サブリナ

あと1週間もすれば夏休みが明け、またバスに揺られながら学校へと通う、退屈でなにも変わらない日々が始まると考えるたびに、鬱々とした気分を感じていたとある日の朝、僕が店の窓を拭いていると、不意に店の端っこに置いてある黒電話が大声で震えだした。

こんな朝っぱらからパブへ電話をかけてくるやつは相当なか、もしくは年寄りのかけ間違いだと思った。

僕は嫌な顔をしながらも、電話が3回鳴ったところで受話器をとり、とんまでも年寄りでもどちらでもいいようになるべく物腰柔らかな態度で「はい、スコットです」と電話に出た。


『あ、ルイス?私、グレイスだけど』


僕は一瞬脳がフリーズした。電話の先にいる相手は、まったくとんまや年寄りなんかではない、少しむすっとした声のグレイスだった。

「えっ?グレイス?」

まさかの着信に動揺した僕は、情けなくも気の抜けた声を出す。


「なんだよ?こんな朝はやくから」

『いえ、長い話じゃないの、一言置いていくだけ』


僕は彼女の言葉を不思議に思った。


「?それなら、どうぞ、言って」

『じゃあ、夕方ごろ、あなたの店へ行くわ』

「は?」

『何度も来るなと言われれば、行きたくなっちゃうものなのよ。もう決めたからね、絶対に4時か5時くらいにそっちへ行くから。いい?いいわね、それじゃあ!』

「は?ちょ、ちょっとまってグレイス、僕言ったよね、それだけはやめ――」


僕が言いかけているところで、電話はプツッと音を鳴らして切れた。

本当に一言を置いていっただけの、その嵐のような展開に、僕は頭にいくつものはてなを浮かべては、完全に当惑した様子だった。

僕は彼女の本気であろう言葉に、重みのある受話器を握りしめながら、疲れきったようにため息をつき、その息とともに肩の力をガックリとおとした。受話器を戻したあとは、参ったといわんばかりに頭を抱えた。


なにもグレイスはいきなりこんなことを言い出したわけではない。前々から店に訪れたいと何度も僕に話をもちかけては、その度に僕がそれを強く断っていたのだ。

いったいなぜだと聞くだろうけど、だって、ここはパブだ。男だらけの、タバコ臭くてうるさくて、おまけに客層も髭面の中年ばかり、どこにもロマンチックなんか感じられないような、ただのせまっくるしいパブなんだ。

そんな場所に知人の女の子を連れてくるというのは、どうしても僕のプライドが許さなかったし、彼女が男どもにジロジロ見られることは耐え難いと思っていた。

しかし、グレイスはそんな扱いをされることに少々腹を立てたのだろう。どれだけ僕が

君が冷やかされたりするのが心配なんだと言っても、彼女は頑なにそんなものは気にしないと言って聞かなかった。

そうやって店へ行きたいと言うグレイスを日々なだめながら、のらりくらりと彼女が訪れることを引き止めていたが、いよいよそれも今日までだと、僕は先程の電話で痛感した。


仕方がないと諦めた僕は、とりあえず父さんに「今日はグレイスが来るから」と話し、それを聞いてパッと顔が明るくなった父さんには、間違ってもこの間のように口を滑らせるのはやめてくれと圧をかけた。


その後の僕は店内に流れる音楽を無心で聴きながらグラス拭きをしてテレビを見たり、

―いつものように店の中で好きなだけ吸えばいいものを― なぜか表に出てタバコを吸ったりと、いつものように見せかけていてもどこかせわしなく、落ち着かない様子でいた。

もう既に、グレイスがパブに来ることは間違いな気がしてたまらなかった。


そうして日は出ていても、昼の雰囲気だけがすっかり影から抜けおちてきた午後4時半ちかく、僕は店先に1台の青い自転車がブレーキをかけて器用に停車するところを、店の中から眺めた。

ブロンドの髪を光らせた彼女は自転車から降り、西日が眩しかったのか、かけていたサングラスを頭の上に持ちあげたあと、窓から僕がいることを確認して、微笑しながら店の扉を開けた。

ドアベルが小さくチリンと鳴る。

僕は白々しく「いらっしゃい」と言った。


「あの晩とはちがって、今度は君が押しかけてきたな。」

「なによ、あんなに嫌がっておいて、ぜんぜん普通のパブじゃない」


以前会った時よりも少し日に焼けているように見えるグレイスの姿は、ジェーン・バーキンかグレース・ケリーか、とにかく太陽に照らされるべき美しさだと思った。


「夕方までは普通のパブだよ。夜のはしゃぎようを見れば失望する」

「あらそうかしら」

「そうだよ、僕の友達なんか来たら本当に最悪。君は怒って帰ることになっちゃうな」


僕とグレイスが話をしていると、僕の肩から控えめに顔をのぞかせていた父さんはグレイスの顔を見るや否や、前触れもなく手をさしだして「どうも、君がグレイスか。話はよく聞いてるよ」と言った。

