015号室 カメラに映るモノ
「小桃……?」
突然目の前から消えた小桃を探して周囲を見回す紅介。
しかし、彼女の姿は影も形も見つからない。
紅介の胸に焦燥感がものすごい勢いで募っていく。
同時にどす黒い感情が紅介の自我を侵食していき──
「コウ! 小桃ちゃん! 無事か!?」
紅介が危ない思想に呑み込まれそうになったそのとき、白郎が部屋に飛び込んできた。
白郎の乱入によって我に返った紅介が白郎のほうを向く。
「親父、小桃が突然消えた……!」
「なに? それはどういう……いや、今は事態の把握を最優先にするべきか」
白郎は今やるべきことに素早く数字を割り振ると、小桃の件を後回しにする決断を決める。
「コウ、ひとまず外に出るぞ。小桃ちゃんの件はお前には悪いが……」
「大丈夫だ、親父。小桃のことは心配だけど、今は他にやるべきことがある」
「すまない」
白郎は紅介に深く謝罪をすると、紅介と共に家の外へ飛び出した。
外はまさに阿鼻叫喚といった様子でマンションの住人たちが外に出て騒いでいる。
「どうなってんだ……?」
異変にいち早く気づいたのは白郎だった。
遅れて紅介も気がつく。
「避難したはずの人がいる──!?」
外で騒いでいる人は全員マンションの一階に住む住人だ。
しかし、一階の住人は玄谷家と萩倉を除いて全員が昨日のうちに避難を終えていた。
つまり、彼らがこの場にいること──それ自体が異変なのだ。
「どういうわけか知らんが全員が自分の家に戻された。そう考えたら──」
「そうか。小桃が消えた理由も納得出来る。つまりアイツは今、自分の部屋にいるってことか?」
「その可能性が高いだろうな」
白郎の仮説を聞き、紅介は僅かに平静を取り戻す。
しかし、逸る気持ちを抑えることは難しく、彼はエレベータのほうへ向けて駆け出した。
「待て、コウ!」
駆け出した紅介の肩を白郎が掴む。
邪魔をされた紅介は白郎を鋭い目で睨みつけた。
「今この瞬間にも小桃は危険な目にあってるかもしれない! 手を離してくれ、親父!」
「ダメだ! 七階には俺が行く」
「なんで──」
「まず聞け!」
カッとなって白郎に突っかかる紅介。
しかし、白郎の怒声に近い大声が紅介を怯ませた。静かになった紅介に言い聞かせるように白郎が言葉を紡ぐ。
「七階へは俺が行く。お前は萩倉と共に地下の様子を見に行って欲しい」
「七階へは俺が行く。地下へは親父が行けばいい!」
「いいや、地下はお前じゃなきゃダメだ。お前は調査隊の中で一番強いが、同時に一番経験不足だ。相手がゴブリンの地下ならお前は有効に立ち回ることが出来るだろう。しかし、なにがあるか分からない七階ではお前は無力だ。適材適所ってことだ」
「だけど──」
「紅介。分かってくれ。お前は俺の子供なんだ。子供をなにがあるか分からない危険地帯へは行かせられない」
「くっ……!」
一度は抵抗を試みた紅介であるが、親心をぶつけられては言葉が出ない。
彼は苦虫を噛み潰したような顔で不承不承と白郎の指示を受け入れた。
白郎が安心したように息を吐き、背を翻す。
「それじゃあ、俺は行く。お前もすぐに地下の様子を見に行ってくれ。もし、何も無かったら階段から上がって一階ずつ異変がないか確認しろ」
「あぁ!」
紅介は気合十分な返事を返すと、地下階段へ向けて走り出す。
それを見送った白郎はエレベータへと走った。
エレベータに乗り込むと、【7】のボタンを押す。
軽い重力を感じ、エレベータが上昇した。
扉の上に並んだ七つの数字が左から順に点灯していく。そして、【6】が光ったところでエレベータがピタリと止まった。
「止まった!? ……しょうがない。階段で行くか──!」
エレベータがなかなか動き出さないため白郎はやむを得ず階段を使うことに決めた。
開閉ボタンを押して、扉を開くと──奥から悲鳴が聞こえてきた。
「──ッ!」
白郎は扉をこじ開けるようにして外へ出ると、人混みを掻き分けて階段の前へと飛び出した。
白郎が集団の先頭に躍り出たのと同時に上階から七階の住人たちが雪崩込んでくる。
「東堂くん!」
六階に降りてへたり込む住人たちの中から東堂の姿を見つけた白郎が彼に近づく。
東堂は傍らに気を失った女性を置いており、本人はなにかに怯えるように酷く動揺していた。
