笑ってはいけない悪役令嬢

三川コタ

序章

 太陽が昇りきる前の雲一つない青空の下、少女は小さな手に銀貨数枚を握りしめて駆けていた。

「待って。速いよ。待って。」

 息を切らした少年が後ろから懇願したが、少女は石畳模様の路を蹴る足を止めない。

 好天に恵まれた今日は、一年間の実りを感謝し祝う収穫祭である。

 人々は夕刻から始まるパレードや櫓で燃やす麦わら人形の用意に勤しんでいて、まだ外を行き交う人影はまばらだ。

 家々の玄関や商店の軒先には、花や穀物、野菜が飾り付けられ、色とりどりの三角旗が建物から建物へと連なっていた。街の中央にある噴水広場では、収穫物の出店や軽食などの露店の準備が進められている。

 例年より豊作で喜びに満ちた街の雰囲気に、噴水広場へと続く路を走る少女は胸を躍らせていた。

「急がないと、午後はたくさん人が来ちゃうよ。」

 腰まである銀色の髪をなびかせ、少女は少年を振り返って言った。

「イコリス。待って。一緒にっ。」

 陽の光を浴びた麦穂のような短い金髪を揺らして、少年は少女に手を伸ばした。

 

 派手な髪色を持つ二人は市井の子供では無い。

 金色の髪は、シーコック国王族オウラ家の証である。

 その王族オウラ家を代々支える宰相プラントリーは銀髪であり、全てのシーコック国民は二人が王太子と宰相の娘だと承知していた。

 

 イコリス・プラントリーは、金髪の少年ファウスト・オウラ7世のところまで引き返し、彼女へ伸ばされた手を取った。

「揚げたて芋菓子と捥ぎりたてみかん氷は絶対食べよっ。」

 イコリスはそう言ってファウストを鼓舞すると、噴水広場へ続く路を手を引いて再び走りだした。

 

 イコリスが持っている銀貨は、宰相補佐を務める父の弟であるイコリスの叔父から貰ったおこづかいだった。

 本来なら、貴族達は丘の上の城壁から街の収穫祭の催しを眺め、王族は更に後方の塔より、噴水広場を見下ろすことになっている。

 イコリスとファウストは6歳なので、来年からは本格的に民を率いる為政者としての勉強が始まってゆく。王侯貴族として生まれた以上、二人は年齢を重ねるごとに街へ降りるのは困難になるのだ。

 父より十歳若い叔父は、ほどなく窮屈になっていく姪を慮り、朝からそわそわしているイコリスに銀貨を与えた。

 イコリスは叔父に満面の笑みでお礼を言うと、幼なじみの王太子ファウストを誘った。すると王太子の側近達は、午後一時に戻ることを条件にして快く送り出してくれたのだった。

 この国はとても治安が良く、そして王族・貴族ともに国民から慕われている。とはいえ、王太子と宰相の子が人混みに揉まれる訳にはいかない。

 収穫祭は夜が近づくにつれたくさん人が集まり、飲酒した大人も数多くなるが、昼前は市井の子供達も殆どは家の手伝い等があり、混雑せず安全な時間帯だ。

 二人が開店直後の露店で買い物をし終えて帰ってくると、調度午後一時位になると側近達は想定したのだ。


 こうした経緯で、イコリスとファウストは王太子専用の馬車で噴水広場へ続く街道の入口に送り届けられた。

 馬車を飛び出した二人の後から、御者を除く数名の従者が護衛として付いて行く。

 幼い二人の駆け足に、従者達は周囲に目を配りながら追随していた。

 

 噴水広場へたどり着き肩で息をするイコリスとファウストは、露店から漂う香ばしい匂いを胸いっぱい吸い込んだ。

 もう既に露店は半数程が開店しており、鉄板で焼かれる肉やとうもろこしの匂いが先んじて二人の鼻腔を刺激する。

「焼きもろこし食べよっ。」

「え?芋菓子じゃなかった?」

 食べたら無くなる物以外の思い出の品が欲しかったファウストは、イコリスの魅力的な提案をいなそうとした。

「そうだけど、焼きもろこし食べたくなった。」

「とうもろこしは歯にはさまるよっ。あ、あっちお芋揚げてる。」

 銀貨を握っているのはイコリスだ。

 とりあえず当初の予定の芋菓子でお腹を満たさせようと、ファウストはイコリスの手を引っ張って誘導しようとした。

「ええー。焼きもろこしー。」

 貴族の令嬢にあるまじき踏ん張りで、抵抗するイコリス。


 あどけないやり取りを目にした広場の民や従者達は、二人を微笑ましく見守っていた。

 彼らの髪の色は茶色である。もちろん個人差はある。薄い茶色から濃い茶色、黒っぽいまたは黄色気味の茶色等、様々在るが、王侯貴族との髪色とは隔絶していた。

 銀髪のイコリスと金髪のファウストは、平民との違いが髪色で一目瞭然だった。

 王侯貴族の子らが無邪気に街で遊べる時間は短い事を知っている彼らは、この収穫祭を楽しんで欲しいと思わずにいられない。

 

