9.前夜

前夜、寒い夏の夜、俺達はラズーパーリの縁にいた。




夏なのに、秋のように寒かった。住民を避難させて、ひっそりした空気が、余計にそう感じさせたかもしれない。


「あの島に逃げたのは、不本意だったのでしょうね。」


とエスカーが言っていた。事故の調査の後、島の施設は全て停止していて、各種装置の動力もなし。警備員すら置かず、無人で放棄していた。


「閉じ籠ったつもりだったかもしれないけど、逆に閉じ込められたようなものです。」


エスカーを始め、皆は、住民を避難させて、あとは決着をつけるだけ、と考えていた。ディニィだけは、


「そのわりに、何だか余裕のある、不適な態度なのが気になるわ。魂だけで、どれだけ持つかわからないけれど、何か、待ち伏せされているみたい。」


と気にしていた。


俺は彼女の慧眼に恐れ入った。


エパミノンダスは、今、全属性を手に入れている。ただし、自在に行使するには肉体がいる。俺がホプラスを助ける時に、彼の肉体の中に入らなければ、うまくやれなかったのと、同じだ。奴は、奴等は、肉体を待っている。しかも、できれば、おそらく、エパミノンダスが目指していた、究極の魔導師にふさわしい者を。


魔法力を基準にすると、エスカーかディニィだ、とか考えるのが自然だ。ただしディニィは聖魔法使い、神官だ。神官は、成長と能力に応じて、聖魔法の結晶を体内に入れ、魔法力をあげていく。このため、属性魔法は使えない。


だが、「融合」には、相性がある。俺とホプラスは偶然、極めてよかったが、エパミノンダスとエスカーはどうだろう。魔導師なら知識欲はある。しかし、


「なんにつけても、奴がラズーパーリに一役買ってたなら、ここで退治するのは、いい決着だな。」


とルーミが言った時、エスカーは心から賛同していた。


そうして、決戦前夜、俺は、ラズーパーリの橋に立ち、街の南側を見ていた。


教会は、南側から少し入った、小高い丘にあった。ルーミの両親の店は中心部で、店のある街中にはイベントのある時だけ開ける礼拝堂や、観光用の教会や、小さい子供用の学校が近かった。父は時期にもよるが、二、三日に一度は街にでた。


最初に、学校に挨拶に行った時だと思う。この地方では、学校は義務だが、毎日ではない。だから、基本、宿題は無しで、出されても、回収には困るから、と、校長が父に説明していた。(当時のホプラスは五歳だったので、「父さんが学校のこと話している」くらいの認識しかなかったが、父は講師も引き受けていた。)


校庭で子供達が叫んでいた。喧嘩が始まり、騒ぎになっていた。やや大きい男の子達が、縄や輪みたいな玩具を振り回して、彼らより、小さな男の子を、よってたかって痛めつけていた。


俺は思わず中に割って入った。彼らのうちの一人が、棒切れを振り回し、俺に当たった。俺は吹き飛んで気絶した。


気がつくと、知らない部屋でベッドに寝ていた。原始的だが、俺の頭は、氷嚢で冷やされていた。


その氷嚢に、小さな手が触れていた。


オリーブグリーンのぱっちりした目。額と左手に何か貼っていた。湿布か包帯か。額の白にかかる髪は、金糸みたいにきらきらしていた。


さっき、痛め付けられていた子だ。赤い服を着ていて、金髪。見覚えがあった。その子は、俺と目が合うと、


「ホプラス。」


と言い、隣の部屋に向かい、


「ホプラス、起きたよ。」


と叫んだ。父、医者らしい男性、校長先生。他にはお腹の大きな金髪の女性と、赤毛で色黒の男性がいた。ドアの向こうに、武器を振り回していた子達と、さっきは見た覚えはないが、女の子が二人と、より小さい男の子がいた。あとは、彼らの親らしい大人が何人か。


父は、「大丈夫か、ホプロス。」と、俺に近づいた。ちょうど、金髪の男の子と、入れ替わる形になったが、俺は、その子の手をつかんで、引き寄せた。隣の部屋にいけば、また奴等に武器で殴られるのではと思ったからだ。


