#7 十二進法の夕景
はー、食った食った。美味かった。
ふぅ、と息をついて、俺は食堂を後にしようとした……ところ。
「待ってくださいまし」
朔月が俺に話しかける。
「なんだ?」
「その紙、借りてもよろしくて?」
俺の作品、もとい詩を書いた紙を指さして、彼女は言った。
「あー、うん。というかいらないからあげるけど」
「もっと自分の作品を大事にしてくださいまし。ともかく、少しやりたいことがありますの」
告げるが早いか、テーブルの上。どこからか取り出した万年筆を、彼女は紙に走らせた。
「あくまで下書き用で悪いですけれど、許してくださいませ」
下書き? とんでもない。
彼女の走らせた一本線は、瞬く間に形を成して――あっという間に、一つの絵になった。
一言で表すならば、夕景。
煌々と沈みゆく太陽。静寂の彼方に少女が佇んでいる。こっちを見ている。ただ、なにも言わずに。肯定も否定もせずに、振り向いてこっちを見る。
色はなく、ただの線だけで描かれた色彩に、俺は目を見開いた。
「すっ……げー……」
「ただの落書きでも、そう言ってもらえるとありがたいですの」
「これが!?」
落書きだなんてとても信じられなかった。それほどまでに、素晴らしい絵だ、と俺の感受性は叫んでいた。
どこか誇らしげな朔月に、俺は目をそらした。
どこか、むず痒さを感じて。
「お姉さまのそれには確かに敵いませんし、そこまで『良い』詩だとも思えませんけれども」
朔月の言い出した言葉に、俺は静かに顔を上げた。
「なんだかんだ、あなたの詩……好き、ですわよ」
「お世辞でも嬉しいよ」
「だから、その態度はやめてくださいまし」
朔月は、まっすぐに俺を見つめていた。
「目を逸らさず、まっすぐに己を、己の作品に与えられた評価を見てくださいまし。過ぎた謙遜は、かえって無礼ですわよ」
目が覚めたような気がした。
……彼女は、お世辞でもなんでもなく、最初から俺を評価してくれていたんだ。
『奉景』のものには敵わない。だから俺の作品には価値がない。
思えば、そんな訳はないじゃないか。
「お姉さまのものの完成度は凄まじいですし、あなたの作品は稚拙で文法もなっていませんわ。けれど、芸術なんてそもそも比べるものでもないでしょう?」
そう。芸術に貴賎などないのだ。
文章の巧拙も、文法すら、文芸という芸術を形作る要素の一つに過ぎない。
「わたしには、あなたの作品が『刺さり』ましたの。だから、それは誇るべきですわ」
「……」
「だから、そんな作品をゴミ呼ばわりしないでくださいまし。そんなことをされたら、それを気に入ったわたし自身のことも否定することになってしまいますので」
まっすぐに俺を見つめて告げられた言葉に、俺は。
「……すまん、ありがと」
内心息が詰まりそうになりながら答えた。
「なにを謝ってますの? 当然のことを言ったまでですわ!」
「いや、『俺』にはないプロ意識で感服したよ」
微笑んだ俺に、彼女は微笑を返した。
「それが、乙女の嗜みですの」
「ほう、良い姉妹じゃないですか」
朔月の後ろから、ひょっこりと見知らぬ白髮の美青年が顔を出した。
「誰っ!?」
俺の驚いた声に、朔月は大きなため息を吐いた。
「カトル。そう茶化すのもいい加減にしてくださいまし」
「もともと実の姉妹同様に仲の良い二人じゃあありませんか」
ニッコリした顔の、そのカトルとかいう男。底知れぬ笑顔にぞくりとした俺を見て、彼は。
「それともなんですか? まさか彼女が別人にでも――」
そう言いだしたので、俺は「早い早い! 待って! 話をしようじゃないかカトルくん!」と彼の背中を押しながら足早に食堂から出た。
――別室にて。
「まさか邪推が正しいとは……」
「うん。俺、別人に入れ替わっちまったよ」
「そんな軽々しく言うことじゃありませんよね!?」
すべてを話してしまった俺に対して、素で驚いているらしいカトルという西洋人の青年。
「こんなに驚いているカトルは初めてですわ」
……全て見透かされたと思って口走っちゃったけど、早計だった。あー、失敗。
俺はため息をついて、しかしそれはそれ、これはこれと頭を切り替えた。
「で、このカトルって誰だ?」
「クソ商人ですわ」
「理解」
「このカトルが、朔月と取引していた商人だと」
「見習いですけれどね。わたしの取引相手はこいつの父親――商会長ですわ」
「いつも、父親がお世話になっております。あと、先程は部下が失礼しました」
なるほど、お偉いさんのせがれですか。俺の紙を買い取ろうとした無礼な商人は彼の下っ端だったと。
「へえ、で。なんで俺達に話しかけた?」
「いやぁ、仲の睦まじい義姉妹だなぁって」
「それだけじゃないだろ? ……てか今更だけど朔月と
「ええ、よく理解りましたね。――単刀直入に言いましょう。『奉景』さん」
おいおい、最後の疑問はスルーかよ。まあいいけど。
青年は、無駄に美麗なその口端を胡散臭く歪めて、告げた。
「手を組みませんか? ここにいる、三人で」
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