愛してる

「えへへ、涼っ」


 思いを、考えをぶつけ合って、お互いの気持ちを理解し合った途端に、すっかり栞は以前のような甘えん坊に戻った。俺の腕の中にすっぽりとおさまって、胸に頬ずりしてきて。


 それはもう大層可愛らしい。甘えられるのも嬉しい。栞とまた分かり合えた喜びをこのまま噛み締めていたい。


 ただ──


「栞、まだ体調悪いんでしょ? そろそろ寝た方がよくない……?」


 体調を崩しているところに押しかけて、怒鳴り合いの喧嘩まがいのことをしてしまったわけで、今度は栞の身体のことが心配になってきた。


「やっ! それに……、もう治ったもんっ」


 栞は駄々っ子のようにイヤイヤと首を振り、より一層強く抱きついてくる。その身体はやっぱりいつもより熱を帯びていて。


 俺は栞の両頬に手を当てて顔を上げさせる。そしておでことおでこをぴったりとくっつけて熱を見る。そんなことをしなくても熱があるのはわかっているのだけど。


 だからこれは栞を納得させるためのパフォーマンスだ。至近距離で目を合わせると、栞の視線が泳ぐ。


「な、なに……? 急にどうしたの、涼……?」


「……まだ熱があるみたいだけど?」


「うっ……。ち、違うんだよ。これは涼がいきなりこんなことするから、顔が熱くなってるだけで……」


 確かにさっきまでより顔が赤くなっているかもしれない。


 そりゃそうだ。だってこういうのも久しぶりだもんね。俺だって、真っ直ぐ栞の目を見つめると、以前より照れくさい気はするし。


「ほらっ、もう平気だよ?」


 突然、栞は俺の腕から抜け出してパッと立ち上がる。平気と言う割にフラフラしているようだけど?


 そんな状態なのに急に動いたりして、倒れたらどうするんだか。もしそうなったら俺が受け止めるけどさ。


「あーもう、無理しちゃダメだって。無理させたのは俺だけど……。って、なんかごめんね……」


「うー……、もう、謝らないでよー……。涼が来てくれなかったら、今頃私まだ一人でウジウジしてたんだからね?」


「なら言うこと聞いてくれる?」


「う、うん。わかったよ……。これ以上涼に心配かけたらダメだもんね」


 栞は申し訳無さそうに頷いて、ようやく素直に聞き入れてくれた。ベッドにコロンと横になった栞に布団をかけてあげると、モソモソと布団を引き上げて顔を隠してしまった。


「ねぇ、涼。一個だけ我儘言っていい?」


 布団の中から栞が言う。


「ん、なに?」


「あのね、私が寝るまででいいから、手、握っててくれる……?」


 布団の中から目だけを出した栞は恥ずかしそうな顔をしていた。今更そんなことで照れなくてもいいのに。


「うん、いいよ」


 おずおずと差し出してきた手を握ると、いつも通り少しヒンヤリしている。それに小さくて可愛らしくて、スベスベで。


 栞が起きる前はただただ必死で、この大好きな手の感触を感じる余裕がなかった。心にゆとりができてそれを感じられるようになると、ようやく栞が隣に戻ってきてくれたんだなって改めて実感できた。