男の子は、びっくりした目で俺を見たが、逃げなかった。


それが、俺、つまり「ホプラス」の、ルーミとの出逢いだ。


後で聞いたが、やや大きい子達は、俺より一つ下の四歳で、三歳だったルーミを集団で痛め付けようとしていた。理由は、ルーミがとにかく生意気で乱暴、突き飛ばされて友人が怪我をした、というものだったが、女の子二人の証言をまとめると、「あいつらが、目の不自由な、私達の弟を、毎日苛める。ルーミが止めろって言ってくれたら、先生にばれて、連中が怒られた。それで、集団で、道具まで持ち出して、仕返ししてきた。」という事だった。


結局、殴られて怪我をしたのが、新任の聖職者の息子の俺だったため、襲った連中が、ルーミが悪いと主張するか、正直に言うかで揉め、その過程で、女の子二人の言い分が正しい事が証明されてしまった。


しかし、いくらなんでも、年下の子に集団で、武器まで使ってた情けない連中が、注意されたくらいで直るわけがない。


特に、ルーミの家が破産して、母親が自殺し、教会に引き取られてからは、それをネタにするようになった(仲の良かったはずの子、例の女の子達も、親が破産してからは、話しかけてもこなくなっていた。)。連中は俺のいる所では、滅多な事は言わなかった。そのうえ、二歳差のせいで、「クラス」が異なるので、しばらくわからなかった。知ったのは偶然だった。今だったら、魔法剣で片付けてやるが、その時は、ルーミのいない所で、父さんに相談した。


結果、俺達は学校には行かず、家で父さんに勉強を教わるようになった。父さんが学校に教えに行く等で、街に出る時は、ついて行くこともあったが、元の教室には顔を出さなかった。


後で知った事だが、ラズーパーリには、街の北側に家を構えて通勤(役所や企業)だけ南に行く層と、さらに北側で農業をやる層と、南側に住む商人、伝統工芸の職人(ガラスや真珠、珊瑚などが)の層と、漁業、養殖、海運を営む層とに、友好または対立関係が細かくあり、子供達も、その影響を受けていたらしい。


しかし、人間は都合のいい生き物で、教会に引き取られたルーミが「可愛いらしく」成長し、時々、丘の教会から降りてくるだけの「神秘的な」存在になると、大人も子供も、今までした事を忘れ、あれこれ注目するようになった。だが、ルーミは、話しかけられれば答えるし、礼儀正しくも振る舞うが、子供の身ながら、街の人達には、どこか気を許さなかった。


今、整地された街の南側を橋から眺める。


事件の後、俺は二回だけ、街に戻った。一度目は、父さんの遺体の確認のためだった。教会のあった所の丘は崩れていた。土地や建物は国の所有だったが、若干の私有財産もあり、その相続もあった。


二度目は、ルーミが死んだといいう調査結果が出たあと、けじめの意味で訪れた。


今は三度目だ。


ホプラスが、街を眺めながら、色々な事を思いだし、俺の心に記憶を渡してきた。今まで、ルーミと関係ないところは、記憶を反復する機会はなかった。


ホプラス自身は街の人達には何をされた訳ではない。同い年の子達は、一年違うだけでカラーが異なり、全体的に大人しく、さらに教会の子である自分に(意識はしなかったが、ラッシル系のため、一回り大きい子である自分に)、余計な事を言ってくる者はいなかった。


そんな事をあれこれ考えていると、一人の自分の背後に、気配がした。


決戦前夜、か。どこのワールドでも、似たようなものだな。


ルーミがいる、と思って振り向いたが、ディニィの姿を見つけて、驚いた。


「ホプラス、少しいいかしら。」


彼女はルーミを探しているものと思ったが、何故か俺を探していたらしい。


「いよいよ、明日ですね。」


本当は、俺たちで先行するのであれば、今、突入しても問題はないが、援護部隊の事を考えて、明日の朝になった。


エパミノンダスは特に何もしてこないので、船から船に転送魔法で渡る予定だ。


「一年以上、あっという間だったような気も、長かったような気もします。」


「そう…だね、色んな事があった。」


「苦しいことも多かったけど、私、楽しくもありました。不謹慎ですが、皆と旅が出来て。…ホプラスは、この戦いが終わったら、どうするの?」


一瞬、言葉に詰まる。一昔前に流行した死亡フラグだ。ディニィは、死ぬ予定ではない。そうなると、俺か。確かに、あとはルーミとディニィが結婚するだけ、なら、俺は用済みだ。


