第26話 激白
「殿下……」
「会場へ様子を見に行こうとしたら、おまえたちが庭園へ行く姿が見えたんだ。だから……その……」
こんな主の姿を見るのは、初めてのこと。
デクスターは続く言葉を紡ぎだせない様子で、目も泳いでいる。
彼は、明らかに動揺していた。
「お待たせして、申し訳ございません。カフリンクスは、無事発見できました」
「そ、そうか。それは良かった……」
ジョアンは気づかないふりをして、努めて普通に振る舞う。
主は何か言いたげだったが、従者は帰宅を優先したのだった。
◇
就寝前に、いつものように一緒に風呂へ入る。
以前は浴室内の離れた場所で別々に洗い、同じ浴槽に浸かっていたが、番いとなってからはジョアンがデクスターの体を洗っている。
一生懸命主を洗うジョアンへちょっかいをかけてきたり、逆にジョアンを洗ったりと自由気ままなデクスターだが、今日は元気がない。
ジョアンは、小さくため息を吐いた。
風呂から上がり、デクスターの髪を乾かし
就寝準備がすべて整い、ジョアンは最後に部屋の灯りを消した。
「デクスター、おやすみなさい」
「……ジョアン、部屋へ戻る前に少しだけ添い寝をしてくれないか?」
室内は暗いため表情は窺いしれないが、懇願している様子は伝わってくる。
「わかりました」
扉へ向かいかけていた足を、方向転換する。
命じられるまま、デクスターの隣に横になった。
彼は何も言わず、抱きしめてきた。
頭を摺り寄せ幼い子が母親へ甘えてくるような仕草に、思わず笑みがこぼれる。
艶のあるシルバーグレーの髪をそっと撫でると、洗髪剤の香りがした。
「デクスターは、僕たちの会話を聞いていたのですか?」
「…………」
「あの位置からだと、ほとんど聞こえないと思いますが」
「……思い詰めたようなおまえの顔が気になって、こっそり後を付けてしまった。何か深刻そうな話をしているようだったから、つい……」
二人に気づかれないよう、気配を消して近づいたとのこと。
「そうしたら、あの秘書官がおまえを『ジョシュア様』と呼んでいた。国では、おまえは『病に臥せっていることになっている』とも。それで、頭の中が真っ白になった」
混乱したデクスターは、すぐに二人の傍を離れる。
木の陰で呆然としていたら、ジョアンが通りがかったのだった。
「前にも言ったが、俺はおまえの事情を無理やり聞き出すつもりはない。でも……」
腕の力が強くなる。
まるで、デクスターの心境を表しているようだった。
「……僕の本当の名は、ジョシュア・インレンドといいます。実家は公爵家です」
「公爵家……」
「そして、デクスターの想像通り、僕はヤヌス王国の女王陛下の婚約者でした」
◇
「…………」
デクスターは何も言わない。
ただ、ジョアンを抱きしめるだけ。
「今まで黙っていて、申し訳ありませんでした」
「…………そんなおまえがどうして川に流されたのか、理由を訊いてもいいか?」
「国境近くの町を視察した帰りに、命を狙われました」
「!?」
「暗殺者から逃れるために、崖から川へ飛び降りたのです」
「だから、母国へ戻る気はないと言ったのか……命を狙われているから」
「それもありますが、婚約者の立場に疲れていたのです。これを機に別人となって、新たな人生を歩んでいきたかった」
僕はすべてを放り出し逃げた、無責任な男なのです。
そう言って、ジョアンは自嘲する……デクスターに幻滅されてしまうなと思いながら。
「おまえは、自分自身の身と心を守っただけだ。無責任なんかじゃない!」
「デクスター……」
「逃げたから、おまえは助かった。俺は、おまえと出会うことができた。だから、自分を責めるな」
抱きしめられていた腕が緩み、代わりに柔らかいものが唇に触れる。何度も何度も。
ジョアンの正体を知っても、デクスターから向けられる愛情に変化はなかった。
すべての事情を打ち明けたら、嫌われてしまうのではないか?
距離を置かれてしまうのでは?
番いの関係を解消されてしまうのでは?
胸に重くのしかかっていた不安な気持ちが氷解していく。
「それで、おまえはこれからどうするつもりだ? やっぱり……国へ帰って結婚するのか?」
「いいえ。同じ家門から王配は一人だけと決められていますから、今のジョシュアは
「そうか、それは良かった……」
ジョアンの正体を知ったデクスターが挙動不審だったのは、国へ帰ってしまうのではないかと危惧していたからだった。
「兄上へ伝言もお願いしました。『この獣人王国で生きていく。ヤヌス王国へ戻るつもりは一切ない』と」
「おまえは、それでいいのか?」
「崖から飛び降りたときに、ジョシュアという男は死にました。僕はジョアンとして、これからもデクスターの傍にいます」
「俺がおまえを絶対に守ってやるからな、安心しろ」
デクスターの手が伸びてくる。優しい手付きで、よしよしされた。
初めて頭を撫でられたのは、森で出会ったときだった。
あの時は子供扱いされたことに複雑な心境を覚えたが、今は違う。
圧倒的な安心感と多幸感に包まれる。
「その……こんなことを言うのは不謹慎だと重々承知しているが……」
「何ですか?」
「おまえと初めて出会ったのが森で良かったと思う。結婚式だったら、大変なことになっていたぞ」
「???」
「おまえは俺の唯一無二の番いだからな、式場から花婿を強奪していたかもしれない……」
「・・・・・」
冗談とも本気とも取れる、デクスターの発言。
絶対になかったとは言い切れないところが、正直怖いところだ。
でも……
「デクスターとだったら、喜んで駆け落ちしていたかもしれませんね」
夢も希望もない、先の閉ざされた未来から逃れられるのなら……
そんな打算が働いてもおかしくないほど、あの頃の自分は精神的に追い詰められていたと今ならわかる。
「いや、おまえなら『王弟殿下ともあろう方が、何を考えているのですか!』と説教をしたと思うぞ」
「ハハハ……」
この離宮に連れてこられたときも、デクスターへ説教をした記憶がある。
ほんの数か月前のことなのに、ずっと昔のことのように感じてしまう。
それくらい、共に歳を重ねてきた老夫婦のように、デクスターと濃密な時間を過ごしてきた。
(これからも、こんな時間がずっと続いてほしい……)
しかし、ジョアンのささやかな願いは打ち砕かれることになる。
───エンドミール獣人王国へ届く一通の書簡によって
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