第14話(翠蘭視点)太陽みたいな人

「ああ、佩芳だ」


 笑顔で名乗ると、佩芳は躊躇いなく翠蘭のところへ駆け寄ってきた。こんなに至近距離で佩芳を見るのは初めてで、緊張してしまう。


 茶色がかった柔らかそうな髪、意志の強さが宿った瞳、凛々しい眉。

 真夏の太陽みたいな人だ。


「ここは、お前のような年齢の娘がくるところではないだろう」


 周囲の茂みを見つつ、佩芳は言った。確かに、近くでは逢引が多数行われている。翠蘭のような子供がくる場所ではない。


 もしかして、私のことを心配して声をかけてくれたの?

 喋ったこともない私のことを?


「……わ、私は、その……お姉さまたちが、人に囲まれていて、だから、その……」


 緊張で上手く喋れない。それでも、佩芳は頷きながら話を聞いてくれた。


「賑やかすぎる場は苦手なのか?」

「……はい」


 本当は、ちょっとだけ違う。祭りも賑やかな場所も好きだ。ただ私が、それに釣り合うような人間じゃないだけ。


「なら、牡丹祭りは辛いだろう。両親に連れてこられたか? お前、名前は?」

翠蘭と申します」

「ああ、夏家の三姉妹か」


 佩芳様も、夏家の三姉妹を知ってるんだ。

 私だけ可愛くないってことも、もちろん知ってるんだよね。


 急に恥ずかしくなってきて、翠蘭は俯いた。そんな翠蘭を不思議に思ったのか、佩芳がわざわざ顔を覗き込んでくる。


「具合でも悪くなったか?」

「い、いえっ、その、そうじゃなくて」

「なら、親が恋しくなったか?」

「いえ、それも違います」


 ああ、だめだ。私、佩芳様を困らせてしまってる。


「ごめんなさい、私、もう行きます」


 早口でそう告げ、立ち去ろうとした翠蘭の手を、佩芳がぎゅっと掴んだ。驚いた翠蘭を見つめ、にっこりと笑う。


「ちょうどよかった。俺も少々、この祭りに飽きてきたところでな」

「え?」

「どうだ? 俺と散歩でもしないか?」

「散歩……」

「行くぞ」


 翠蘭の返事を待たず、手を握ったまま佩芳は歩き出した。けれど、翠蘭が転ばないように歩幅に気を遣ってくれている。


 ……優しい人。


 翠蘭に優しくしたところで、佩芳には何の得もないのに。


「なあ、翠蘭」

「は、はいっ」

「祭りはな、楽しいものなんだ。今日は俺が、それをお前に教えてやろう」


 立ち止まった佩芳が、歯を見せてにっこりと笑った。今まで見てきたなによりも眩しい笑顔に、心臓が高鳴る。


 こんな気持ち、私は知らない。





「わっ、こんなところに、猫がたくさん……!」

「ああ。たぶん、侍女が餌でもあげているんだろう。このあたりではよく猫を見かけるぞ」


 宴が開かれている場所を離れ、人気がないところに連れてきてくれた。城内を自由に歩き回ったことなんてないから新鮮だ。


「触ってみるか?」


 近くにいた白猫を軽々と抱え、翠蘭の目の前に差し出してくれた。そっと頭を撫でると、猫が嬉しそうに鳴く。


「可愛い……」

「そうだろう? 俺も、動物は好きでな」


 佩芳の周りには、どんどん猫が集まってくる。動物にまで好かれるなんて、すごい人だ。


 祭りの楽しさを教えてやるなんて言うから、てっきり、牡丹祭りの会場に戻るのかと思った。

 それに、私はともかく、佩芳様がいなくなったら、みんながっかりしてるんじゃないのかな。


 いろいろと考えてしまう翠蘭とはうらはらに、佩芳は楽しそうに猫と戯れている。


「翠蘭」

「はい」

「お前はなにが好きなんだ? 動物か? それとも、美味い飯か?」

「……私は」


 美味しいものも好きだし、猫も好き。眠ることも、のんびりすることも好き。

 でも、一番好きなものは……。


 目を閉じれば、頭の中に鮮やかな服や髪飾りが浮かぶ。どれも、姉たちのためにと両親が買いそろえたものだ。

 貴族の娘にとっては、よい縁談を掴むことが幸せへの道だ。そのためには美しく着飾ることも大切である。


 私が可愛いものを買ってもらえないのは、幼いからじゃない。似合わないからだわ。


「どうした? なんでもいいんだぞ」

「……笑ったりしませんか?」

「笑うわけないだろう。お前が蛆虫が好きだと言っても、俺は尊重するぞ」

「そ、そんなの好きじゃありません!」


 急に大声を出してしまった翠蘭を見て、佩芳がくすっと笑った。その顔を見て、わざと冗談を言ってくれたのだと気づく。


「……私は、可愛いものが好きなんです。髪飾りとか……」

「可愛いもの、か。なら、今日のように着飾る日も好きなんだろう?」

「いえ。私には、似合いませんから」


 私もお姉さまたちみたいに綺麗だったら、楽しかっただろうな。

 ……そういえば佩芳様は、誰に牡丹をあげたんだろう。


 佩芳が誰かに牡丹を渡すところを想像すると胸が痛む。もし姉に牡丹をあげるところを見てしまったら、立ち直れないような気がした。


「俺はそうは思わないぞ」

「え?」

「お前は、十分可愛いと思うが」


 翠蘭の目を真っ直ぐに見つめ、真剣な顔で佩芳は言った。

 だけど、綺麗な佩芳の瞳に映っている私は、相変わらず太っていて可愛くない。


「……嘘はやめてください」

「嘘を言ったつもりはないぞ」


 でも、と翠蘭が言いかけたところで、佩芳様! という声が聞こえた。どうやら、佩芳様がいなくなったことに気づいた役人が探しにきたらしい。


 もっと、佩芳様と話したかったのにな。

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