彼女も右手に気づいて握り返し

「今日は突然ごめんなさい、ルイスからは引き止められてたのに…」と苦笑する。


「いいや、どうせ照れ隠しだ、気にするもんじゃない。今度あいつが君と話してる時の写真を撮って見せてやろう、どこまでもくだけた顔してるから。それに今日の昼もずっと―」

「父さん」


僕は低い声で呟き、父さんを睨んだ。

父さんは“おおこわい”といった顔をしたあと「じゃ、ゆっくりしてって」とグレイスに言い残し、後ろへ下がっていった。

グレイスはすぐに席へは座らず

「ちょっとだけ見て回ってもいい?」と、まるで美術館にでもいるような感じで、店の壁に貼ってあるレコードやポスターをまじまじと見て歩きはじめた。

僕はまるで家宅捜索にでも入られているようだと思った。何も悪いことはないのに、緊張感だけが膨らんでいって、あまりいい気分ではない。


「どうしてわざわざ電話を?君なら、アポもなしに突然ドアを壊す勢いでやってくると思ったのに」


僕は彼女の後ろを着いていきながら、好意的ではない気分を誤魔化すためにそう訊いた。

グレイスはそんなことなどこれっぽっちも気づかずに、“ティファニーで朝食を”のポスターに手を触れては、僕の言葉に口をあけて笑いだした。


「失礼ね、電話があるなら使うわよ!」

「そう?やりそうじゃないか。僕を驚かせるのが好きなんだろ」

「そりゃここが桃色ピンクの店ならそうしましたとも。なんなら次からはそうしましょうか?1週間前に手紙を送っといてあげるから!」


グレイスから出た桃色ピンクの店という予想外の言葉に、僕は思わず目を見開かせた。

「そんな映画よく知ってるな、もう40年以上も前だ」

「え?あぁ、母から教えてもらったの。私、ジェームズ・ステュアートが好きだったから」


そう言い終えたグレイスは周りをキョロキョロしてから僕を見、人差し指を立てて

「実は彼、私の初恋よ」と、僕にこっそり幼いころの秘密を明かしてくれた。

僕はそれに微笑みながらも、僕もここで自分の初恋相手が誰だったのかという話を出来たら良かったのにと思った。


一通り店内を見たあとはお互いおとなしく席へつき、当たり前だが、酒の飲めない彼女にはノンアルコールカクテルを提供して、うるさい男どもが来るまでの間を、話に花を咲かせるために使った。

もちろん店内には決してAC/DCやジェームズ・ブラウンなど流さずに、ヘップバーンの“ムーン・リバー”、ワイネットの“スタンド・バイ・ユア・マン”といった、積極的ではない音楽―きっとダニエル達や他の常連は口を揃えて“女々しい”と言うものばかり― を流した。


僕はしばらくグレイスと対談していたが、その会話の内容は意外にも些細なことで ―どんな音楽が好きか(残念ながら、グレイスはあまり音楽に詳しい方ではなかった)とか、日々のルーティンはあるか(僕はマリリン・モンローのポスターを眺めることだと言った)とか、将来やりたい、ちっぽけでくだらないことはなにか(僕が気が済むまでピクルスを食べたいと言うと、グレイスも笑って賛同した)とか、大体はそんな話だった。

そうしているうちに日はどんどんと傾いてゆき、いつの間にか時計は午後6時をまわろうとしていることに気づいた僕は、次第にダニエル達 ―主にダスティン― がやってくることを危惧しはじめた。

僕は決してグレイスの存在を隠したかったり、否定したかったわけではないが、奴らの目の前に彼女を出した時、なんやかんやとはやし立てられることが嫌だと思った。


「グレイス、これからどんどん騒がしくなってくるし、店を出ないか?」


実際、店の中は男どもの声でうるさくなってきている。

僕は当たり障りなく立ち上がってグレイスにそう提案したが、彼女は

「でも、まだあなたの友達に会ってないわ」と、残念そうな顔をした。


「あんなやつら会わなくていいよ、奴らがどれだけ面倒くさいかも知らないだろ?」

「えぇ、だから知りたくて」


彼女の一言に、僕は含み笑いをした


「やめてよ、君に会えば、あいつらは僕の嫌なところばかりを君に紹介してくる。もちろん、僕に恥をかかせたいって話なら止めないけど」


僕は言ったあとすぐに、その言葉がどれだけ意地の悪いものだったのかを察した。

そんな僕の言葉にグレイスは微苦笑をし

「まぁ、一生会えないというわけでもないものね…」と、小柄なバッグを持って立ち上がった。

僕は店の扉ちかくまで早足で歩き、彼女のためにドアを開けて、一緒に外へ出た。


「いきなりでごめん、良かったらまた来てよ。昼なら基本静かだし、君の好きな数少ない曲を、ジュークボックスで流したっていいから」

「嬉しいわ。今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとう」

「いや、こちらこそ、色々と話せて楽しかったよ。家はどっち?送っていくから…―」


僕がそう言って左右の道を確認すると、目の前の景色に喉の奥がピタッと閉まり、僕の息は止まった。

あろう事か、道端には先程まで噂していたダニエル、カート、ハロルド、ダスティンの4人が肩を並べて立ち、僕とグレイスが店から出てくるところを、バッチリと目撃していた。

