恋愛反対運動対策委員会
教室に戻ったぼくを迎えてくれたのは、恋愛反対運動のメンバーではなく――そもそも彼らは教室にいなかった――、なんと勇人だった。
「いやあ、聞きましたよ、翔さん。犬になるため、恋愛反対運動を脱退するんですって?
みんなは翔さんのことをバカにしていますが、おれは違います。
翔さんが犬になるまで、おれはずっと応援していますよ」
「……そんな根も葉もないうわさを広げたのは、一体どこの誰だ?」
ちょうどぼくは教室の引き戸近くにいたため、教室にいる同級生たちの顔を全員眺めることができた。
気のせいか、どの同級生もぼくをバカにしたような笑みを浮かべていた。
「いやいや、うわさではありませんよ。現におれは確かに聞いたんですから、聞き間違えのはずがないですって」
なるほど、それでは――。
「……勇人、お前が犯人なのか?」
ぼくが勇人に訊くと、彼は爽やかな笑みで答えてくれた。
「ふっ……ご名答」
ぼくは怒りのあまり、「ガルル……」とうなった。
勇人はうやうやしく頭を下げてから、「さすがは翔さん。すでに犬ともっとも近い存在になっていますね。いつ犬になるんですか?」と憎たらしげに訊いてくる。
ぼくが勇人に文句を言おうとしたとき、誰かから肩を叩かれた。
後ろを振り返るなり、ぼくはげんなりとした。
なぜなら、この二年一組の風紀委員である女子生徒、
ふだんから詩織さんは鋭い目付きなのだが、今回ほど目付きが鋭いと思ったことはない。
せっかく詩織さんはミディアムストレートヘアで、なんとか女の子らしさをアピールしているというのに、こんな目付きでは誰からも好かれないだろう。
ちなみに言うと、我が恋愛反対運動と風紀委員会は犬猿の仲で、常に何かしら対立していた。
うわさでは、ぼくら恋愛反対運動を駆逐するため、風紀委員会は内部で「恋愛反対運動対策委員会」を発足させた、というのを前に聞いたことがあるが、それが真実なのかどうかは分かりかねた。
それはともかく、今はこの現状を打破しなくてはならないだろう。
「そんなに怖い顔をしてどうしたのさ、詩織さん。なんだか穏やかじゃないね。
女の子なら、もっとかわいく振る舞わないとモテないよ」
ぼくの言葉を聞いた詩織さんはというと、警戒を強めるように口を一文字に結んだのち、腕章のある腕を横に払った。
彼女がつけている「風紀」の文字が書かれた腕章は、さながら圧力をかけるための武器のようなものだった。
「それをあなたが言いますか、恋愛反対運動、序列ナンバーツーの大浦翔」
詩織さんはぼくの序列とフルネームを口にすると、腕を組んだ。
そのとき、ぼくの背後にいた勇人が、ぼくの耳元で「そんな失礼なことを言って、本当に大丈夫なんですか?」とささやいた。
大丈夫かと問われたのなら、大丈夫ではない、とぼくは答えよう。
今までは徹たちがいるから大きな態度に出ることができたが、徹たちに見捨てられた今、どこまでぼくは大きな態度に出ていいのか、正直分かりかねた。
とりあえずいけるところまでは大きな態度に出てみよう、とぼくは方針を固めた。
ぼくは詩織さんに「モテないきみには風紀委員会よりも、恋愛反対運動を強くおすすめするよ。モテないきみにはぴったりの場所だろう?」と恋愛反対運動を勧めた。
すると、詩織さんは腕を組むのをやめ、ぼくをじっとにらみつけてくるではないか。
さすがに言い過ぎたか、とぼくはあわてたが、それは杞憂だった。
「そこまで生意気な口が利けるということは、小暮先生の説教を耐え抜いたというのも、どうやら事実のようですね。
くっ……小暮先生も詰めが甘いですわ」
悔しそうに詩織さんは爪を噛んだ。
まさか、とぼくは恐る恐る詩織さんに訊いてみた。
「……ひょっとして、きみが小暮先生に説教を頼んだのか?」
詩織さんは爪を噛むのをやめると、ぼくをビシッと指差し、「当たり前ですとも、この不良!」とぼくを大声でけなした。
「違いますよ、詩織さん。翔さんは不良ではなく、犬だそうです」
「違う!」
ぼくは後ろを振り返り、でたらめなことを言って場を攪乱しようとする勇人を怒鳴った。
「まあ、どっちでもいいですけど……と・に・か・く!
