問い

 ぼくは手洗いとうがいを終えると、階段を使って、二階の自室まで向かった。

 冷房をつけたままにしていたおかげで、部屋は心地よい温度に保たれていた。


 涼しい。


 ぼくは上機嫌に鼻歌を歌いながら、学生服から私服に着替える。

 汗ばんだワイシャツと靴下を洗濯機に入れるため、ぼくはそれらを手に持ったまま、一階に下りた。

 洗面所に向かったぼくは、そばにある洗濯機にワイシャツと靴下を突っ込むと、洗濯機の前で静かに手を合わせた。


 南無。


「おーい、翔?」


 そのとき、リビングのほうから、ぼくを呼ぶ姉の声が聞こえた。


 何事かと、ぼくは早足でリビングに向かう。


 リビングも冷房が効いているおかげで、ぼくの部屋同様、部屋は涼しかった。


 リビングではだらしない格好でソファに座った姉がいて、彼女はソーダー味のアイスキャンディを頬張っていた。

 ぼくが姉の目の前に立つと、姉は「ほれ」と手に持っていたもうひとつのアイスキャンディをこちらに差し出した。

 もちろん、姉が食べているのと同じ、ソーダー味のアイスキャンディだ。


「サンキュー」


 ぼくはアイスキャンディを受け取ると、姉が座るソファに腰を下ろした。

 ぼくらは姉弟仲良く、アイスキャンディを口にする。


 うまいうまい。


「高校は楽しい?」


 先にアイスキャンディを食べ終えた姉は、きちんと姿勢を正すと、大まじめな顔でこちらを見すえた。


 質問の意図が分からなかったため、いぶかしんだぼくは言葉を濁した。


「言葉を濁さないで。……別にね、あたしは怒ってなんかいないし、それに翔を責めようっていうわけでもないのよ。ただ翔が心配なだけ。

 だから答えて、翔。高校は楽しい?」


 姉は本気で、ぼくを心配してくれているようだった。

 ならば、ぼくもまじめに姉の質問に答えなければならない。


 ぼくは残りわずかのアイスキャンディをすべて平らげると、冷たさに顔をしかめながら、姉に言葉を返した。


「高校は楽しいよ。

 だってさ、うちの高校には愉快な教師や生徒が大勢いるから、絶対に飽き飽きしないんだ。

 学校生活は充実しているし、友達やライバルもたくさんいる。

 これ以上の最高な巡り合わせはないっていうほど、高校は楽しさに満ちているよ。青春万歳、だね」


 少しのあいだ、姉はうなっていたが、やがてうなるのをやめると、ぼくにほほ笑んだ。


「翔の返事を聞いて、安心した。

 ひょっとして小暮先生の言うとおり、あんたがガチで不良の道を歩み出したんじゃないかって、姉さん、不意に心配になっちゃった。

 あたしったら、暑さで頭がおかしくなったんじゃないかしら」


 姉は笑顔のまま、拳で額をコツンと叩いてみせる。

 それを見て、しばらくぼくは笑っていた。

 姉はほほ笑みながら、楽しげに笑うぼくを見守っていた。


 そんな姉はポツリとつぶやいた。


「青春、か」


 やがて、姉は何かを思い付いたようにハッとすると、それから宣戦布告とばかり、数秒のあいだ、こちらの顔を指差した。


 突然のことに、ぼくは目を白黒させた。


「それは何さ」


 姉は不敵な笑みを浮かべてから、ぼくの質問に答えた。

 それはとてつもなく、ぼくの胸を躍らせるものだった。


「青春とは何か?

 青春万歳とほざくあんたになら、この問いに答えられるんじゃないの? いえ、答えられるはずよ。そうでしょう、恋愛反対運動、大浦翔くん」

「……恋愛反対運動の名を出したのは大きな間違いだよ、姉さん」


 ぼくはニヤリと笑った。

 けれど、すぐにぼくは笑みを引っ込ませ、「問いのタイムリミットは?」と姉に訊いた。


 すでにタイムリミットを考え付いていたのだろう、姉は素早く答えた。


「あんたの高校の夏休みが終わるまで!

 確かあんたの高校の夏休みって、七月二十四日から八月二十九日までよね。で、あんたはあたしからの問いに答えられず、無様に敗北を認める……ふむ、よきかな」


 一人悦に入る、姉の大浦天音。


 そうはさせるものか。


「ちっちっちっ……この大浦翔、見事問いに答えてみせよう」

「よく言った! それでこそ、あたしの弟だ」


 またぼくの頭をポンポンしてくれるのかと思いきや、姉はぼくにアイスキャンディの棒を手渡し、「これ、宣戦布告の証ね。あたしだと思って、寝るときも大事にしなさい」と自分はさっさとリビングから出て行ってしまう。


 先ほどの盛り上がりはどこへ消えたのか、ぼくは惨めな気分を味わった。


 この気持ちを母に伝えたかったが、どうやら母は買い物でもしているらしく、家にはいない様子だ。


 泣く泣く、ぼくは二人分のゴミをリビングのゴミ箱に捨て、がっくりとソファでうなだれた。

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