手向け、ハナビトへの華を
@idkwir419202
序幕
序話 西朝の山村にて
東朝と西朝とで覇を競う東西朝の時代。俄かに湧きだした「ハナビト」たちが両朝を脅かす病として、闇として市井を脅かしていた。
ハナビトに噛まれてはいけない。なぜなら種を植え付けられるから。
ハナビトに見つかってはいけない。彼らの目は華となり、しかし彼らの五感は研ぎ澄まされている。いざ気を付けよ、彼らに近寄るな。
もしあなたに勇気があるのならば。ハナビトの華をむしり取るといい。その華は、貴方に勇気を与えるだろう。
──西朝。辺境の村──
円形の母屋が山間部に立ち並んでいる。
この長屋が「守屋」と呼ばれていると知ったのは、西朝に入った後のことだ。東朝には存在しない防御的な建築は即ち、山賊やハナビトに対する防御の一つの解。その解は旅人である龍華にもてきめんの効果を及ぼしていた。
「うぅん。村に入ってからというもの」
そう言いながら周囲に立ち並ぶ円形の建物を見る。そこには窓があり、その窓からさっと頭が引いた──ようにも見えた。気のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。だがこの村に入ってから何度となく同じような「気のせい」を繰り返していれば、それはもはや気の迷いではなく確信として龍華の心に警戒感を抱かせる。
「ずっと、見られているんだよねぇ」
彼女は赤黒い長髪を揺らして周囲を見る。野外のどこにも村人の姿は存在しない。だが確かに、窓の向こうの何処から村人が龍華を監視し続けていた。
女性としては高い身長に豊かな胸、そして引き締まった腕や足。旅人として珍しくない旅装だがその手と腰に護槍と護刀。物騒な物持ちながら背中には藤で編まれた大きな籠。近づいて籠を嗅げば、何やら甘い香りが漂うことになる。
その籠の中身が龍華の商いで取り扱う道具であり、龍華がこの場で嫌われる原因でもあった。
「やっぱり、西朝じゃ嫌われてるわね。華売りは。華の効能が知られてないとはいえ、もう山野に華は咲かないっていうのに」
龍華の職は「華売り」。ハナビトの目から華をむしり取り、その華を売って生計を立てる文武両道の士。
ハナビトという危険を処する武家人でありながら万病難患に効く処方を下せる医官でもある。華売りとは別称であり、かねてより東朝では「
だが西朝にはその慣例はない、西朝にとってハナビトは厄難を払う華ではなく人を襲う屍として認知されているから。人伝の話なので実感はないが、少なくとも龍華はそう聞いている。
そして今、龍華は多少なりとも華売りが嫌悪されていることを肌で感じ取っていた。嫌に粘りつく視線を払えぬままかれこれ数刻、誰かに会えないか龍華は待っている。
「国境を越えて3日。もうそろそろ寝具の上に泊まりたいんだが今日も無理そうかな……」
柔らかい布団は夢へと消えた、そう考えた龍華の口から思わずため息が漏れる。
村民の誰とも会わないのならば、一宿一飯の契りを結ぶこともできない上に、誰ぞの家戸を叩けば返事の代わりに背中から矢が束になって飛んできそうだ。
致し方なし、死ぬよりましと考えてこの村は抜けよう。4夜目の野宿を覚悟して止めていた足を動かし始めた、その時。
「あの」
声がした。少女の声。右から聴こえたその声を辿り、龍華は人棟の守屋に視線を辿った。一際大きな守屋、その戸口にまだ成年していないだろう少女が立っている。農村の子らしい日に焼けた顔に粟のような寒気を催しつつも、少女は勇気を出して龍華に声をかけてきた。
「誰ですか?ハナビトですか?」
「……ハナビトではないが、華売りだよ」
少女の言葉にどう返していいか。正直に答えれば排斥されかねないがしかし龍華は嘘をつく気にもならない。結局、龍華は正直に自分の生業を述べることにした。
果たして少女が生唾を飲み込み、龍華の背にある加護に視線を向ける。やがて少女は乾いた口から決意を口にした。
「あの!売ってほしい華があるんですけど……!」
