1-5

 スーパーフレア発生後、地下鉄マルタの人々は各駅のなかで、ひしめき合うように生活していた。それは、快適とはほど遠かった。

 地下鉄マルタのトンネルは、下水道とつながっている。スーパーフレア発生から数年で、下水道の汚水は干上がり、悪臭もしなくなった。すると多くの人々が、広々とした住まいを持つために下水道に移住しはじめた。いまでは、地下鉄マルタの多くの住人が下水道で生活している。


 ジェフ・マクレガー警部は、赤毛の男の後に続いてノースプール地区と呼ばれる下水道を歩いていた。いま、光を放っている物は、ジェフのガスランタンと、男のロウソクのランタンだけだった。寒々しい匂いが漂う下水道の幅は、15ヤード(約13.7メートル)はありそうだった。


 ジェフは男に聞く。


「あなた、名前は?」

「グラント」

「そうか、よろしく、グラント」


 オールドウォールという通りが近づいてきた。男4人が、地面をのぞき込むように顔を下げている姿が見えた。


 グラントは言う。


「あそこだ」


 ジェフは野次馬に近づく。


 遺体はあった。


 ジェフは遺体に群がる野次馬たちに言う。


「さあさあ、きみたち、少し下がってくれるかな」


 ジェフは遺体に近づく。

 コートを身にまとうその遺体は背を上にして倒れていた。強烈な死のオーラを発していた。

 まず思うのは遺体の身長についてだ。大男だった。6フィート3インチ(約190cm)は超えているだろう。

 遺体の背中が裂けていた。裂け目は長く、体内の白い骨が見えるほどに広い。そしてそこから血がいまも流れ出ている。まるで天国と地獄の間にできた裂け目のようだとジェフは思った。


 グラントがジェフに言う。


「ナイフでやられたんだろうか?」


 ジェフは答える。


「いや。これは斧でやられた傷だ。それも、特大の斧でだ」


 次に、いやでも目につくものがあった。地面に落ちている小型拳銃。ジェフはその小さなリヴォルバーに顔を近づける。スタームルガー製LCRと思われた。


 ここでジェフは思う。背中を巨大な斧で無残に切り裂かれて絶命した男、床に落ちたリヴォルバー……。これは、わたしの手に余る事件なのでは? マルタ中央ファイブポイント駅の警察本部に捜査を要請するべきなのでは?


 そう考えると同時に、こうも思った。わたしは、スーパーフレア発生以前に警察だったという経歴を買われて、ここシヴィックセンター駅の警部に任命してもらえた。ここで捜査をやめたなら、中央自治政府の期待を裏切ることになるのでは? わたしの存在意義がなくなるのでは? そうだ、ここはわたしが守るべき管轄だ。わたしが責任をもってこの事件の捜査を完遂させなければ。


 気を取り直したジェフはグラントに聞く。


「死体を発見したのはいつだい?」


 グラントは少し眉を寄せて言う。


「いまから1時間くらい前に銃声が鳴り響いた。おれはそのとき家の前で靴を修理してた。銃声がなった方へ行ってみようと思った。だが家族が〝危ないから行っちゃだめだ〟とわめきたてた。でも、おれは我慢できなくなって1人でここに見に来た。そしたら、もうこの男は死んでいたよ」


 ジェフは考え込むように顎をひとなでして言う。


「なるほど、ありがとう」


 ジェフはしゃがみ込み、護身用としてよく出回ってるリヴォルバー、スタームルガーLCRを手に取る。

 片手にもつランタンを銃に近づける。銃のフレーム側面をじっくりと見つめる。〝authorized〟の刻印があった。つまり、これは一般人が正当な理由があって警察本部から購入したものだ。


