第8話 進みゆく時

 田舎の駅舎は駐輪場に無駄に多い自転車が止めてあって、それが身の回りに居る人間の数を象徴しているようで気持ち悪かった。

 僕は太陽光から逃げるように屋根の中に入り、切符を買った。すぐに電車は来て、程よく満たされた車内の隙間に僕は座る。冷房がちょうど当たって、心地よい。

 僕のおじいちゃんの家は隣の県の山奥にあった。長旅になるため、僕はイヤホンを耳に付けてまぶたを閉じた。

 次起きた時は、ちょうど降りる駅がアナウンスされていた。もうすでに音楽は止まっていて、一時間近く経過しているのがわかる。乗り換えの時間だ。僕は眠気眼のまま電車から降りた。

 乗り換えの電車で他県に入ると、駅近くでバスに乗り市街から離れる。二十分ほど揺られ、バスから降りた。田畑の広がる道路から熱気のある空気が押し上げてきて、僕の体温を一気にあげた。

 夏の日差しに頭がクラリと揺れる。

 暑い――。

 ショルダーバッグから500mlのペットボトルを取り出し、口につける。もうぬるくなったお茶は、苦い味がした。

 瓦屋根の民家をいくつも通り過ぎると、大きなお屋敷が一つ、山の手前に建っているのが見える。それがおじいちゃんの家。僕は初めてそれを見た時、神社だと勘違いして鐘がないことを疑問に思ったものだ。

 熱のこもった地面を一直線に進み、横からなる坂道を登る。ちょうどその頂点に大きな石造りの門が口を開けていた。中に入る。

 すぐ左手にはコンクリートの駐車場があり、一台のキャンプカーが止められていた。右手は自然の芝生が整えられており、高い木々が煉瓦壁に沿って立っている。

 石造りの道をまっすぐ進み、母屋のガラス戸をスライドさせる。広い玄関で靴を脱ぎ、漆喰の廊下に上がった。

 居間を覗くと誰も居なかった。耳を済ますと、二階からドタバタと音が聞こえてくる。二階に上がろうと階段まで来た時、おじいちゃんが上階から姿を見せた。紅茶色に黒い線が入った和服を着ていた。白髪にいかつい顔は文豪みたいに見える。

「おお、意外と早かったな」

「そう?」

「十時にくるとか言ってなかったか?今は九時半だろ」

「まぁ良いじゃん。それより、スイカある?」

「あるある。ちょっと待っとれ」

 おじいちゃんは階段を降りると居間に入り、続く台所で冷蔵庫を開けた。そこから丸く大きなスイカを取り出すと、包丁でザクッと切り分ける。僕はその様子を食卓に座りながら眺めていた。

「ねぇ、おじいちゃん。魔術ってホントに存在するの?」

 僕は密かに聞きたかったことを言う。

「何だ、俺が小説の設定でも送りつけたと思ってるのか?」

「…ちょっとは思ってる。けど、おじいちゃんが意味ないことをするとも思えないし、一応は信じてるよ。面白いしね」

「そうかっと、ほら、出来たぞ」

 ガチャガチャと棚から皿を取り出すと、おじいちゃんはスイカの切れ端をそこに乗せて僕の前に置いてくれた。

「ありがと」

「魔術ってのは確かにある。それは、文献がどうたらとか、昔の人はこういう術を使ってたとか、魔術はこういう風に解釈され使われていたとかじゃなくて、マジである」

 おじいちゃんは僕の前に座る。

「じゃあ、どうして魔術は使われてないの?」

「単に法則性がややこしいからだ。見つかってないってのもあるし、見つかったとしても理解できない、わからない、潜在的に恐怖を感じる――そういうもんなんだ。UFOの存在が確立されてないのと同じことだ」

「ふぅん…それじゃあおじいちゃんはUFO研究家で、UFOの存在を独自に確立させた人、って感じなの?」

「その例に例えりゃそういうことだ。やっぱ飲み込みが早いよな、賢治は。あの言語だってすぐ解読しちまうし」

「まぁね。でも、言語は簡単だったよ。ちゃんと解説が後ろにあったから。それに、僕は僕の認識がすべて事実だとは思ってないからね。何も断定できる知識なんてないわけだし」

 僕はスイカの種を指で一つづつ取っていく。

「悲観してやがるな。まぁ、お前の認識はあらかた合ってる。見せたいものっていうのは神社だ」

「神社?」

「ああ。裏手の山の中にある神社だ。実はあの山俺の所有物なんだよ」

「え、まじで?」

「ああ。すげーだろ」

「うん。すごい」

「そこに用があるんだ。スイカ食べ終わったら行こうか」


 十二時を過ぎた頃。僕とおじいちゃんは軽装備で山を登っていた。おじいちゃんに関して言えば下駄に和服のままだった。足元は枯れ木と小さな石ばかりで、上下左右に広がる密林は夏の日差しをいくらか和らげてくれる。しかし、道と言える道を僕らは進んでおらず、僕からしたらどこへ向かっているのかもわからなかった。

 もう十五分ほど歩いている。

 先程から、少しだけ頭が痛かった。ちょっと、気持ち悪いかもしれない。

 そう思っている矢先、先頭を歩くおじいちゃんの態勢が少し崩れた。

「大丈夫?やっぱ下駄じゃ山登りは無理だったんじゃないの?」

「大丈夫だ。あと、下駄のことを悪く言うな。それより、もう着くぞ。一応覚悟だけはしておけ」

「覚悟?」

「ああ。魔術を知る覚悟だ」

 僕はおじいちゃんの言葉の意味がわからなかった。

 魔術を知る覚悟って何だ?