 イコリスを引きずって芋菓子の店の前まで来ると、ファウストは手際よく芋菓子を注文した。

 薄く塩を降った熱々の揚げたて芋をイコリスの口に入れてあげると、機嫌はすぐ治り笑顔で噛みしめ味わっていた。

 猫舌のファウストはすぐには食べられず苦心していると、三軒先に捥ぎりたてみかん氷の店をみつけたイコリスがすかさず店に張り付き、並んだ凍ったみかんを吟味し始めた。


 イコリスとファウストに買って貰えなかった焼きもろこしの店主は、通りがかった知り合いのバイオリン奏者を呼び止めた。

 街の楽団が演奏をするのは夕刻からだが、二人の為に一曲弾いてくれないかと声をかけたのだ。

 快諾したバイオリン奏者は噴水に近づくと二人がいる方へ向き舞踊曲ラタタを弾いた。本来はギターや笛、太鼓などと奏でるが、バイオリンだけでも高揚感を溢れさせるには十分だった。


 イコリスは手に持った芋菓子とみかん氷を従者に預けると、ファウストの両手を掴んでバイオリン奏者の前でぐるぐると回り始めた。

 貴族の大人たちは社交としてのダンスを、ゆったりとした古典音楽で相手の肩と腰に手を廻して優雅に踊るが、収穫を祝う平民の曲は陽気で力強く律動も速いので、彼女は貴族としての作法を完全に無視した。

 ファウストも自分が王太子であることを忘れ、無秩序に跳ねながらイコリスと回転する。


 通りがかった民や周囲の店員達、そして従者は曲に合わせて手拍子を始めた。

 旋律が盛り上がり手拍子も速くなると、回りすぎた二人は遠心力で両手が離れ、お尻から転んでしまった。

 一瞬、人々に戸惑いが生じたが、心配を打ち消すようにイコリスとファウストは笑顔をはじけさせた。

 その時、一陣の風が吹いた。

 上空に張り巡らされた三角の連続旗がひらひらとはためき、括り目に結びつけられた網目の粗い篭に入った数多の三角の色紙が、二人を祝福するかのように頭上から舞い散った。


(あれ?この光景・・・。)

