TS転生廃妃さんが文芸無双で皇帝様を射抜くまで。
沼米 さくら
#1 終末のコンフィデンスソング
何か重いものが落ちる音が聞こえた。それが自分の身体だと気付いたのは、数秒経ってからのことだ。
朦朧とする頭。しばらく冷たい床に体を横たえる。
怠い。怠くて、息苦しい。
緩慢に動かした腕。視界に映したそれは、あまりにも細かった。
「あれ……俺、は……?」
出した小さな声は、儚い印象を抱かせる柔らかい――少女の声で。
もしかしたら、いや、そんなことがあってたまるか。けど、そうとしか思えない。
巡らせる思考。ゆっくりと起こした体。陽光が目に突き刺さる。
何もない部屋。赤い木製の柱と漆喰の壁。中華風を思わせる色遣いの建築。
設けられたガラスのない窓の先、鬱蒼と茂った蔦の林。手入れされていないことが分かるが、それ以前に。
さっきまで見ていた景色――都心、ビル街、踏切待ち――とは、まったく違っていた。
そして、俺は起き上がり。
上を見た。真上を見た。
俺は目を見開いた。
天井の梁から下がる、蔦で編まれた縄。途中で二股に分かれたそれの先は裂かれており――はじめは、それが繋がって、輪を形成していたのだろう。
そういえば、俺、踏切待ちで――早く次の仕事に行くために、下がった遮断桿をくぐったんだっけ。それで、渡り切った記憶は――残念ながらないことに、いま気づく。
これの意味するところは、つまり――。
「死んで……異世界に……」
くう、とおなかが鳴った。
「……それよりも腹減った! なんか食わねぇとな!」
明るい声で俺は無理やり自分を奮い立たせる。腹が減っては何もできねぇからな!
左前の装束、ひらひら足にまとわりつく分厚いロングスカートを「邪魔っ!」と脱ぎ捨て、ついでとばかりに上着もばっと脱ぎ。
そうして俺は下着姿で窓の外に出る。鬱蒼と茂った林の中、食べられそうな果実を探す。
『ねぇ、あんた……』
一心不乱に探したおかげか、悪いことは次第に頭の中から消えていく。やっぱりやなことを忘れるには無心にすることだ。
『ちょ、ちょっと』
そのうち、ツタの間になんか赤くて小さな実を見つけた。よし、食おう。
「いっただきまー……」
としたところで、唐突に脳内に声が響いた。
『ちょっと待ちなさいよ!』
「!?!?!?」
驚愕にぽんと手を滑らし。
「何をするんだよ! 誰かしらんけど急に声かけんでくれ――」
『いやそれ毒だからね!?』
「は? 何を言って――」
ツッコミを入れられて初めて、床に落っこちたその果実をよく見る。真っ赤でちいさくて黒い斑点がポツポツついていて。
「あー……たしかにめっちゃ毒ありそうに見えるわ」
『でしょ……って、なんでまだ食べようとしてるのよ』
「なんでバレた? っていうかあんたそもそも誰?」
『すごく急に聞くわね……』
呆れたようなその声。大人びた女性のようなその声は、こう名乗る。
『私は転生システムよ。突然だけど……』
「オッケ、シス子ちゃん」
『ものすごく馴れ馴れしいわね!?』
あんたも相当だけどね。
その馴れ馴れしい転生システムとやらは、(もちろん声だけで)ため息をつきながら俺に告げた。
『突然だけど、あんたにはこの国の皇帝を落としてもらうわ』
「は?」
落とすって?
「誰を?」
『……皇帝を』
「どこに?」
『恋に』
「……なんで?」
『転生ポイントを稼ぐためよ』
そんなことも知らないの? とばかりに呆れたように言った彼女。知らないよ!
「はー……ムリムリ。俺に恋なんてわからねーって」
ため息をついた俺。それを見かねたように、彼女は告げる。
『五千ポイント集めれば元の世界に帰れるけど』
「やります」
即答する俺。少しの間が開いて。
『ずいぶんと安請け合いじゃない。そんなにこの体がイヤ?』
そう聞いてくる転生システム――以後、彼女を親愛と友情と呼びやすさの面からシス子と呼ぶことにする――シス子に「別にどうでもいいけど」と前置きをして。
「ただ……」
『なによ』
「……これから、仕事があったから。それだけ」
そう笑ってごまかして。
『そんなに重要な仕事あった?』
「ないけど」
バツが悪くなって、そっぽ向いて――「そうだ!」唐突に叫んだ。
「皇帝、探しに行こうぜ!」
『ちょ、あんたいったい何を――』
俺は着の身着のまま、ツタの林をかき分けはじめた。
「とりまこのボーボーの草の先になんかあるかもしれねぇ」
『ないわよたぶん! カブトムシじゃあるまいし! というかあんたいまの恰好、女性として相当恥ずかし――』
シス子と軽口叩きあっている間に、あっという間にツタを抜けた。
『早ッ』
「効率的なツタのかき分け方くらい、庭師のバイトやってりゃすぐ身につくさ」
『え、そういうもんなの?』
実際誰でも見につくかは微妙だけど。
ツタを抜けた先。たぶんこの建物の裏庭であろう場所。
中に垣根でも入っていた……というかたぶん垣根にツタが絡んで、手も加えられずに成長した結果、うっそうと茂って林のようになったということなのだろう。
抜けた先は、こぎれいに整備された庭園になっていて。
白い玉砂利の海に再現された波、その中に曲がりくねった石畳の道。広々とした空間の、まさに壁の中から俺は現れたような形で。
その道の上に、彼は立っていた。
目を丸くして、俺という異物を凝視していた。
土や草で汚れた白装束の下着から胸をはだけさせて、植物の棘や果実の汁で汚した白肌を露出させた、黒髪黒目の少女である俺を。
豪奢で汚れの一つもない衣装を身に纏った、端正な顔立ちの、金髪赤目の美青年が。
彼と俺は互いに見合って。
「えっと、皇帝ってどこっすかぁ?」
ヘラっと笑って告げると、彼はこう答えた。
「ここにおるが」
「え?」
察しの悪い俺ではない。目の前の、キョトンとした顔の、金髪のイケメンが――。
ついでに、後ろに控えていた、いかにも従者らしいモブ顔の男が笑って告げる。
「まだ生きてらしたんですね、廃妃その一」
「あ……と、えと……俺のこと?」
「ほかに誰がいるというんです? あ、汚い身体をした溝鼠(どぶねずみ)風情には名前など不要と。立派な心掛けですね、廃妃らしく」
「吉里谷(キリヤ)」
従者の男をとがめる、金髪の青年。
え、なになに。ハイヒってなに。ていうか、もしかしてもしかしなくても――その金髪赤目のその青年こそが。
戸惑う俺に、その青年は俺を睨みつけて。
「……その汚らしい風貌に、舐めた口調。我が星月国第三代皇帝、太陽(タイヤン)であると知っての愚行か、この痴れ者め!」
呆れ半分で怒鳴る皇帝。あっけにとられた俺。
気まずい空気。残響。俺は心の中で、半泣きになりながら呟いた。
――これ、詰んだわ。
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