 何か奪われたりでもするのだろうか――。

 考えていると、視界が一気に開けた。

「え、気持ちわ――うぇっ」

 僕は急いで口元を抑える。土の上に膝をつく。身体が、猛烈な寒気と震えに襲われていた。

 何だ――。 

 今まで感じたことのない激しい頭痛が頭を席巻した。

「うぅぅ――」

 喉に胃液の匂いがこびりついている。

 何が起きて――。

 顔を上げようとした。けど、首が金縛りにあったように動かない。それでもなんとか顔を上げると、一瞬、紫色の淀んだ空気が見えた。その先に、ボロボロの社が見え――。

「おい!大丈夫か?」

 はっと気がつく。隣におじいちゃんが居た。

「動けるか?」

「…うん」

 僕は深呼吸をしながら後ろに一歩下がった。

 それだけで、ずいぶんと呼吸がしやすくなった。

「何なの…」

「お前は魔力に当てられたんだよ」

「魔力って」

「慣れるしかないな、こればかりは」

「え…」

「ここが秘境の地ってやつだ。本能的に誰も近づかない場所」

「近づいたら、こうなるから?」

 まだ頭が痛い。治りかけの風邪みたいだった。

「ああ。そうだ」

「あの社は何なの?」

「あれは入口だ」

「入口?何の?」

「別の扉へ向かうための入口だ」

 僕はそれを見た。

 だが、あったはずの社はどこにも無かった。

「…消えた?」

「見えなくなっただけだ。もう一度中には入れば見えるようになる――覚悟を持てっていったろ」

 おじいちゃんはそう言うと、足を前に勧めた。

「待って!」

 おじいちゃんが僕の方を見る。

「行くか?」

 彼の瞳は輝いていた。

「扉の先には何があるの?」

 僕の体は未だ震えていた。理屈は理解できても、本能的な恐怖はまだ体を蝕んでいる。

「それは見てからのお楽しみだ。時間がかかってもいいから、意思があるならついてこい」

 おじいちゃんは下駄を鳴らしてその歪な空気の中を平然と歩いていく。その姿は、どうしてかある地点を堺に見えなくなった。

 僕は呆然と座ったままだった。

 頭が痛い。それ以上に、足と腕の筋肉が弛緩して気力が体に無かった。

 呆然とした体で思う。

 きっと僕は、怖い、と思っている。この先に行くのが、怖い。頭ですべてが理解できているのに、行動に移すのが怖い。行動するということは、肉体を使うということだから。論理上は無傷だったり、克服が可能であるとしても、体と心は苦痛を覚えるものだ。

 今ならそれが感覚としてハッキリ分かる。


「ねぇねぇ。君いくつ?十五歳?」


 甲高い女性の声がした。僕はびっくりして後ろを振り向く。その動作もいささかのろまだ。

 すぐ真後ろで背の高い女性が腰を曲げて僕を見下ろしていた。緋色の長い髪が重力に従い落下している。大きい瞳はりんごのように真っ赤で、鼻は童子のように小さかった。小さな口元は激しい紅色を塗りたくってある。

「それで、いくつなの?」

 彼女はにこりと楽しそうに訊いてくる。

「十四、ですけど…」

「まぁ、いい年じゃない。いえーい」

「うわっ」

 女性が身を投げ出すように僕に抱きついてきた。首に腕をまかれる。みかんのような甘酸っぱい香りが漂ってきた。

「な、何するんですか」

 僕は緊張で声が上がっていた。

「そう言わず。もう少しだけこうしていたいな」

「――っ」

 僕は一歩も動けなかった。

 女性の体がより強く僕の体に張り付いてくる。

 何十秒そうしていただろう。遠くからカラン、カラン、と下駄の音が聞こえてきた。

「おい。ルラ、何してやがる」

 おじいちゃんが僕らを覗き込むように立っていた。

「あら、どうかしたの寅次郎」

 女性――もと言いルラと呼ばれたその人は僕の肩に手を置いたまま、ゆっくりと体をそらした。

「いないと思ったら――チっ。そいつは孫だ。お前にやる生贄じゃねーんだよ、この魔女が」

「まぁまぁ、そう言わず。向こうだと生の人間って居ないからさ。私も興奮しちゃうのよ」

「とっとと離れるんだな。お前みたいなババァにこいつも興味もたねーよ」

「まぁ、失礼ね。向こうじゃまだ私、新参者なんですけど。それにあなたよりは断然若いのだけどぉ」

 ルラさんは僕の顔を見ると、にこりと微笑んだままじっと動かなくなった。僕は耐えきれず、視線をそらす。

「ほらね」

「何がほらだ。離れやがれ!」

 おじいちゃんの手がルラさんの腕を掴んだ。そのまま簡単に彼女は僕から離れていった。

「あの、おじいちゃん――」

 おじいちゃんはさっきから頭を抑えている。僕みたいに頭痛がする、というわけではないだろう。

「ん、ああこいつはなぁ」

「寅次郎とは幼馴染なの」

 ルラさんが遮って言った。

「幼馴染って、だって歳が――」

 僕はつばを飲む。心臓が高鳴っていた。彼女の答えによって、それはつまり――。

「ん?年齢の事?ふふん。そうよ、あなたの疑問通り私はなんと歳を取らないのです!だから、生まれた年は近けれど、こんな老いぼれになっていないわけよ」

 ルラさんは自慢げにおじいちゃんを指差した。

「不老不死になる方法があるんですか!」

 僕は勢いよく立ち上がって、ルラさんの肩を揺さぶった。

 今までの疲労が何から何まで吹き飛んだ気分だった。

「うおぉ。積極的だねぇ、何、不老不死になりたいの?」

 ルラさんは面白い物を見る目で僕を見た。

 僕は頷く。 

「いいけどぉ。覚悟は出来てる?」  

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