 イコリスは気づいた。


 陽だまりを映した金色のファウストの髪。

 前髪は目にかからない位の長さで、両眉の上から眉間に向かって降りている。

 七三分けでも六四分けでもない。あえていうなら三・三・三分けだ。左右から眉間に降りた前髪は、鼻の付け根を終点とした三角形を成していた。

 噴水広場を舞い落ちる、色とりどりの三角の色紙、そして青い空にはためく連続三角旗と呼応するように、ファウストの三角の前髪がペラペラとめくれていた。

「ぷーっ。」

 堪えきれずイコリスは噴き出した。

「ぷひゃっ。はあははっあははっ。三角旗と、紙吹雪と同じっ。前髪がさんかくっ。三角がぺらぺらしてる。」

 イコリスに笑われたファウストは、ひどく動揺した。

 自身でも気にしている、いつも霧吹きで濡らして櫛で真っ直ぐ下へ梳いても眉間に集まってしまう前髪を、笑われたからだ。


「あはっ。あははっ。ははっ。」

 お尻をついたまま笑い転げる彼女に反論も出来ずファウストが瞳を潤ませた瞬間、

『ドカッバキッバンッ』

 後ろから激しい破壊音が響いた。

「フー・・フー・・」

 足元の真っ二つに割れたバイオリンを見下ろしながら、バイオリン奏者が息を乱していた。

 手には折られた弓が握られている。バイオリンは高級品だ。安くても金貨十枚はくだらないだろう大切な楽器を、自分で壊したらしい。

 バイオリン奏者の明らかに異様な姿に、イコリスとファウストは凍り付いた。


『ダンッ』

 膝の皿が割れそうな位、勢いよくバイオリン奏者は膝をついた。そしてそのまま両手を地面につけると叫んだ。

「申し訳ありませんっ。」

 二人はきょとんとして奏者の次の言葉を待った。

 三十歳は過ぎた大人の男が嗚咽を上げて謝罪する。

「私がっ平民の曲っラタタをっ弾いたばかりにっ・・グスっ・・。お召し物を土で汚してしまいました・・グス・・。許してくださいっ。」


「・・・いや、これ普段着だし、こんな汚れ、手で払えば問題ないよ。」

 ファウストが驚きつつも王族の子らしく声をかけると、

「そうよっ。あんたのせいよっ。」

 打ち消すように、さっきまで手拍子をしていた通りがかりのおばさんが、大声を出した。

「思わず踊りだしたくなるようなラタタなんか弾くからっ。」

「そうよ、イコリス様あんなに汚れて可哀そう。」

 おばさんが連れていた年頃の娘も、同調してバイオリン奏者を責める。すると、奏者は謝りながら号泣しだした。


 シーコック国は王侯貴族が民を治めているとはいえ、不敬罪として厳しく処罰することはない。

 暴力・破壊活動は勿論取り締まるが、個人が尊重され言論にも規制無い平和なシーコックは、貴族の服を汚しただけで裁かれたりはしない。


 異常な状況に怯え萎縮したイコリスへ、ファウストは目配せしてバイオリン奏者を庇うように促した。彼女は小さく頷くと奏者に話しかけた。

「私が勝手に踊って転んで・・、だからあなたのせいじゃないよ。スカートも、座ったまま笑いすぎて汚れが広がっただけだし・・、泣かせちゃってごめんなさい。」

「イコリス様っ・・ありがとう・・グズございますグズ。」


 バイオリン奏者が落ち着きこのまま収束しそうな雰囲気を、体格の良いみかん氷の店主が壊した。

「なにイコリス様に謝らせてるんだ!」

 あろうことか王太子であるファウストを指さしながら怒鳴ったのだ。

 指を差されたファウストは思考が停止し何も言い返せず、助けを求めるように従者達を見た。

 しかし、ファウストを見つめる従者達の目は冷たい。

 従者の一人が呟いた。

「イコリス様に顎で指図して謝らせるなんて・・。ファウスト王子はひどい。」

 みかん氷の店主も続く。

「イコリス様はなんも悪くねえのによ。」


「ぼくは・・・ぼくは顎で指図なんかしてない・・すごく泣いてたから・・イコリスに・・。」

 ズボンを掴んで下を向いたまま、ファウストは言葉を搾りだしたが、誰も耳を傾けることはなかった。

「王子だからってさあ、傲慢だよな。」

「イコリス様を顎で使ってんじゃねえよ。」

「勘違いしてんじゃない?」

「焼きとうもろこしくらい食べていいいじゃん。王子になんの権利あんの。」

 手を繋いで踊っていた二人を手拍子で盛り上げていた人々が、一斉にファウストを非難しだした。


 小刻みに足を震わせて顔面蒼白になったファウストを目にしたイコリスは、彼を庇うように抱きしめて叫んだ。

「やめてっ。ファウストは全然ひどくなんかないっ。みんな意地悪言わないでっ。」

 イコリスの声で時が止まったかのような静寂が訪れた。

 震えながらもお互いを支えあうように抱き合った二人を中心に、周囲の人々が膝を折ってひれ伏した。

 皆、神妙な面持ちで発した非難の言葉を反省しているようだった。

 「申し訳ございません。イコリス様・・・どうかお許しください。」

 『ファウスト王子はひどい』と呟いた従者が涙で頬を濡らして言った。

 他の人々もしくしく泣きながら、各々謝罪している。みかん氷の店主も、おばさんもその娘も、周囲にいたファウストを非難した者達は懸命に許しを請うていた。

 イコリスに。 


 はっとしたファウストは噴水の向こう側を見てみると、50m位先にいる人々が何事かと怪訝な表情で立っている姿が確認できた。

「まさか・・・ううん、そうだったんだ。」

 得心したファウストは、着ているシャツのボタンを引きちぎって脱いだ。

 幼さが際立つ華奢な体を眼前にしてびっくりしているイコリスに、素早く耳打ちしながら脱いだシャツを頭にかぶせる。


「イコリス様に何をっ?」

 ファウストの突飛な行動に、従者達が駆け寄ろうとしたが

「動かないでっ。」 

 イコリスが命令口調で止めた。


「噴水広場の外からケーナイン警察を呼んで来て。」

 従者達を見てイコリスは言いつけた。

 その間もファウストは彼女の耳元でひそひそ囁き続けている。

「みんなはこのままここで座ってて。」

 ひれ伏した者達を見回しながらファウストに言われた通り指示を出す。

「話すのは禁止。気分や体調が悪くなった時だけ声を出して伝えて。」

 皆、返事の代わりに頷いて、おとなしく了承した。

 それを見届けたイコリスは、頭にあるシャツを深く被りファウストの胸に顔を埋めた。


 