僕は心底驚いた衝撃で思わずクラっときてしまい、今にも地面と接触事故を起こすというところだったが、いきなり現れた4人に困惑したグレイスが「ルイス、この人たちは?」と話しかけてくれたおかげで、なんとか卒倒だけは免れることができた。

僕は咳払いをし、唸りながら首に手を回しては、タイミングの悪い自分を憎く思いながらも、ひとまず彼女にみんなを紹介しなければと考えた。


「えっと…左からダニエル、カート、ハロルド、ダスティンだ。…君が会いたがってた、僕の友人たちだよ」


僕がみんなを指さしながら言うと、グレイスは一人ひとりの顔をじっと見つめて、顔と名前を覚えたあと、嬉しそうに目をきらきらとさせながらニッコリと口角を上げた。


「良かった!てっきり今日はもう会えないかと思ってたの!ダニエルにカート、ダスティンにハロルドね、覚えたわ!私はグレイス・シモンズよ、よろしく!」

彼女はそう自己紹介をすると、一人ずつにしっかりと力強い握手をしてまわった。


「会えないと思ってたって、どうして?」

握手を終えたあと、ダニエルが訊く。

「ルイスがやめろと言ったの、あなたたちの面倒くささを知らないだろって…」

するとハロルドは爆笑して口を挟む。

「はぁ〜!?お前、本気で彼女にそんなことを言ったのか?」

笑いながら僕の肩に腕を回すハロルドに、僕もわめいて返した。

「なんだよ、別に間違ってないじゃないか。今だってわざわざ僕らを引き止めてるし、まったく1度でいいから静かにしててほしいよ」

「へぇ、俺たちを邪魔者扱いか。お前もずいぶん勇敢になったもんだなぁ、ルイス?」

ハロルドに続き、カートもふざけたように言った。

その一方で、ダスティンは僕が本当に女の子と一緒にいるなんて微塵も思っていなかったのか、悪夢でも見たようにショックを受け、両手で目を塞ぎながら「あぁ神さま…」と呟いていた。

そんな目が回りそうなほどめちゃくちゃな状況の中で、カートはグレイスを見ながら

「お前は麗しのサブリナを連れて、いったいどこへ行くつもりだったんだよ、えっ?」

とにやにやしながらはやし立てた。


「別にどこへも行かないさ!ただ、彼女は今から帰るから送ってこうと思ったんだよ。これから暗くなるし、悪いか?」


僕はすこし不機嫌になりながら言う。


「グレイスを送って戻ってきたら、いくらでも好きなだけ話を聞いてやるよ。だから今だけは、黙って店へ入っててくれないか?」


僕がそう言ってムッとしながら店の扉を開けると、みんなは予想通りと言わんばかりに、いっせいに顔をほころばせて笑った。


「あぁわかったよ、わかりました。ほら、お前ら邪魔するなってさ、はやく行くぞ」


カートは手で合図しながらそう言ったものの、去り際にグレイスへ

「ミス・シモンズ、今度はこいつの面白い話をうんと聞かせてやろう、最高だぜ」と言い残し、その後ろをダスティンやダニエルが着いて行っては、カートと同じように

「あいつが客と殴り合いをした話がある」

「ルイスが俺にクソまずい酒を出した話をしよう」と、グレイスと次会った時にする話の約束を順々にしていった。

そんな中ハロルドだけは、入る前に僕のところへ来て立ち止まり、僕の肩に手を置いては

「ま、あんま怒んなよ。老けるぜ」と、これ以上やかましいセリフは無いというくらいの言葉を吐き捨ててから、スキップ混じりに店へと入っていった。

そうして目の前でバタンと扉が閉まると、僕はやっと息ができると言わんばかりにぶはっと息を吐き出して、大きくため息をついた。


「ごめんグレイス、みっともない姿を見せちゃって…失望した?」


彼女の前で情けなくも感情的になってしまった自分に反省している僕を見て、グレイスは顔にかかる髪を耳にかけては、くすっと含羞はにかんだ。


「まさか!むしろ、あの人たちと一緒にいるあなたの方が自然で良かったわ。また彼らに会わせてちょうだい」

「…いいけど、その自然っていうのは、僕からしたらすごく恥ずかしいことだよ」

「そうかしら?あなたは、あの人たちといっしょに居るべきだと思うわ。お互いにすっかり信用しきってるみたいだしね」


自転車のスタンドを足で上げながら言うグレイスに、僕は「何言ってるんだよ」と笑って、彼女と横並びになりながら、しばらくキリのいいところまで一緒に歩いていった。

そして彼女に「おやすみ、またね」と言って別れたあと、僕はゆっくり店へと戻ったが、案の定戻った瞬間カートたちの手に捕まり、言うまでもないだろうが、その後は奴らの気が済むまで彼女のことを喋り続けなければならなかった。

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