 栞もふにゃりと表情を緩めてくれる。


「へへ、涼の手、温かい……。それに、こうしてもらってると落ち着く……」


「それなら寝るまでと言わずに、栞が起きるまでこうしてるよ」


 俺だってしばらく離れていたせいで、栞に触れていたいという欲が高まっているのだ。そのうえでこんな可愛いことを言われたら離したくなくなってしまう。


「ダメだよ。気持ちはすごく嬉しいんだけどね、起きるまでなんて言ったら朝になっちゃうよ。明日も学校あるんだからね?」


「じゃあ明日はサボるよ」


「だ〜めっ! サボりは許しませんっ!」


 めっ! っと怒られてしまった。せっかくサボる口実が見つかったと思ったのに。別に学校に行きたくないというわけではないんだけどさ。まぁでも、ちょっと残念ではある。


「えー……」


「えー……、じゃないよ。涼がサボったら、私は誰に休んだ分の授業内容聞けばいいの?」


 クスクスと笑いながら栞は言う。その感じは、もうすっかり元の栞のものだ。


「楓さん、とか……?」


「いーやっ! 涼じゃなきゃやなのっ!」


 まったく、栞は。こうして元通りになった途端に我儘を言うんだから。一個と言ったくせに追加をご所望らしい。でも、それがなによりも俺の心を癒やしてくれる。


 栞が甘えてくれて、俺が甘やかして。もし俺が甘えたくなったら、きっと栞はそれを受け止めてくれる。お互いに自分が弱いことを理解していて、だからこそ側にいて、支え合って。


 共依存に近いのかもしれない。確かあまりよくない状態らしいけど。でも仕方がないんだ、俺達はとっくにお互いの存在が必要不可欠になってしまっているのだから。


 というわけで、まずは明日の話。栞がそう望むのなら、叶えてあげたい。それ以前に先生にも言われているし。


「しょうがないなぁ、わかったよ。っていうかさ、栞も調子悪いの認めてるんじゃん」


 栞がこう言うということは明日も休まなければいけないくらいだと自覚しているということで。謝るなと言われたけど、また申し訳なくなる。


 でも栞はそこを責めてきたりはしない。代わりにバツの悪そうな顔をして。


「うぅ……、もうそれは許してよぉ。ちゃんと休んで、早くよくなるから、ね?」


「うん、待ってるよ。ほら、もうおやすみ?」


「はぁい。あっ、涼。寝る前にもう一個だけ……」


「いいけど、本当にこれで最後だよ?」


 栞の我儘ならいくらでも聞いてあげたいところだけど、さすがに今はそろそろ休ませないと。こんなことをしていたら、いつまでたっても栞は眠れないのだから。


「うん。えっとね、おやすみのキス、して……? って、風邪うつしちゃ──んっ……! んっ、んっ……。んんっ……!」


 俺は栞が言い終わるより早くその口をキスで塞ぐ。さっきもしているのだから、もう一回したところで変わりやしないだろう。


 さすがに舌を差し入れたりはしなかったけど、ちょっぴり激しめにキスをした。柔らかい栞の唇が気持ちよくて、止められなくなったんだ。


 それに俺も栞成分が足りていないのだ。明日もたぶん栞は学校を休むことになるだろうし、少しでも充電しておきたかった。


「ふぁっ、はぅ……。もう……、強引なんだからぁ……」


 拗ねるような口調の栞だが、その顔はトロンと蕩けている。喜んでもらえたようでなによりだ。


「栞がしてって言ったんでしょ?」


「そうなんだけど……。でも、えへへ、嬉しっ……。おやすみ、涼。大好きっ」


 そう呟くと、栞は眠りにつくため瞼を閉じる。俺は片手で栞の手を握り、もう片方の手で頭を撫でて。


「おやすみ。栞、愛してるよ」


 湧き上がる想いのままに栞の耳元で囁いてみた。『愛してる』だなんて初めて口にする。恥ずかしいし、照れくさい。でも、今この時にしっかりと伝えておきたかった。


 俺の栞への気持ちは『好き』や『大好き』ではとっくにおさまりきらなくなっていた。『恋』と表現するにはあまりにも強すぎる。


 栞は驚いた様子で目を開けると、頬を紅く染めて、


「私もね、涼のこと、愛してる、よ?」


 栞も照れているのだろうか、また布団で顔を隠してしまった。でも、たとえ顔が見えなくても栞の気持ちがわかる。柔らかく握り返してくる手、穏やかな呼吸から全部伝わってきて。


 今はもう言葉も必要ない。ただ静かにお互いの存在を感じていた。


 やがて栞はスゥスゥと寝息を立て始めた。俺が部屋に来た時とは違い、安定した呼吸。


 俺はとめどなく溢れてくる栞への愛おしさを感じながら、しばらくその頭を撫で続けた。

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