「やっぱり、ルーミと旅に出るのですか?」


俺が黙っているので、ディニィが続けた。


ああ、彼女は、俺たちに、特にルーミに、王都に残って欲しいのか。


「まだ、考えてない、かな。ルーミは、前に、勉強したいといってたから、終わってから、考えるつもりだった。」


これは、嘘ではない。ルーミは、もともと頭はいい子だった。子供の頃は、二つ下にも関わらず、俺と同じ勉強をしていた。


だが、今、ルーミに尋ねたとしても、そういう返事は返ってこないだろう。多分、いや、確実に、俺とギルドの仕事に戻りたがる。


俺については、騎士に完全復帰しては、という話がある。断るつもりだったが、ルーミを王都に残すためなら、引き受けるほうがよいだろう。


「ディニィ、いい機会だから、頼みがあるんだ。ルーミの事なんだけど。」


自分で自分のフラグをたてるようで、複雑な気分だが、


「もし、僕に、何かあったら、ルーミの事を頼めるかな。僕の代わりに。」


と言った。だが、ディニィの返事は、


「嫌です。」


だった。


「ルーミにとっての貴方は、『神様が残してくれた唯一のもの』です。そんな人の代わりなんて、できません。」


ディニィは、笑顔だったが、きっぱりと言った。


俺の今の顔は、間抜け面というやつだったろう。こういう返事は想定外だ。


これはどうしよう。ディニィにばれてたら、計画が遂行出来ない。


「さっき、ユッシからも『サヤンを頼む』、キーリからも『ラールを頼む』と言われました。この答えも、三度目です。」


ディニィはずっと、微笑んでいる。ああ、そういう流れの話しか。ばれてる訳ではなさそうだ。


「全員で、生きてもどりましょう。エパミノンダスを倒しても、またまだ、問題はあるでしょう。手伝ってください。頼りにしてます。」


静かだが、力強い言葉だ。そうだ。これで回収と決まったわけではない。最近は早めに回収が主流だが、昔は数十年そのままだったこともあるという。懐古趣味が少し流行ってるし、せいぜい、悪あがきしてみせよう。


「そうだね。ありがとう、ディニィ。戻ってからも、宜しく。」


俺達は笑った。


「あ、こんなとこにいた。」


サヤンの声がした。振り向くと、ルーミとサヤンが、連れだっていた。面白い取り合わせだ。


サヤンが、


「好きな食べ物と好きな花と、好きな色、教えて。」


言った。この戦いが終わったら、店の内装を代えて、新メニューを出す、という。


「取り合えず、『勇者定食』にしようかと思ったけど、エスカーに絶句されたから、名前は考え直す。イメージつかみたいから、教えて。」


と言われた。


ディニィは、好きな色は空色と薄いピンク、食べ物は苺と、苺ソース添えのマリネ、花はツルバラで、最近はダマスカス・ローズと答えた。俺はホプラスの好みを答えようとしたが、サヤンは、


「ホプラスのはルーミに聞いたよ。好物はミントソーダとハーブティ、花は八重紅垂れ、色は碧、あってるよね。」


と、すでに調査済みのメモを見せてくれた。


「ホプラスもディニィも、新メニュー向きの好みで、助かるわ。ラールは酒は詳しいんだけどね。キーリは狩人族の郷土料理だから、うちではとっくに出してるし。兄貴なんて、キャベツを花だと言い張るし。」


「俺とエスカーも、割りと新メニュー向きだろ。」


サヤンがメモを見せてくれた。ルーミのは見ないでもわかる。氷菓子とリョクガク(ガクが緑色の白梅)と、蒼だ。


エスカーの好みは、食べ物はケーキだろうと思ったが、「マトンのアップルソース掛け」と記載してあった。ヴェンロイドの名物料理だろう。花は白百合、好きな色は白になっていた。


