第40話


食事を終えて、しばらくして椿は成孝の執務室に向かった。

ノックをするとすぐに許可されて室内に入った。


「失礼いたします」


 椿が執務室に入ると、成孝は自分の机ではなくソファーセットに座って地図を広げていた。


「椿、こんな時間にどうしたのだ?」


 椿は成孝に書類を手渡した。


「こちらの書類をお渡しするのを失念しておりました」


「ああ、椿に説明を任せた分か……わざわざすまないな」


 椿は、成孝の執務机の上に書類を置くと、ソファーセットのテーブルの上に開いている地図を見た。


「成孝様、それは帝都の地図ですか?」


「ああ。今後のためにも拠点を増やしたいと思っている。この辺りはここから馬で半刻と理想的だが……キナ臭い」


 成孝が指を差したのは、帝都の南だった。


 ――帝都の南にあの方の建てた工場がある。


(帝都の南……馬で半刻……)


 椿が五条の放った刺客から聞き出したことを思い出していると、成孝がソファーから立ち上がり椿の前に歩いて来た。


「椿、触れてもいいか?」


 椿は顔を上げて成孝と視線を合わせると、コクリと頷くことで返事をした。

 成孝は椿を腕の中に抱き寄せた。


「椿……もう私は……お前を離せない……」


「え?」


 椿は驚いて成孝を見た。

 見上げると成孝はとても切なそうな顔をしていた。


「元々椿は、今回の山中村の仕事のために来て貰ったと言っただろう?」


「はい」


 成孝は震えるように椿を抱き寄せたまま言った。


「初めてだ。仕事を終わらせたくないと、このままこの仕事を引き延ばそうかと思った。自分の中にこんなにも執着する感情があったのかと、怖くなる」


 そして成孝は、少しだけ椿から身体を離すと、椿を真正面から見ながら言った。


「今後、西条と仕事をすることも多くなる。今までよりもっと危険に晒すこともなるかもしれない。それでも……私は椿を手放せない」


 成孝の真剣な瞳吸い込まれそうになり、椿は成孝から目を離せない。


「私と祝言をあげてほしい。生涯……側にいてほしいのだ……」


――祝言を上げたのでしょう? おめでとう!!

――ありがとう。


 その時だ。椿はアキノは少し照れたように笑った顔を思い出した。

 とても幸せそうに笑うアキノを見て心底嬉しくなったと同時に、自分にはこんな幸せは訪れないだろうともあきらめていた……それなのに……



「成孝様……私の手は……たくさんの者の血で汚れています。成孝様はもっと……」


 椿が泣きそうな顔で成孝から視線を逸らしながら言うと、成孝が椿の頬に手を触れた。


「椿、お前は確かに過去に多くの者の命を奪ったのかもしれない。だが、それと同時に多くの者の命を救った」


 椿の心にこれまで、これほど刺さる言葉もなかった。

 幼い頃から剣術、武術をするのが当たり前。

 暗殺も依頼が来ればこなすのが当たり前。

 そんな世界で育った。

 感情を殺して、鈍感にならなければ悲しみで動けなくなりそうだった。


――誰かを救う?


 奪うばかりの人生だと思っていた。

 それが帝都に来て、成孝と出会って、美しい服を着て書類を仕事をして、宗介たちを助け……感謝される日々が訪れた。


(こんな私が幸せになってもいいの……?)


 椿の目に涙が溜まる。

 そんな椿を、成孝が見つめる。


「初めてなのだ……全てを受け入れたいと、私の全てを受け入れてほしいと、これほどまでに狂おしいほど誰かを求めたのは……」


 そして成孝の顔が近づいて来た。


「頷いてくれ、頼む、椿」


 椿は微笑むとゆっくりと口を開いた。


「不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 すると成孝が破顔した。


「ああ、もちろんだ!! もちろんだ、椿!!」


 そして成孝は椿を抱きしめたのだった。





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