「こちらですっ。」

 10分も経たずに従者達はケーナイン警察を4名連れてきた。うち一人は赤い制服を着た隊長だった。

 隊長は急いで来たのか着帽しておらず熟した林檎色の派手な赤髪が晒され、離れていても貴族の縁戚であることが見てとれた。他3名は紺地に赤い線を配した制服と制帽を着用した、茶髪の隊員だった。


「なんだ。これは。」

 憔悴した王子と宰相の娘が抱き合い立つ姿を中心に、周囲にいる人々が平服している。

 隊長は唖然としながらも事態把握の為に観察していると、警察の到着に気づいたイコリスがファウストの胸から顔をあげた。シャツの隙間から隊長を見た彼女は、口をへの字に曲げ涙と鼻水でぐじゃぐじゃだった。

 周りに聞こえないよう声を殺して泣いていたのだ。


「イコリス様を泣かせたなあっ。王子めっ。」

 従者の一人がイコリスの涙を見つけ、ファウストに飛び掛かかった。

「はあ??」

 隊長はいきなり憤慨した従者に疑問符を発してしまった。従者が王子の御付きであり、宰相の娘イコリスの従者ではない事を知っていたからだ。


 憤った従者がファウストの髪を掴む。

「やめてえっ。」

 イコリスは叫びながらとうとう声を出してわんわん泣きだした。

 掴んでいたファウストの髪を放した従者は即座に土下座し、うずくまって泣いて謝った。


 わらわらと残りの従者達が謝る従者の元へ集まると、

「お前がイコリス様を泣かせてるじゃないか。」

「王子には意地悪するなって言われただろうが。」

「何やってんだお前。イコリス様を悲しませるな。」

 うずくまる従者を、上から蹴ったり殴ったりしながら罵りだした。

 混乱しながらも急に始まった一方的な暴力を止めようとした警察隊員達を、赤髪の隊長は手で制した。

「うえっうえったたいたらっだめえっ。」

 懸命に泣くのを堪えてイコリスがお願いすると、従者達の動きが止まり固まった。

「座っててえっそのまま待機いっ。もう立たないでぇっ。」

「「はっ。」」

 暴力をやめた従者達は言われた通り跪き、忠実に従う意を示した。


 一連の成り行きを見ていた隊長は

「そんな・・・まだ7、いや6歳のはずだ。」

 独り言にもならない呟きを王子のファウストに投げかけた。

 ファウストは隊長の問いに静かに首を振って答えた。

「父さん・・王の親衛隊に出動をお願いして下さい。」

 瞠目した隊長とは対照的に、隊員達は理解できずにいた。親衛隊の存在を知らなかったからだ。

 隊長は少し思案した後、王室への親衛隊出動依頼、ケーナイン警察本部には噴水広場へ人の流入禁止を要請、以上の伝達を隊員達に命じた。



 一人、噴水広場に留まった隊長は、赤い制服の上着を脱ぎながらファウストとイコリスに歩み寄った。

 従者達を始めイコリスに平伏した人々が、ぎろりと眼光鋭く隊長の動向を捉えている。

「こちらをお使い下さい。」

 隊長は恭しく膝まづいて、イコリスに上着を差し出した。

「オウラ王親衛隊とケーナイン警察の応援が半刻も経たず参ります。その際に抵抗なく従うよう、ここに居る者達に予めご指示をお願いしたく存じます。」

 ファウストが上着を受け取りイコリスに渡した。

 頭から被っていたシャツを剥ぎ、彼女は周囲の人々に宣言した。

「王様の親衛隊と警察に従って。これは命令です。」


 跪く者達一人一人と目を合わせ恭順させたイコリスは、渡された隊長の赤い制服の上着を拡げた。後ろ身頃を顔から被り、袖を首に巻き付け後頭部で前ボタンをひとつ閉めた。

 ファウストのシャツとは違って、成人した男性の耐久性がある厚手生地の上着は、イコリスの表情を完全に遮断した。

 しばらくすると、丘の上の城壁に併設された時計台の鐘が鳴り響いた。

 真紅の布越しに一時を告げる鐘の音を耳にした銀髪の少女は、澄み切った青い空を背に静謐を祈っていた。

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