面白かったのは、ラールの好きな花が「藤(房の長いもの)」、キーリが「山藤(高い木)」となっている事だった。()内はサヤンが付け加えたのだろう。


「そういうサヤンは何が好きなの?」


とディニィが尋ねた。


「あたしは紅花よ。いい油がとれるし。食べ物はうちの店の料理ならなんでも、色は唐辛子の赤が好き。」


「…お前が一番、意外性と新しさがないな。」


とルーミが言った。ディニィが、


「エスカーは、ケーキ類も好きなはずよ。マトンは苦手だったと思うけど。チキンの間違いじゃないかしら。」


と言ったので、サヤンは


「あ、マトンはラールだったかも。」


と、ディニィをつれて、ふたたび聞きに行った。


ルーミは残った。


「いかなくていいのか?」


「俺は、お前を探していたんだ。…お前、この戦い終わったら、どうする?」


ルーミよ、お前もか。まさか、自分に何かあったら、エスカーを頼む、とかじゃないだろうな。


「まだ考えてないかな。当面、やらなきゃいけないことなら、わかるんだけど。…ディニィが王位に着くなら、僕たちの力が、まだ必要かもしれないが、ギルドの仕事も続けたい、と思う。」


俺は正直に答えた。計画上は、ルーミとディニィをなんとかしないといけないが、そのためには、二人で王都に残る必要があるが、そもそも、王都で出来ない事をするために、ギルドに入った。ルーミにしても、夢は最終的に、アルコス隊長のように、孤児や年少者の保護をするギルド、を目指している。アルコス隊長は、本来、彼らを学校に行かせたがってたが、予算に対する妥協として、能力のある者を早めに活躍させていた。


ルーミに、目指す姿を聞いてみようとしたが、彼は先に喋りだした。


「俺は正直、迷ってる。顔が売れ過ぎて、ギルドの仕事はしにくくなるかもしれない。でも、もし、今の俺が、アルコス隊長がしてたみたいに、孤児を保護して、年少メンバーの指導やケアに取りかかっても、俺がそもそも、若輩だから、『信用』がないと思う。」


「そうだね…。それじゃ、王都の学校で勉強する、というのはどうかな?アルコス隊長は、学者としての顔もあったよ。」


「俺、お前ほど、頭良くないし。」


「そんなこと、ないだろう。昔の話になるけど、父さんに勉強教わるようになってから、すぐに僕に追い付いたじゃないか。二つ違いの僕にだよ。…やるだけやってみれば。僕も出来る事が有れば手伝うし、万が一、上手く合わなかったら、また二人で、旅にでも出よう。」


軽く明るく、「説得」はせず。守護者として、ルーミに選択肢を出したようなものだ。


「でも、お前は?」


ルーミは聞き返してきた。


「お前自身のやりたい事は?もともと、子供の頃は、父さんみたいな聖職者って言ってたろ。今も本当は、学者や聖職者じゃないのか?騎士に復帰をすすめられてるんじゃないか?」


その話は本当だが、ホプラスの「やりたいこと」は、ルーミを「守護」すること、俺の希望は、守護者としての任務に反しないかぎり、最大限、守護対象であるホプラスの幸せを考える事だ。ディニィの件が今のところ、動かせない以上、「側にいること」くらいは、なんとかしてやりたい。


「僕は、自分のやりたい事は、全部やって来たよ。だから、次は、お前に付き合うよ。」


俺は微笑んだ。ルーミは、じっと俺を見ている。俺の好きな色、「碧」の瞳で。


「…はあ、かなわんな。」


ため息をつく。どういう意味かは、何となくわかる。


「もう、終わってから、考える事にするよ。まず、明日の敵を片付けなきゃな。」


俺はルーミに相槌をうちながら、とりあえず、これで死亡フラグは全部折ったかな、と、前向きに考えた。


ラールが俺たちを呼びに来て、もう休んだほうがいい、と言った。


「見張りの人が困ってたわよ。あんた達が外にいると、宿舎の戸締まりが出来ないって。」


戻り際、南側を振り返った。


教会の丘も、パン屋も、学校もない、「紺碧の真珠」は、暗い部分が、よどんだ海の一部のようだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る