 グラントは興味深げに言う。


「犯人の銃か?」

「どうかな」


 ジェフはそういうと、遺体のコートのポケットに手を入れた。

 右のポケットにはなにもなく、左のポケットをまさぐっているとそれはあった。

 ジェフは、ポケットに入っていたLCR用の弾薬、.22LR弾をグラントに見せる。


「これは被害者の銃だね」


 そう言うと、スタームルガーLCRのシリンダーを開いて8発の小さな.22LR弾を取り出して、手のひらに乗せた。8発のうち1発だけ、弾頭がなく、火薬もなくなっていた。つまり1発、発砲されている。

 ジェフは言う。


「みんなが聞いた銃声は、この銃から発せられたものだと考えて、ほぼ間違いないね」


 ジェフはランタンを持ち上げ、遺体の周辺全体に視線を向ける。

 

 二本の血痕があった。一本は遺体から始まっている。もう一本の血痕は遺体の足底部より3フィート(約91cm)ほど離れたところから始まっていた。ジェフは注意深く血痕の跡を追う。血痕は途中でなくなっていた。血痕の長さは10ヤード(約9メートル)と言ったところだろう。


 グラントが聞いてきた。


「この二本の血の跡はどういうことだ?」


 ジェフは眉を少しあげてから言う。


「一本は斧から滴り落ちた被害者の血。もう一本は犯人の血。犯人は斧で被害者を襲った。被害者は背中を引き裂かれた。だが、そのときに絶命はしなかった。被害者はリヴォルバーを取り出し、犯人を撃った。どこに命中したかは分からないが、とにかく犯人は血を流した。そして後ずさった。その間に、被害者は倒れ、死亡した。」

 

 ジェフは血の跡がなくなる場所を指さす。


「犯人はここで止血した。犯人は斧の血を拭きとってから、ここから去った。そういうことだと、わたしは考えている」


 ジェフは、少し離れたところから、まだこちらを見ている野次馬たちに向かって言う。


「きみたちがここで見物しているあいだ、誰かきたかい?」


 野次馬の1人がトンネルの奥を指さして言う。


「あそこの奥から2人ひとが来て、遠くで立ち止まったよ。暗くて顔は見えなかったな。2人は10分くらい立ってて、そして帰っていったよ。なんだか妙だな、とは思ったよ」


 ここまでで得た手がかりをもとに、ジェフなりにここで起きたことを推測すると、こういうことになる。

 まず犯人が大男の背後に音もなく忍び寄る。大型の斧を掲げ、そして振り落とす。斧は大男の背中に壮大にめり込んだ。斧を引き抜く。そのときだった。大男は所持していたスタームルガーLCRを取り出し、犯人に向けて1発、発砲する。弾丸は、犯人の体のどこかに命中した。犯人は10ヤード(約9メートル)ほど後退した。大男は倒れ、死亡する。犯人は撃たれた箇所を止血する。犯人は斧の血を拭きとってから、どこかに去っていった。

 このようにジェフは考えている。


 ジェフは野次馬に向かって言う。


「誰か、この遺体を仰向けにするのを手伝ってくれないか?」


 3人の野次馬たちが返答した。


「もちろんだとも」


 遺体は仰向けにされた。

 ジェフは遺体の顔をまじまじと見る。知らない顔だった。遺体の顔つきは、特徴らしい特徴がまったくない〝いかにも平凡な顔〟といった感じだった。


 ジェフは野次馬たちとグラントに向かって言う。


「これが誰だか知っている?」

「いんや、知らないな」

「おれも知らない」


 ジェフは自分のコートの内側からiPhoneを取り出す。


「つまり、この大男はこの辺の人間じゃないってことだね」


 そう言いながら、iPhoneで遺体の顔を何回か撮影した。さまざまな角度で。


 ジェフは、現場検証はここまでにしようと思った。


 このあと大男の遺体は下水道の住人6人の手によって遺体安置所へ運ばれた(運び手には1人10ドルが、ジェフから支払われた)。遺体安置所とはいっても、それは、シヴィックセンター駅中央、ジェフの自宅兼警察事務所の近くに立てられたキャンプ用テントなのだが。

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