「東堂くん。いったいなぜ君がここに? 七階でなにがあった?」
「玄谷さん……」
白郎が矢継ぎ早に質問を投げる。
すると、東堂はようやく白郎の存在に気づいたのようで、白郎のほうを見て安堵の表情を浮かべた。
我に返った東堂がぽつぽつと語り始める。
「……正直、俺にもなにがなんだか分かりません。避難先のホテルで日付が変わる瞬間を待っていたら、気がつけば自分の部屋にいたんです」
「やはり転移が起こったのか……。それで、その後はどうなった?」
「ええと……眠っていた彼女を起こして……そう、玄谷さんに報告に行こうと思ったんです。それで、外に出て……そうしたら──あ、ああ、ああああッ!!」
「東堂くん! 落ち着くんだ! 東堂くん!!」
記憶を辿るように話をしていた東堂は、なにかを思い出したのか、恐怖に染った顔で絶叫した。
突然発狂した東堂を白郎が宥める。
「ダメだ。──誰か! 他に情報を知っている人はいないか!?」
とても話が出来る状態ではない東堂からはこれ以上の情報が得られないと判断した白郎が他の七階から降りてきた住人に声をかける。
しかし、彼らは大なり小なり東堂と似たような状態で、会話をすることは難しそうだった。
白郎が悔しげに唇を噛むと──不意に細い腕が上がる。
「あの。アタシ、一応動画撮ってたんだけど……」
そう言って腕を上げたのは、派手な桃色の髪と派手なメイクが特徴的な二十代前半の女性だ。
【702】号室の住人で、名前は河相理紗。
彼女は『イリサ』という名前で活動するユアチューバーで、チャンネル登録者は百二十万人を超えている。
そんな彼女であるからこのような危機的状況でもカメラを回したのだろう。
「見せてくれ!」
白郎は飛びつくように理紗からカメラを受け取ると、早速彼女が撮ったという動画を確認する。
動画は彼女の部屋から始まっており、最初は自撮りのような視点から狼狽する理紗のリアクションが映され、その後事態の大まかな説明がされる。
どうやら彼女は海外まで避難しようとしていたようでその時間は丁度乗り込んだ飛行機が着陸準備に入ったところだったらしい。
しかし、次の瞬間気がつけば部屋のベッドの上にいたという。
事情を知らない人が聞けば嘘だと断じてしまう話。それをわかっているのか彼女も動画内で嘘じゃないと必死にアピールしていた。
『うわあああああ!!』
その時──玄関の外から男の悲鳴が聞こえてきた。
理紗はビクリと震えると、話を中断し、カメラを持って玄関へ向かった。
そして、扉を開け、外に出る。
すると、エレベータの扉の前になにやら大きな毛むくじゃらの置物が置いてあるのがカメラに映る。
──否。それは置物ではない。その毛むくじゃらのなにかは動いていた。そのなにかが動く度にグチャグチャバキバキと音が鳴る。
理紗の荒い呼吸がカメラの裏から聞こえる。彼女は逃げ出したい想いを押し殺して、仕事のためにカメラを回し続けたのだ。
そしてついにその毛むくじゃらのなにかが振り返る。
それは、例えるならば二足歩行をする牛といった姿の生物だった。
だが──カメラはその生物を一瞬映しただけですぐに別のものにフォーカスする。
それは謎生物の足元に転がる赤いもの。
グチャグチャに潰れて、所々に白いなにかが見える。
それはまるで──
『きゃああああッ──!!』
そこで理紗もその物体がなにか気づいたのか音割れするほど大きな声で絶叫した。
そこでカメラは停止する。
「なるほど。さっきの悲鳴はアンタのだったわけだ……」
「えぇ、多分。でも、他の人たちも同じタイミングで外に出て、叫びながら逃げてたからアタシのだけってわけじゃないでしょうけど……」
「じゃあ、さっき動画に映っていた人以外は皆逃げてきたってことか……」
白郎は七階から逃げてきた人たちを眺める。
東堂を始めとして彼の恋人、オーナーの蕪城、他にも七階の住人がほとんど全員揃っている。
いないのは先程カメラに映っていた謎生物に殺された人物──あれは恐らく【707】号室の住人だろう。
そしてもうひとり──
「小桃ちゃんがいない……!」
【705】号室の住人にして、紅介のクラスメイトでもある少女。
小花衣小桃の姿がそこにはなかった。
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