跳ねて火花を散らす。


 尖端の欠けた王の長剣は、彼女の眉間の前、見えない壁にはばまれピタリと止まっていた。


「ぬうううううぅっ…!!」


 流石のゴブリン王も、怒りとあせりに顔をゆがめる。……こうなれば無理にでもと筋肉を膨らませ、渾身こんしんの力で剣を押し込む。一寸たりとも剣は進まない。


 吹き出した脂汗が、王の顎を伝わって落ちた。



 東堂さんはじっと王を睨みつけ、凛とした口調で言った。



「私の【プロテクション防護】は、すでに『ディバイン神聖』化している」


「……悪いけど、お堅い女なの」



 思わず王はよろめき、後退あとずさる。…そこに有るのは憤怒ふんぬ憔悴しょうすい

 と奥歯を噛み締めて、心底憎々しげに床の女を睨みつける。「…二度も三度も…」



「爺っ!!」



 王は叫び、半身はんみで振り返った。…激発と懊悩おうのうに、激しく王は問いただした。



「我が身はっ…!…我が身はそれほど非力であるかっ!?爺!!答えよ!!!」


いな!凶獣さえほふる王の力、衰えてなどおりません!!おかしいのは向こうでありましょう!!」



 ◇



(…ここだ…!)昏き炎を宿す切田くんの目が、ギラリと光る。(…絶好のチャンス…)


(…ずっと待ってた、この瞬間ときを。【ディテクトマジック魔力探知】に映る東堂さんを取り巻く光は、あの時のふくろう、ブリギッテさんの遮断しゃだんする盾に匹敵している。…元からあんな段平だんびらで、抜ける道理はない)


 ――刹那の思考。激発する王の怒りが、ふてぶてしく睨み返す『聖女』の呼吸が、ゆっくりとコンマ倍速で流れていく。


(東堂さんの守りの力を信じた。…そう言えば、聞こえはいいけど…)


(…ぐっ…)心の中で、弱々しく毒づく。切田くんはなにか、『東堂さんを見捨てた』気分になっていた。切っ先を向けられた瞬間も、切田くんはじっとチャンスをうかがっていたのだ。……何もせず、棒立ちで。


(…何も出来ないくせに『なにかしよう』だなんて、そんなのは邪魔なアピールでしかない。無能な働き者の証左しょうさ…)


(…ああ、くそ。…なのに、このモヤつき…)ぬぐえない気持ち悪さが、白蟻みたいに巣食っている。



 …そして、嫉妬。王に立ち向かう東堂さんに感じた、激しい感情。



!)その激しさとめちゃくちゃな内容に、彼の心がと曲がる。



 危険な感覚の予感に慌て、降って湧いた衝動を押し込める。(…何だよ、それ。僕は何を考えているんだ。…もはや、意味のわからないレベル…)


(…とにかく!あのお爺さんさえ倒せば、パワーの差で東堂さんが勝つ。結果的には守れる。救える。このわずかな隙につけ入るんだ。その後でゆっくりと、馬鹿な考えを懺悔ざんげをすればいい…)


 超低速度に鈍化した世界が、急激に通常速度へと加速する。切田くんの煮えたぎる思考は世界の動きに相反し、加速度的に鎮静へと向かった。


(…僕を視界から外した王さまの油断。つけ込ませてもらうぞ。…行けっ!!)


 切田くんはその親指で、手のひらに握り込んだ『ビー玉』を、次々と弾き出した。



「『ビー玉バレット』」



 目標への射線は王のマントによって切られている。直接の射撃は不可能。(…だったら戦術起動からの、迂回攻撃だっ!)の方向に弾かれ出た『ビー玉』が、パワーの流入に急加速しながら空を裂く。一発は天井へ。残りの二発は左右の壁へ。



「…『跳弾』!」



 3発の『ビー玉バレット』が、石造りの壁と天井に火花を散らした。それらは老ゴブリンに命中する弾道へと、した。


 王が火花を視界の隅に捉え、声を裏返して咄嗟とっさに叫ぶ。


「爺!!」


(死角からの三方向攻撃。王さまのガードも魔法詠唱も、このタイミングで絶対に間に合うものか!…くらえっ!!)

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