29.悪夢
声を荒げて助けを呼ぶのは ある感情が 私を一瞬だけでも安心させ
そうして 虚ろいだ目に光を灯した その一時
私が誰をも偽ることになるとは 私も知らずに居た筈で
傍から見れば 偽善者と呼ばれたその役所に いつの間にか
嵌り切っていた私が荒げた声は 劇場に響き渡った 過去
客席で それは後ろの席で観ていた娘の誕生 その喜びを いつか
チャイコフスキー作曲 「白鳥の湖」
その主役のバレリーナと共に歌い踊った夜
何度もワイングラスを赤で満たしたのに
私の目から流れる青が 混ざることのない色の上を滑ってゆく
震えの止まらぬこの手が 顔を覆い尽くし 私は悲しみの仮面を被った
ウェバー脚本 「オペラ座の怪人」
シャンデリアが揺れ ファントムが連れ去ったのは プリマドンナ
それは私の娘であり 失ってはならない愛であった
手を伸ばし二つの影を掴むことも 立ち上がって追うこともできない
無力な私は何もできないのだと 私は台本を破り捨てることすらできはしない・・・
今 幕は上がり 舞台の上に音が踏み鳴らされる
その音を照らすように 湖に木洩れ日が射し それらを包むように 深い霧が立ち籠めた
湖畔に佇んだままの私を一人残し 又 白鳥も水面に波紋を残しつつ飛び去った
嗚呼 行方の知れない血の痕が私の両手を染めているというのに
何故 私はいつかのように声を荒げて助けを呼ばないのだろうか
ただ 運命を受け入れようにもどうしようもない時間の経過が
この 暗闇に居る私の目の中に灯る光を又消したりもするのだろう
パリの街を駆け抜ける台詞たち 雑踏に紛れて結末へと向かう
それぞれの愛を確かめる為に 偽りの時間を埋める為に互いに触れ合えば
悔やむばかりで変えることの出来ない現実の只中で
自ずと希望の光を求め いつか我らの手中にと願うのだ
月明かりではなく 街灯の橙でもない 二人だけのそれをいつも探している
最後 青白い炎に焼かれながらも繋がれた手は 途切れることのない愛を明していた
恭しくお辞儀をすれば 自然と仮面が剥がれると信じて疑いはしなかった私を余所に
客席から盛大な拍手が送られる それは 私を哀れむ虚空の舞台に響き渡った――
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