緩やかな午後の約束
コーンと授業の終わりを告げる鐘の音が学校中に広がり、丁度数学を教えていた先生が「今日はここまで」とチョークを黒板の端に置いた。
昼休みだ。今日は何を食べようかとワクワクしながらメグに声を掛けて食堂に向かおうとすると、
「よう、メーティアいるか?」
教室を出ようとした辺りでタイミングよくガルス殿下がやってきてしまった。
またか、とメグは全てを察した目でさっと私の後ろに回り、背中を押した。
「あー……この子ならここにいますよ。じゃあねメーティア、いってらっしゃい。大丈夫、皆には私から言っておくから。」
「待ってメグ、今日こそ一緒にお昼食べようと思っていたのに。」
「馬鹿ね、折角のいいコネ作るチャンスをみすみす無駄にしないの。早く行ってきなさいよ。」
私の微かな抵抗も虚しく、メグにぐいぐいと押されて殿下の方へと差し出されてしまった。
私と目があった殿下はパッと顔が明るくなり、ずんずんと近づいてきた。
「よう、今日も一緒にランチしようぜ。俺の友人も一緒だからよ。」
「……はい、勿論でございます。」
周囲がひそひそと話している声が見なくても聞こえてくる。大方私と殿下の関係性について疑っているのだろう。
はあ、と隠すことなくため息をつきながらも、殿下の押しに打ち勝つこともできず、私は大人しく彼についていくことにした。
今日で3日連続だ。
あの一件から、殿下は私によく絡んでくるようになった。
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彩度の高い青が美しい晴天下、手入れの行き届いた芝生の上。
購買で奢って貰ったパンを両手に抱えながら、いつもの場所へと2人で向かった。
「おーガルス、今日もその子連れてきたんか?やっほー、君も大変だねえ。」
近づいてきた私たちを見て、殿下の友人等数人は手を振ってくれた。
「いいだろうヴァンサン、私の自慢の後輩だ。」
「はあ、お前のお気に入りねえ。確かにお利口さんだし、魔法の実力もある上に顔も可愛いしなあ。平民とは思えない位所作もしっかりしているよな。お前、実は貴族の生まれとかないよな?」
薄い水色髪が特徴的なヴァンサン・ドリヴォワはうーんと唸りながら私の顔を座ったまま覗き込んだ。
彼は殿下の親友の1人だ。ドリヴォワというのは貴族の貴族の家名ではなく、地方にある神殿の名だ。つまり彼は、神職の家系の子である。
神官の地位は所属する神殿の大きさで変わってくるらしいが、あくまで彼の実家は小さな田舎の神殿に過ぎず、彼自身も大した地位を持っている訳じゃない。本来こんな風に王族とタメ口で言い合うことは許されない立場だ。
しかし、殿下とは小さい頃たまたま知り合って以来の友人であり、殿下自身気さくな人柄である故か、学内でも有名な悪友だとか。
神殿育ちが王子の悪友ってどうなんだ。
「ヴァンサン、女性の顔を勝手に覗き込むのは失礼だ。要らぬ妄想を押し付けるのもな。」
「そう言ったってアーロン、お前だって気になるだろう?名もなき職人の娘がここまで優秀に育つものなのかって。」
「天才とはそういうものだ、お前の知っている世界を基準にするな。この田舎者め。」
隣で芝生に優雅に寝そべったまま、アーロン・モンテクリストは辛辣な言葉を投げかけている。ヴァンサンはそれを聞いて怒る訳でもなく、小さく「お前の実家も辺境じゃん……」と小声で文句垂れた。
「アーロン、お前の言う通り、正しく彼女は天才だ。」
「その子が天才で貴方の自慢になるのは認めますがね、殿下、毎日毎日こんな年上の男子共の中に連れてこられて可哀想だとは思わないんですか?メーティアさんだって同学年の仲のいい女子と時間を取りたいでしょうに。」
「そうなのか?」
「うーん、まあ、そうですね。でも、皆さんのお話を聞くのも楽しいですよ。」
「ほら、若干困ってるじゃないですか。」
アーロンは殿下の側近でありながらも、殿下に対して結構厳しい言い方をする。よく言えば正直な、悪く言えば辛辣。
そんな物言いに言い返す言葉が無くなったのか、殿下は子供のように顔を膨らませながら、寝ているアーロンの横腹を軽く蹴っている。
「おい、側近が寝るな。俺の傍に常に控えとくもんじゃないのか?」
「流石に学校内位は勘弁してくださいよ。そんな事言ったら選択授業の時とか違うクラスじゃないですか。どうせ学校内で危険な目に合う事なんて滅多にないし、もう直ぐ学校を卒業したら嫌でも毎日顔を合わせることになりますよ。」
殿下と目がちらりと合ったが、互いに気まずそうに逸らしてしまった。あったんだよな、危険な目。
幸いアーロンは目を瞑っていてこの気まずい雰囲気には気づいていない。
「まあ、いいや。メーティア、帰りたくなったらいつでも帰っていいぞ。たまには友人と楽しく過ごしたいだろう。」
「いえ、大丈夫です。友人にはむしろここに来る前に背中を押されているので、戻ったら多分文句言われます。」
「お、おう、そうなんだ?」
今日も寮に帰ったら話を聞かせろと詰め寄られるに違いない。特にイザベルには毎日飽きる程殿下の話をしているんだ、また今日も何か話のネタを取ってこないと怒られる。
「ま、あんまりそのお嬢ちゃんに入れ込むのは良くないんじゃないか?噂になっちゃうかもよ?ガルス殿下は