大浦翔、ショートホームルームが始まるまで、わたくしからの説教を受けるのです。さあ来なさい」
そう詩織さんは言うなり、ぼくの腕をつかんで廊下に連れ出そうとする。
「待て待て、詩織さん。こう見えて、ぼくは恋愛反対運動から追い出された身で――」
「ウソおっしゃい、序列ナンバーツー!
わたくしのことをモテないと侮辱したということは、あなたが恋愛反対運動の一味であるという何よりの証拠です。観念して、わたくしの説教を受けなさい」
「い、嫌だ……やめてくれ!」
ぼくが抵抗すると、詩織さんは両手でぼくの腕をつかみ、全力で廊下に連れ出そうとする。
それを見た勇人は大笑いし、一ミリも助けてくれそうになかった。
ぼくは窮地に陥った。
本日、二度目の万事休す。
そのときだ。
「待て! 学校の恥、風紀委員よ」
詩織さんはピタリと動きを止め、ぼくの腕から手を離すと、呆然と正面を見遣った。
彼らはぼくらの目の前――教室の引き戸近くの廊下に立っていた。
彼らの姿を認めた瞬間、不覚にもぼくは涙を流すところだった。
彼らは恋愛反対運動のメンバーであり、それはつまり、ぼくの仲間でもあった。
仲間の名は――徹、環奈、茜。
彼らはぼくの仲間であると同時に、大切な親友だった。
「恋愛反対運動代表、灰原徹……!」
徹から「学校の恥」と呼ばれた詩織さんは、徐々に顔を真っ赤にさせ、ついには怒り狂った。
「今の発言、すぐに取り消してください。これは我が風紀委員会を汚す発言です。
すぐにでも取り――取り消せ!」
この詩織さんの怒声に対し、教室の同級生たちはあらゆる行為をやめて、ぼくらを好奇のまなざしで眺め始める。
そんな何十人もの好奇のまなざしを独り占めするとばかり、茜が口を開いた。
「ねえ、詩織ちゃん。徹くんの言葉が気に障ったのなら、わたしが謝るよ。酷いことを言って、ごめんね。
だけど、詩織ちゃんも翔くんのことを不良って言ったよね。
これは徹くんの受け売りだけど……わたしたちは今という青春を活用するため、恋愛反対運動を行っているの。
だからね、好き放題に遊んで迷惑をかける不良とは、まるで訳が違うでしょう?
詩織ちゃんから不良と言われる『スジ肉』は、まるでないと思うけどな」
「……惜しいわね、茜。それを言うなら、『スジ肉』ではなくて『筋合い』よ」
茜の横で、環奈が訂正する。
だが、敵は手強かった。
「ええ、それで? だからなんだというのです。
それよりも、風紀委員会をバカにした罪は重いですよ。それを分かっているのですか?」
そのとき、不穏な表情の環奈が一歩前に出たので、詩織さんは本能のためか、身体をビクリとさせ、一歩後ろに下がった。
なるほど、味方は頼もしい。
「あのね、それは茜が謝ったでしょう?