その言葉で覚悟を決めたのだろう少女が、足早に駆け寄ってきて龍華の手を取る。意外な行動に困惑した龍華は少女に引っ張られるがまま、守屋の中へと誘われてしまった。一瞬だけ気配を探るが、害意のある存在は一人としていない。
「売ってほしい華って、どういうやつかな」
門を通り、守屋の中庭で立ち止まった少女に龍華が尋ねる。対する少女は決意を固めつつも緊張した様子で一言、小声で龍華に応えた。
「
少女の小さな声を龍華は静かに聞き、己の鼻で守屋の空気を嗅ぐ。陰湿な気が守屋の中に充満していた、家の構造的にも換気がしにくい。これでは人が病に倒れるのも無理からぬ環境だ。
たとえ小さな風邪すら大病に変わる──華売りが少ない西朝ならではの死因は、東朝で聞いていた噂とあながち間違いでもなかったようだ。
「……お嬢さん。お代は払えるの?」
「それは」
龍華の静かな声に少女の声がしぼむ。圧したつもりはないがしかし、努めて商いとしての台詞に少女の意気が萎むのが龍華にもわかった、わかっていた。
それでも龍華は静かに言葉を紡ぐ。彼女はまだ商いを知らない、それはこの子にとって酷く辛い未来を引き起こしかねない。ならば教えねば、外から来た商い人として。
「いい?華の力を見くびってはいけないわよ。間違った華をお母さんに与えてしまったらどうするの?もしかしたらその華が原因で亡くなるかもしれない。その時に責められるのはあなたじゃない、私よ」
「そ、れは!……」
反論しようとした少女の目を、ただ静かに龍華は見つめる。大人の物言わぬ警句に少女は何も発せなくなり。しかしそれでも意気を奮って抗議の視線を龍華に送ってきた。
彼女の抗議を真っ向から受けとって、龍華は静かに少女の手を取る。少しだけ力を込めて、龍華は少女に言葉を重ねた。
「納得がいかない?……なら、私からお代を要求するわよ」
「!」
龍華が放った言葉に少女の体が固まる。金なんてあるわけない、守屋の内部、その荒れ具合を見て龍華も判り切っている。だがそれでも、涙を浮かべて抗意を示す少女を見て、少しやり過ぎたと自らを省みる龍華。
龍華がやおら手に取った少女の拳をゆっくりとふって、柔和かつ温和に表情を緩めた。そして龍華が対価を求める、商い人として、人として、華売りとして。
「そうね──お母さんの具合を見る代わりに、一宿一飯の契りを結びたいんだけど。誰かに許可をもらってくれる?このままじゃ私、他の村人に祟られちゃうわ」
龍華が求める対価を聞くや否や、少女の硬直がゆっくりと溶けていく。それと同時して顔に笑顔が戻り、自然と少女は大きく肯いていた。
「わかった!お父さんに聞いてみる!ちょっと待ってて、すぐに案内するから!」
そう言って中庭から見える戸口に向かっていく少女の背中を追って、龍華は詰めていた息を安堵と共に吐いた。だがここからが龍華の本分、職位に懸けて、絶対に少女の母君を助けないといけない。
背中から籠を下ろし中の華を検分し、いかなる病にも対応できるよう知識を脳裏で復習しながら少女の帰りを待つ。ちらちらと上の階から視線を感じるが、龍華は黙ったまま無視して少女を待った。
やがて少女がゆっくりと戸口から顔を出して手招きする。親の賛意を得られたのだろう行動に龍華自身も再び安堵しつつ、彼女の家へと急いだ。
部屋に入る。小さな土間に炊事場、奥に大きな畳敷きの一部屋しかないその部屋に女性が眠っていた。やせ細ったその体に気力は感じられず、時折苦しそうに咳を繰り返すだけ。顔色は土気を通り越して紫がかっているうえ、咳に湿気が籠っているのは気のせいではない。
「ふむ」
龍華は手に持っていた籠を置いて少女の母親に近寄った。傍らには心配と不安が織り交ざった視線を龍華に送る父親と、傍に駆け寄ってくる少女だけ。
ならば問題ないと近寄った龍華が、母親の着物を開いて胸元をあらわにしゆっくりと指を二本、鳩尾にあてた。
心臓の鼓動に異変は感じないがその上、肺が
龍華が母親の口内に指を入れ舌を触る。体温はそこまで高くなく、息は苦し気。呼気の湿り気はかなり尋常ならざるもので、下手すればすでに肺に水が溜まっている。龍華が来なければ数日と持たず、肺風邪に負けて命果てていただろう。