「俺に婚約者がいないのは俺が女性に興味が無いからではなく、寧ろ女性の方が俺に興味がないからだろう。決闘大会で人気があったくらいで、出自を考えたら結婚相手として人気が無いのは当然じゃないか?」
「殿下、ご存じですか?殿下に婚約の申し出が無かったのはこの学校に入学する前、母君が亡くなる前の話ですよ。入学後に殿下が剣の才覚を表してからは結構婚約の申し込みが幾つも来ているんですよ。」
「え、そうなのか?全然知らなかった……」
殿下はぽかんと口を開けている。本当に知らなかったのだろう、殿下の間抜けた顔を初めて見た。なんだか面白くて、少しだけ笑ってしまった。
「おいお前、何笑ってんだ。全く。それに、別に俺が子供好きだっていいじゃないか。この国の王子だぞ、将来を担う若者を好きになって何が悪い。」
「いや、俺が言っているのはそういう意味じゃなくてだな……はっきり言うと、お前とこの子がそういう関係に見られるぞってことだ。」
「そういう関係?普通の友人関係に何を気にすることがある。」
「もうダメだこいつ。」
ヴァンサンは説明を諦めて、もう知らないとばかりに芝生に身を放り投げて手持ちのおやつを食べだした。
殿下はそういう方面にはとんと疎いらしく、本当に分かっていないようだった。頭に幾つも疑問符を浮かべながらリンゴを丸ごと齧っている。
私もお腹が空いた。さっき買ったサンドイッチを食べよう。
「……それでね、ちょっと仲良く話していただけなのにさ、その女の子の婚約者が怒っちゃって。もう二度と近寄るなって目の敵にされてしまったんだ。」
「それはお前が悪い。婚約者のいる女性と2人きりでアフタヌーンティーなんてやるもんじゃないだろう。」
「いいじゃん、向こうだって案外楽しそうにしてたよ?婚約者はこういう所来たがらないから来れて良かったって。」
「同性の友達誘えって言っとけ。神殿務めが女性を誑かすな。」
ヴァンサンとアーロンがのんびり木陰で寝転がりながら駄弁っている。ヴァンサンは毎日異なる女子の話をしている。まあ、見た目もいいし言葉選びも上手だからモテるのだろう。
「ね、メーティアちゃんはどう思う?別に2人でアフタヌーンティーしても良くない?」
「2人きりはやはり良くないんじゃないですか?婚約者の仕組みとか距離感とか私には分かりませんけど。」
「えー、そうかなあ?婚約者って言ってもどうせ卒業してから結婚する訳だし、在学中くらい遊んだっていいじゃんねえ。メーティアちゃんは婚約者いないと思うし、家柄に縛られない分自由に遊べそうだよね。きっともう少し成長したらモテモテだろうなあ。あ、今でもモテてる?」
「考えた事もなかったですね。」
素っ気ないなあと笑うヴァンサンに、それを呆れた目で見つめるアーロン。半分くらいしか理解できていなさそうなガルス殿下は、首を傾げながらも口にひたすら食べ物を運んでいる。
「……そろそろ俺らも卒業だな。あーあ、卒業したくないや。どうせ家のある神殿に帰って毎日お祈りする日々が始まるんだ。」
「平和でいいじゃないか。俺は殿下の側近として毎日付き従わねばならないんだぞ。考えて見ろよ、この男に毎日一日中ひっついていなきゃいけない状態を。疲労で死んでしまう。」
「別にいいだろう。弟のシュルトに付くよりはずっと楽だろう?卒業後も別に俺やること無いしなあ、視察と称して各地をふらふら回ってみるか。その時は一緒に世界を見て回ろうな、アーロン。」
「いや、私は殿下が城に引きこもっていてくれた方が仕事が減るので有難いのですが。……まあ、いいですよ。僻地にも地獄にでもお供します。」
アーロンはやれやれと首を横に振っているが、案外楽しみにしているのだろう、穏やかな顔で笑っている。
軽い口を叩きつつも心の中では信頼し合っている。そんな関係がちょっと羨ましい。
「あ、そういえばメーティアも世界を旅して回るのが夢だって言ってたよな?じゃあ、お前も一緒に着いてくるか。」
「確かに優秀な魔術師がいれば俺の負担も減るな。この学校を卒業して公認魔術師になった暁には是非第一王子近衛隊の一員に。メンバーは今のところ俺1名だが、お給料はそれなりに弾むぞ。」
正直、それはそれで楽しそうだ。
この先天啓でどうなるかは分からない。でも、もし無事目的を果たせたら。後の人生でそうやって彼に付き従って生きるのも悪くないだろう。
「楽しそうですね。卒業してすぐは冒険者として自由に見て回る予定ですが、その後でも良ければ是非加入したいところです。」
「勿論いいぞ、いつだって大歓迎だ。何年、いや何十年先になっても構わない。一緒に世界を見て回れたら、どれ程楽しいだろうか。」
ガルス殿下は目をキラキラ輝かせながら空を見上げた。
空はどこまでも青い。あの空はきっと、世界の隅にまで広がっているはずだ。
「はい、その時は私もお供しますよ。」
「頼もしいな。それじゃあ、俺もお前が卒業するまで自主練に励むか。自分の身は最低限自分で守れるようにならないとな。」
「俺も転職したいよ……」
「まあ、近くを旅する時は寄るようにするよ……」
1人寂しがるヴァンサンを宥め、穏やかな昼休憩は緩やかに過ぎ去っていった。
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