それ以上、あなたは何を望むのよ、この分からず屋!」
茜が謝罪したという事実は、絶対に譲れない――そのような気迫が、環奈からヒシヒシと伝わってきた。
形勢が不利であると察したのか、急に詩織さんは威勢をなくし、おろおろとし出した。
しかしすぐに彼女は威勢を取り戻し、このクラスの男子代表である風紀委員、
亜門は廊下側の席にいた。
彼はメガネのフレームを指で押し上げると、凛々しそうに椅子から立ち上がった。
「今さら動くのか、あのバカめ」
徹は不快そうに顔をしかめる。
手塚亜門――彼は自分に与えられた仕事を、淡々とこなすことで有名な男子生徒だ。
だというのに、亜門は教室から出ることをしなかった。
それどころか、亜門は渦中にある現場へと向かい、しゃくに障るような笑みでぼくらを見ていた。
すっきりとした小顔で、賢そうな四角形型フレームのメガネをかけた亜門を見るたび、数年後、彼は名門の大学を卒業するのだろうと、いつもぼくは想像してしまう。
それはこのときも同様で、そのようにぼくは想像してしまった。
「……亜門くん。ここは職員室ではないわよ。
さっさと小暮先生を呼びに行って。さあ早く!」
再び詩織さんは亜門に指示を出すが、亜門は動かない。
亜門はメガネのフレームを指で押し上げたのち、ぼくら――恋愛反対運動に向かって、上機嫌に話し出した。
「さすがはARCの方々だ。
我が風紀委員会の秘密兵器、月山詩織を倒すとは……やりますね。
どうやら、あなた方は固い絆をお持ちのようだ。
正直言って、ぼくは感心しましたよ。ええ、あっぱれです」
亜門の隣で、詩織さんは「神に誓って、わたくしは倒されてなんかいません」と声を荒らげていたが、それも亜門の拍手で打ち消された。
「……しかるに、亜門。お前はおれたちをたたえるため、この場に来たのか?」
そんなことは不快だと言わんばかり、徹は亜門をにらみつける。
だがしかし、亜門は臆さない。
それどころか、亜門は徹のにらみに対し、拍手を強めて喜んだ。
あきれたように徹がため息をつくと、亜門は拍手をやめた。
「まさか、とんでもない!
ぼくたち、風紀委員会……いえ、今こそぼくたちの正体を明かすときですね。
ぼくたち、恋愛反対運動対策委員会は、いつでもあなた方を見下していますよ。どころか、いつでもバカにしています。
ですがね、あなた方の絆はなかなか侮れないものだと、たったいま分かりました。
なので、これからのぼくたちはあなた方を全力で潰します。
――ARC代表、よろしいですね?」
「異存はない。むしろ歓迎する」
亜門の宣戦布告に対し、徹は動じなかった。
それどころか、徹は歓迎という言葉を使い、宣戦布告を受け入れた。
「風紀委員会の最終兵器、恋愛反対運動対策委員長のぼくが動くということは、あなた方ARCの終わりを意味しますが……それを受け入れるとは、あなたもなかなかの人だ」
亜門はほほ笑むと、徹に握手を求めた。
ちょうどそのとき、ショートホームルームのチャイムが鳴り響く。
チャイムの鳴り響く中、ライバル同士の握手が交わされるのだと、ぼくらは固唾を呑んで見守っていた。
けれど、それはかなわなかった。
「……あなたたち、ショートホームルームが始まるというのに、一体何をしているの?」
聞き覚えのある女性の声に、ぼくらは教壇を見た。
いつ教室に入ってきたのか、小暮先生は教壇に立ち、怒りの表情でぼくらを眺めていた。
先ほど大量の汗をかいたためか、小暮先生はブラウスとスカートスーツを脱ぎ、代わりにジャージ姿だった。
「非行はいけませんね。早く席に座りなさい。
繰り返します、早く席に――座れ!」
小暮先生の怒声で、ぼくらは散り散りとなる。
幸いにも、ぼくの席は廊下側最後列の席だったので、戻るのがすぐだった。
自分の席に戻ったぼくは隣を見て、おや、と首をかしげた。
そこにはなんと、きのうまではなかった空席の机と椅子があった。
元々、ぼくが座る最後列の席には、ぼく以外誰もいなく、寂しくはあるものの、それでも快適な席だった。
それをぼくは気に入っていたが、どうやらそれもきょうまでらしい。
単に置いただけなのか、それとも今はまだいない転入生のために置いたのか。
どちらにせよ、こればかりは仕方がない。
ショートホームルームが始まる間際、ぼくは窓際に座る遙香さんをちらりと見た。
小暮先生の言動が面白かったのか、彼女は微笑を浮かべていて、それになんだか楽しそうだった。
好きな人の微笑を見たぼくは思わず頬が緩み、幸せな気分のまま、ショートホームルームを終えた。
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