(はてさて、
少女が見立てたわけではないだろう、誰か診察した医者がいる。しかも、薮医者か偽の医者だろう、まっとうな見立てではない。
心中複雑な思いながら、その医者の藪度合いを勘案しつつ龍華は母親の息の臭いを嗅いだ。──どこか水っぽいその匂いに確信を得た龍華は背負っていた籠に近寄る。
「お母さん、治る?」
「妻は治りますか?」
異口同音に家族が龍華に尋ねるが、龍華はその声に静かに頷くのみ。
素早く丁寧に籠から小さな編みかごを取り出し、さらにその中から
青い筒状の華と白い可憐な華、そして赤く大きな華弁の華を、籠から取り出した石製のすり鉢に入れて粗く潰す。ある程度だけ華が混ざったところで龍華が父親に視線を向けた。
「水を」
言葉を投げられた父親は不安そうに龍華を見つめて、だが娘だろう少女の視線に負けてやおら立ち上がる。朝汲みだろう冷たい水を土間の瓶から汲みだし、零さぬよう升に入れてきた。
「ありがとうございます」
山の冷気を纏ったその水を少量ずつすり鉢の中に入れて、水を入れるたび数度、再び乳棒でかき混ぜる。ゆっくりと、しかし力を込めてすり物しては水を数滴単位で加え、また繰り返す。
やがてすり鉢の華が微塵もなく混ざり合ったころ、突如としてすり鉢から光があふれた。青く白く赤く輝きを漏らすすり鉢の中身に、思わず父親と少女の目がすり鉢にくぎ付けになる。
発光が収まったところで、中身を零さぬよう母親に近寄った龍華が彼女を抱き起した。完成した華薬を龍華が口に含み、飲み込まぬよう気をつけつつ咳の合間に口づけて飲ませる。
母親が苦しそうながら確かに嚥下したのを確認し、口づけたまま龍華が母親の呼気を嗅ぐ。水気が一気に収まったのを感じ取って、満足そうに目を閉じた龍華が口を離した。
顔いろを見る、龍華が駆けつけた時よりゆっくりと、だが時が進むにつれ目に見えてよくなっていく。
10分もすれば籠った咳も収まっていき、再び口内を触った龍華は低く感じた体温もゆっくりと上がり始めたことを確認した。
口から指を離し汗を拭って離れる龍華。そんな龍華を見て、ついで血色の良くなった母親を見た少女の目に自然と涙が浮かんだ。
「お母さん……お母さん、起きて」
少女がゆっくりと母親に声をかける。嘆願する娘の声が聞こえたのだろう、母親がゆっくりと目を開けた。
まだ濁って生気はない眼だが、それでも少女から見ればましな光を母親が宿していたのだろう。抑えていた感情を少女が涙と共に吐き出していく。
「あ、れ……」
「お母さん!よかった、よかったぁ!!」
少女が母親に抱き着く。本来ならば引きはがしてでも病人の安寧を取るべきだが、龍華は少女の安堵たる慟哭を止める気にはなれない。
その代わり、まだ正気を保っている父親に向きなおりこれからの注意をしておくことにした。おそらく母親は肺が弱い、ならば日ごろから肺腑を鍛えるが寛容だ。
「数日で寛解するでしょう。ただの肺風邪でしょうが、肺煩いは体中の肉を削ぐ。よく食べさせて、少し過分なぐらいに体も動かされた方がいい。贅肉は毒ですが、彼女は必要な肉すら削げ落ちている」
「ありがとうございます……!ありがとうございます!」
龍華の声にようやく実感がわいたのだろう、父親が目に涙を湛えつつ龍華の手を取って頭を下げた。
娘に近寄り、しかし憚らずむせび泣く父親からも妻を慮う愛を感じ、龍華は優しく彼に自らの意見を重ねた。
「おつらかったでしょう。まずはお父様もお休みになってください。──貴方も痩せてしまわれている」
「はい……はい!」
龍華の言葉に、父親はただ頷くことしかできなかった。
その晩には母親はしっかりと会話することができるようになり、久々の夕餉を微笑みながら味わった。
龍華はその後3日、その村にとどまった。母親が寛解したのを見届けて、西朝の都へと足を向ける。
東西朝の戦乱が始まって、5年が過ぎた頃だった。
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